Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

初売り出しの行列

2005-01-04 | 


初売りの電化品量販店に行った。祝日のTVスポットで気が付いていたのだが、まさか自らがわざわざ買いに行こうとは想像しなかった。半年以上にわたってマウスの不安定な動きとそれに続く画面のフリーズに悩まされ続けた。デフラグからシステムの再生など全てを行い、ヴィールスの検査をしても解決しなかった。試しに他のマウスに取り替えてみると、今までのマウスの故障が発覚した。

そのようなわけで朝一番に開店を待つ事は流石に出来なかったが、午後に行ってみた。郊外型店舗の大駐車場に車を進めることすら出来ず、交通渋滞の中を近所の店舗の裏に駐車した。店内は、レジに並ぶ長蛇の列が店の奥行き三分の一程まで伸びていた。

冬休み中なので子供が多い。消費税16%抜きの広告に誘われた大人も子供に合わせて休暇を取っているのか通常の平日よりは遥かに多い。長蛇から一時間近くのレジ待ちを予想できるので、商品を手に取り情報を十分収集してから人の波に逆流して店をあとにした。

商業的には、クリスマスセールと冬物セールの中間時期で本来冬物が無い店舗の棚卸に当たるのだろう。その足で他所の町へと車を走らせ、そこで例年の如く卓上のカレンダーを購入した。去年は載っていなくて不自由した国や州別の2005年の休日・祭日情報が助かる。そこは経営危機の大手販売百貨店だが、こちらは大きなセールが無いので平常より少し来店客が多いぐらいであった。

結局帰宅後、マウスの様々な評価や価格比較サイトをサーフィンして実物を思い浮かべながら、購入を決断した。そして最終的にはいつも使っている業務事務用品通信販売会社のサイトで廉く安心して注文した。このように実物を店舗で確かめてからネットで購入する人は増えているという。こうして落ち着く所へ落ち着いて初買いを終えた。
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連帯感膨らむ穏やかな午後

2005-01-03 | 歴史・時事
半旗が、一月二日の温もりのある陽の下に翻っている。この季節としては、大変穏やかな日曜日である。広場の駐車場の車の数はだから普段の休日より多い。その多くは、行きつけのレストランを訪れたり、青い雲合いの下にワイン畑を歩いて平和な午後をのんびりと過ごそうとする人たちである。

役所のポールに翻る旗に気が付かない人はいない。次の瞬間には意味も理解する。そして午後、車に戻るまでこの天災と被害について意識の何処かに残る。途中で出会った人との話題になるかもしれない。勿論、ドイツ国内の1000人以上の行方不明者数が大きく影響している。

如何しても取っ掛かりが無いと親身になれないのが人の常である。身近な問題として考える機会があれば先ずはそれで十分である。このような連帯感の表し方に、国旗の意匠がどうであれ異議を唱える人はいないであろう。弔意を越えて束の間でも被災に思いを巡らす事に意義がある。それは何時か必ず毒が身体に回るように実を結ぶ。

タイの観光担当大臣が、現在も保養中の観光客に滞在の礼を伝えている様子が報道されている。観光立国としての経済効果を強調する一方、津波予知システムの自力整備を主張する。明日にもあるかもしれない大きな余震に何を保障しようと言うのだろうか?映像に映る、美しく光り輝く浜辺に横たわるビキニ姿の観光客の骸は、このような配慮に満ちた発言を一瞬にして虚構へと追いやる。

「TSUNAMI」先進国日本の予知システムに関するノウハウ供与への協力は、この地域の将来を考えると援助金額と同様に求められているようである。欧州全域で黙祷の時刻が定められた。
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円熟した大人の文化

2005-01-02 | 文化一般


オッフェンバックの「ラ・ぺリコール」というオペレッタをTV鑑賞した。本場パリのオペラコミックの制作である。メリメのペルーを舞台にした台本で、悪総督が若い大道芸人の歌姫と恋人の横恋慕をする話である。総督はちょび髭のアドルフ、恋人はプレスリーと舞台設定もさることながら歌もラブミーテンダーなどをいれ自由に演出されていた。そのような支離滅裂なところが、かえって現代のパリのオペレッタを取っ付き難くしているところもある。流石にパリは、このようなショウとも歌芝居とも付かないものを巧く料理する。それを楽しむ聴衆も味わい方を良く知っている通である。これをヴィーンのオペレッタなどと較べると僅か千二三百キロメートルの地理的距離にとてつもなく大きな文化的隔たりが横たわっているのを改めて教えられる。

パリは、バロック時代から伝統的に執拗にバレーの要素を舞台芸術に求めてきた。なぜかフランスの放送局はいつも夜中に音楽番組を放送していて、今朝クリスティー指揮のラモーのオペラが流れていた。そこでの瞠目に値する運動も遣り過ぎなほどであったが振り付けが素晴らしい。ラシーヌなどの伝統が今でも生きているようである。

オペレッタでもフィナーレやアンコールのカンカンだけでなく、踊りの要素はフランス語の台詞と同じぐらいに華やいだ雰囲気をもたらす。その身のこなしといい軽いステップに言葉のイントネーションは真に洗練されていて、なるほどこうした文化が新大陸でブロードウェーに引き継がれていった様子が想像出来る。ヴィーンのそれが旧ハブスブルク文化圏を出ないのに較べて、全ての動きやニュアンスが都会的なのである。

筋の運びも速く、風刺が良き効いていてベルリンやヴィーンの其れのように湿っていないのが良い。ブレヒトの芝居やソープオペラと較べてみたい。落ちは総統が、「俺は民衆やデモクラシーは信じられんよ。二月前の選挙結果を見れば分かるだろ。」と語る。オープニングから緊張感なくしてフィナーレの醍醐味へと誘う技は何とも心憎い。

そして女性の動きも決してコケットにはならずに、市中のそれよりも爽やかなのである。女装やゲイも活き活きとしている。カンカンのスカート捲りもこれゆえにチアーガールなどよりも遥かに健康的である。そして最近のカンカンガールはTバック着用を学んだのも大きな収穫だ。

フランスの円熟した大人の文化である。年頃のパリジェンヌとのランデヴーにこのようなものを楽しむのもきっと気が利いているだろう。
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心地よい感興

2005-01-01 | 
さて、恒例のヴィーンのニューイヤーコンサートである。グラス片手に一杯引っかけながらお気楽に流すのである。そうは言ってもこれが西洋芸術音楽界の、注目度・売り上げからしても年間最大のイヴェントである事に間違いない。それは、演奏されるワルツやポルカ類が芸術音楽として認知されているからである。芸術か娯楽かは、演奏する楽団や演奏家には関係ない。

このプログラムを主に受け持つ父子ヨハン・シュトラウスは、ハブスブルグ時世そして革命後に新しい市民層のエンターテーメントを提供してレハールなどと共にダイナスティーを築いた。其の活躍はロシアを超えて北アメリカにまで及んだ。飲食店や公園で舞踏会で市民の憩いを提供していたこの活動が、その持て余す才能で喜歌劇を作曲して国立劇場のレパートリーとして受け入れられていく過程は面白い。

これらのレパートリーが直ぐに芸術的価値を持つかどうかは、美学として別の問題となるのだが、これは昨今の価値観の変遷から断定するのは益々困難となった。時代により変わるものなのである。中世において世俗と聖なるものが一対になっていたように、貴族的なものと市民的もの、商業的と伝統的、真剣なものと娯楽が対照とされた。野暮な議論は止そう。

このコンサート、1939年に貴族の落胤といわれる指揮者クレメンス・クラウスの音頭取りによって定着したという。我々は知っている。アンドリュー・リュウが気の効いた編曲をして自らもアレンジ料を徴収して莫大な富を築いた事を、三人のテノールの公演は娯楽としての莫大な著作権料を徴収された大事業な事を。それでは、何とも中途半端なこのコンサートが何故定着しているのだろうか。そこでは、中継画面の途中に映し出される低地オーストリーのドナウの流れや森やザルツブルクの山並みを背にした草原や多くの名所旧跡に表れる歴史と生活が走馬灯の如く、これらの音楽から想起されるからではないか。ビーダーマイヤー風といわれるようななんとも心地よい感興は、南ドイツからヴィーンにかけての血と肉となった、大義名分や知的認識とは距離を置いた、殆んど天国的と云える生活感なのである。
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其れらしいもの

2005-01-01 | 
ヴィーナー・ノイヤーコンツェルトほど、放送界でも定着していないベルリンのジルフェスター・コンツェルトをTV鑑賞する事にした。プログラムが決して楽興の時をではなく、寧ろ其の反対を与えてくれる事を予想したからだ。プログラム曲のカール・オルフ曲「カルミナ・ブラーナ」は、バイエルンアルプスの麓の町テルツの修道院から見つかった13世紀の様々な詩や僅かのネウマ譜を集めた謡曲集を1936年にアレンジしたものある。この作曲家の仕事の評価は、当時の第三帝国時代から戦後の連邦共和国まで一筋縄では行かない。その簡易な書法ゆえに、音楽・リズム教育の素材としても使われて知名度とその影響するところの裾野を広くした。初演当時は、その中世高地ドイツ語とラテン語さらにフランスホック語の歌詞についての批判が大きかった。ある意味汎欧州的であったゆえに異教的にも響く。しかし全ては、原本の歌詞と彼のアレンジの庶民性に救われたようである。初演当時ナチの宣伝相ゲッペレス博士は、この新曲をラジオで聞いて「カール・オルフにおいては無調に才能を示すではなく....、テキストさえ確りしていたなら....、近いうちに彼を呼び寄せよう。」とこの四分の一ユダヤの血を持ったこの作曲家を公に褒めている。この事実は、この作曲家と其の作品が示す個性を如実にあらわしている。これは1940年のベームの指揮の下、ドレスデンでの歴史的成功へと引き継がれる。

戦後の進展もその問題となった中世におけるラテン語とドイツ語の関連ゆえに、この曲は歴史の中で受け継がれる。ゲオルグ・シュタイナーはこの曲を「ファシズムのゴミ」と呼び、シュトッケンシュミット氏は「忍耐、都合次第、当局の恩恵に輝く」と評価している。その後この作曲家はミュンヘンの作曲科教授として最後までドイツ音楽の重鎮として君臨した。

実際この中世を偽った曲は、所謂実用音楽である。それは提唱者ヒンデミットなどとも大きく異なり、表現のための表現ではなく表現する人のための表現が支配している。絶えず批判の的と為った異教的なドイツ風のラテン語の響きがこの曲の真骨頂である。恐らくこれなくしては遠い昔に忘れ去られていたであろう事は容易に想像出来る。

この芸術に、偶然にも同時代の社会主義リアリズムの理想にも近い全体主義的なものを直感するのは強ち誤りではない。ベルトルト・ブレヒトの名言を思い出す。「民族と云うのはその集合を指して、ら し さ と云うものではありません。」。

そして指揮のサイモン・ラトル氏はアンコールで彼なりの見解を示した。「本来は古楽をやるべきところですが、楽員が多すぎるので、我々の 英 国 の 作 曲 家 ヘンデルを演奏します。」とメサイアを紹介した。
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