Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

水がワインになった奇跡

2005-01-07 | ワイン
ワイン街道に移り住んだ当初は、アルコールの飲み方が分からなかった。マンハイムなどで昼間開けているレストランでは、オフィース街に係わらずビールを飲む勤め人が目に付いた。語学学校に通う間も宿題を携えて家に帰る途中、だから昼飯を食べながら飲んだものである。これが普通の生活と考えていた。その後、独大手企業などでは、流石に食堂では菜食などの合理的な昼食が賄われたが、特に営業畑の人間は場所を変えて昼から酒盛りを始めていた。更に社用で少し重いものを食べた後は、皆シュナップスを引っかけて消化器系の健康に気を使っていた。いつの間にか昼から飲む事に抵抗がなくなっていた。ある日、後に某国の独駐在大使となる友人に注意を受けた。どうも昼に飲酒して夜にはまた迎え酒をしていたので、アルコールが体内に残る時間が多くなって倦怠感が出ていたようであった。宴会で飲んでいるように見せかける外交官心得なども習った。つまり量は少なくても昼に飲酒すると依存症になる可能性が高まるという事である。低アルコールの少量の飲酒は自覚症状が少ないので始末が悪い。自己審査するためにもその後は出来る限り休肝日を設けるようになった。

ワイン街道では、警察の署長さんでも私服になればワイン祭りで一杯引っかけて車を運転する。血液中のアルコール濃度の規制は可也厳しくなったが、事故を起こさない限り酒気帯び運転は許される。夜中の町の飲み屋から車を出すとパトカーに尾行される事がある。家まで帰って無事玄関に姿を消すと何もなかったようにパトカーは姿を消すらしい。飲んでいる運転手も緊張と酔いに手に汗握る。酒気帯びで事故を起こせば全てが不利に働く。更に飲酒運転していると事故の場合の保険が降りない可能性がある。二十四時間前からの飲酒の量が問われる。ドイツの交通事情は、対人事故の可能性が少なく、整然としているので規則さえ遵守すれば比較的安全である。麻薬や心理的動揺と並びアルコールは、この遵法精神を最も脅かす要因となっている。

カナの婚礼の奇跡ではないが、昨日汲み置いた湯冷ましの水がワインに変わっているのを密かに期待した。一昨日からその出来具合を楽しみにアルコールを飲んでいない。クリスマス前の風邪引きから麻酔代わりにアルコールをついつい飲み続けていた。そして此処数日間は、熱が引いたのになぜか咽喉の渇きを感じていた。昨夜の電話では咽喉がもう一つスッキリしなかったが、今日の昼の電話では快声を指摘された。残念ながらワインの奇跡は起こらなかったが、断酒のお陰で体調は好転した。夕食に注いだ昨晩からの水が美味しかった。
コメント (8)
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