(承前)二幕四景「彷徨う天使」、五景「音楽する天使」と六景「鳥の説教」は二部として野外劇場と予め録音されたMP3で再現された。最後の二景特に「鳥の説教」の音楽がこの大作の最も重要な部分であり、音楽的に最も手が込んでいることは誰にでも分かる。音楽的な素材でもあってその採譜された鳴き声が音楽的な発想になっているのは知られているが、この音楽劇場作品においてはお告げになっている。
鳥のカタログなどで大作化している作曲家であるが、この作品においてその意味合いが集大成されているのだろうか。とても重要な発想をそこから得ているのは創作者本人が書き留めていると既に述べていたが、やはりここでの「大小の鳥の演奏会」の其々の鳴き声の手練手管の扱いに全てを賭けている。謂わば自然の素材を極限の匠によって芸術化している様はルネッサンスのジョスカン・デプレの作風を思い浮かべる。
オペラ芸術としてはバロック期におけるモンテヴェルディの作品「ポッペアの戴冠」等と昨年再演されたハース作「ブルートハウス」を並べたが、この大作は最早オペラでもなかった。その意味からルネッサンスの対位法と並べ賞しても悪くはないであろう。それほどの複雑なリズムが絡み合っていて、そこにまた新たな囀りの出入りがある。それゆえにぴっちりと演奏して聞かして欲しかったところなのだが、残念乍らオープンエアーの演奏するにも条件の悪いところでの公演となったとするのが初日と三回目上演での感想だった。
そして最終日には陣取る位置を考えた。大きな切っ掛けは割り与えられたところが日向であり、管弦楽から遠いスタンドだったので、最初から場所替えのベストポジションを探した。基本は割り当ての人が座っていない空いた座席となるのだが、その区画延長線上の楽団舞台下手横の最上部だけにある木陰の小さなスタンドを見つけた。明らかに最上席であることを音を少し聴いただけで確信した。
音楽会場などは今迄の経験で写真を見て殆ど想像がつくのだが、流石にスピーカーシステムで整えられた野外でのPA音響に関して迄は分からない。勿論メインスピーカーや返しのスピーカー更にメインのマイクの位置などをざっとは確認するのだがそれで想像可能な程な経験がない。芸術音楽興行でオープンエアーに出かけるのは今回が初めてであって、最終日は三回目だった。その割には上出来だったと思う。
それでもスタディアムの縁が一番上まであって、管弦楽の最高位置に居並ぶパーカッションやウインドマシーンなどの並びで、前回座った反対側とは全く異なり強調も全くないのは下側に座っていなかったからだろう。同時に鉢の頂点なので生音も結構大きく、全くPAとの違和感もなかった。(続く)
写真:千秋楽は正面右端のEの看板の横の光の当たる木の幹の木陰の最上階ベンチに座った。
参照:
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
パブリックヴュイング舞台裏 2021-07-30 | 雑感
鳥のカタログなどで大作化している作曲家であるが、この作品においてその意味合いが集大成されているのだろうか。とても重要な発想をそこから得ているのは創作者本人が書き留めていると既に述べていたが、やはりここでの「大小の鳥の演奏会」の其々の鳴き声の手練手管の扱いに全てを賭けている。謂わば自然の素材を極限の匠によって芸術化している様はルネッサンスのジョスカン・デプレの作風を思い浮かべる。
オペラ芸術としてはバロック期におけるモンテヴェルディの作品「ポッペアの戴冠」等と昨年再演されたハース作「ブルートハウス」を並べたが、この大作は最早オペラでもなかった。その意味からルネッサンスの対位法と並べ賞しても悪くはないであろう。それほどの複雑なリズムが絡み合っていて、そこにまた新たな囀りの出入りがある。それゆえにぴっちりと演奏して聞かして欲しかったところなのだが、残念乍らオープンエアーの演奏するにも条件の悪いところでの公演となったとするのが初日と三回目上演での感想だった。
そして最終日には陣取る位置を考えた。大きな切っ掛けは割り与えられたところが日向であり、管弦楽から遠いスタンドだったので、最初から場所替えのベストポジションを探した。基本は割り当ての人が座っていない空いた座席となるのだが、その区画延長線上の楽団舞台下手横の最上部だけにある木陰の小さなスタンドを見つけた。明らかに最上席であることを音を少し聴いただけで確信した。
音楽会場などは今迄の経験で写真を見て殆ど想像がつくのだが、流石にスピーカーシステムで整えられた野外でのPA音響に関して迄は分からない。勿論メインスピーカーや返しのスピーカー更にメインのマイクの位置などをざっとは確認するのだがそれで想像可能な程な経験がない。芸術音楽興行でオープンエアーに出かけるのは今回が初めてであって、最終日は三回目だった。その割には上出来だったと思う。
それでもスタディアムの縁が一番上まであって、管弦楽の最高位置に居並ぶパーカッションやウインドマシーンなどの並びで、前回座った反対側とは全く異なり強調も全くないのは下側に座っていなかったからだろう。同時に鉢の頂点なので生音も結構大きく、全くPAとの違和感もなかった。(続く)
写真:千秋楽は正面右端のEの看板の横の光の当たる木の幹の木陰の最上階ベンチに座った。
参照:
歴史のポリフォニー今日 2022-02-23 | 文化一般
パブリックヴュイング舞台裏 2021-07-30 | 雑感