Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

達人アマデウスの肖像

2005-01-19 | 
モーツァルトの新しい肖像画が、ベルリンの絵画ギャラリーで先日公表された。天才作曲家を破天荒に描いた映画「アマデウス」のディオニソス的側面を補填するというが、どうだろうか。

ヨハン・ゲオルク・エドリンガーによって1790年の作曲家最後のミュンヘン滞在中に描かれたという。それが今回ボローニャにある無名の写し絵とコンピューター照合されて発表となった。確かに我々が知っているヨゼフ・ランゲの未完成の絵は多くの夢想がちな文化人や芸術家の想像力を駆り立てた。音楽自体にデモーニッシュといわれる要素が欠けていた訳では決してないが、ロマンティック時代を通してそれらがチリのように積もっていく様子は興味深い。

この年の10月に、皇帝レオポルド二世の戴冠式がフランクフルトで開かれている。作曲家はこれに参加してそこからの帰途ミュンヘンで、カウフィンガー・シュトラーセの宿に滞在している。そして、嘗てシュトルム・トランクの作風で高名を成していた画家に、このポートレートを描かせたようである。

それではこの絵が物語るものは何か?少し浮腫みがちの頬や丸い眼窩の下に垂れる肉は、同年34歳の中年の疲れを見せる。最近の研究では腎臓障害が約一年後の死因となっているようである。それは早期教育と旅芸人修行を通して神童が幼くして大人の世界に暮らした疲れである。そうしてこの音楽の神童は、知識や流行や趣味を吸収していくだけでなく、人の機微を窺う術を会得していったようだ。家族思いの彼の数々の有名な手紙を挙げるまでのことはない。

天才の発想の展開をその音楽の一瞬に何も神がかりとして見出だす必要はない。寧ろそこには欧州中を旅行した長年の経験から鋭く貪欲に吸収した文化がある。この作曲家の代表的なオペラを観て聴いて、最も驚かされるのはダ・ポンテなどのテキストを越えた的確な表現意欲である。あらゆる制約の中で明確な目標に向けて大ベテランの筆が冴える。そのシャープな焦点こそが、大人の社会に育った早熟早世の天才の為せるものなのであろう。自問してみるが良い、誰が生後30年にして例えば「フィガロの結婚」の登場人物の心情を隈なく表現出来るだろうか。そしてそれを時代様式に沿って表現出来るだけの技巧と音楽的才能を十二分に身につけていた。

これを天才と呼ばずに、なんと言おうか。この絵に描かれているのは間違いなくそのような芸術家である。
コメント (16)
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