オールドインダストリーの代表として、十年以上自動車産業の推移に関心を持っている。そのインフラストルクチャーや付随産業や技能労働者や市場への輸送等の点で、生産地移転は簡単に進まないが、予想した方向に進んでいる。ラインとマインに挟まれたリュッセルスハイムのアダム・オペル社の場合は、特に親会社GMの意向と世界戦略が顕著に出る。
1862年にミシン会社としてアダム・オペル氏によって創立された。その後創始者の子息は自転車から自動車への変換を図り、1924年には流れ作業による大量生産化に逸早く乗り出して、通称「ラウブフロッシュ」を1931年までに十二万台出荷する。一時はドイツ最大の自動車メーカーであったという。その後直ぐGM傘下となり、戦時下もオペル・ブリッツという軍のトラックが生産し続けられる。経済的利害関係を重視して、戦時中もGM傘下にあり続けたことは興味深い。戦後直ぐに戦前のモデルが生産再開されたが、ブランデンブルク工場がソヴィエト管轄となったので、ヒット商品のカデットは1962年までボッフムの工場での生産を待たなければならない。そのポピュラーなラインナップから慕われて多くの消費者は伝統あるこの会社の商品をドイツ車としか見做さなかった。しかし1993年ごろから様子が変わってきた。
幸いこの間このブランドの車を多数乗る事が出来たので、その変化は身をもって感じる事が出来た。最初の「ベクトル」の印象は極めて良かった。適当な車体の軽やかさとハンドリングがベストマッチしていた。郊外の曲がりくねった道を軽快に飛ばせ、当時の5シリーズと較べて広さを除いてはこのような路面状況では殆んど遜色がなかった。当時のAUDIよりも良かったかもしれない。前輪駆動の良さがカロッセリーに出ていた。その後、内装などの高級化が目立つようになるのと反比例して実質的な堅実さが急速に失われていった。スポーツカータイプの生産などで話題を提供する反面、人気は急に落ちていった。乗る毎に、車の仕上がりがますます悪くなっていったのを実感した。そこで地に落ちた信頼回復の音頭をとったのが、ドイツ人経営者を求められて就任した未だ若い現在のGM欧州代表である。信頼回復の成果はある程度上げたが、本人のその後の職場転換が示すように状況は更に進んでいる。
昨日の新聞には、高級車はサーブのスウェーデンのトロルヘッタンでサーブ9.3と同ベースのキャデラックを製造、中級車まではリュッセルスハイムでとなれば、本拠地の解体は一先ずお預けとなりそうだ。しかし合理化の進め方によっては、今後も昨年末に続きスト突入もあり得る。ドイツの一般論調は、「GMは欧州における質の重視を無視している。」と云うことだが、さてどうだろうか。世界戦略での共同購入と市場に近いところでの組み立ては今や常識だ。部品などはどのブランドも同じで、メーカーにはただ商業的・技術的調整力が問われる。大工場を持ったPCメーカーと殆んど変わらない。共通シャーシから、エンジン、変速機に安全装置まで全てを安く共同購入して、出来る限り接着剤を使って組み立てられる。カロセッリーも溶接を減らして接着する傾向は、今後も増える。GMの場合は、更にフィアットなどの内部に問題ある企業を傘下におさめこれを中央が管轄していくだろうから、市場にあった製品開発や品質管理こそが問われる。ある意味、オペルでは消えて久しいドイツのクラフトマンシップを侮辱するようなこの救済策にこのブランドのイメージの再喪失がなければ良いと願う。