Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

率いられる座付き管弦楽

2023-07-06 | 
METガラコンサートから二日続けて出かけた。ガラの目玉は主役の歌手ディドナートであった。前半二曲と後半引っ張り出されてアンコールを歌った。最初の二曲がバーデンバーデンでベルリオーズが、望んだパウリーヌの歌で、指揮をしたオペラ「レトローヤン」からとなっていた。

「夏の首都」と名乗った音楽祭を体現した形で、現在のベナツェットザールで開かれていたのは1859年8月29日であった。先ずは序曲から大きな音を出していた。その印象では最初の音取からしてもピッチも安定していて対抗配置での弦楽はその中低音の充実の音色となりとても好印象を与えた。少なくとも前々日のパリから流れてた「ウェストサイドストーリ」の下手さはなかった。

これならば音楽監督のネゼサガンが話していたようにある意味の世界一の管弦楽団というのもそれ程的外れではないと感じた。そしてお待ちかねの声につける演奏も流石で、邪魔されないでそれ以上に音楽を完全に導いていたのはスター歌手のディドナートであった。一方で、確かに弦楽がアンサムブルの核となっていてそこに管が合わせる感じだった。よって管の制御は同じ指揮者が監督をしているフィリーの様な精妙さがないのは当然かもしれない。座付き管弦楽団としてもそれはミュンヘンなどの頂点の管弦楽団にもない特徴でそれはそれで興味深かった。

しかし、進むうちにその管弦楽団の表情が一辺倒にも感じるようになってきた。初日のコンサートマイスターはアンコールでも弾いたのだが、ベンジャミン・バウマンという人で座付きにしてはヴィーナーのそれらなんかよりも遥かに上手かった。調べると録音も多い奏者らしくカーティス出身の本格的な奏者だった。ネゼセガンが新たに呼んだようで、それ以前の二日目のチャンとは雲泥の差が弦楽陣の合奏に顕著だった。

METでオペラを見るなら歌手よりも指揮者、それ以前にコンサートマスターを調べないといけない位に違う。幻想交響曲はショルティ指揮シカゴ交響楽団を思い出したのは何故かなと思った。それ以降聴いていなかった可能性もあるかもしれないが、やはり共通点があったのかもしれない。正直ネゼサガンの指揮は詰まらなかった。フィリーを振った時やBR交響楽団を振った時にはあまり分からない出来無さが、こういう落ちる楽団だと顕著に見えてくる。ラトルの後任候補にもなっていた世界的な地位としては頂点にある指揮者であるが、前任のレヴァインにも比較できず、勿論師匠のジュリーニの様に楽団を指揮して作る実力も無い。11月にも二日続けて聴く予定なのだが、少々失望した。



参照:
暇潰しのMET公演を髣髴 2023-07-03 | 文化一般
虹色のバイエルン通い 2022-08-06 | 生活
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