
オッフェンバックの「ラ・ぺリコール」というオペレッタをTV鑑賞した。本場パリのオペラコミックの制作である。メリメのペルーを舞台にした台本で、悪総督が若い大道芸人の歌姫と恋人の横恋慕をする話である。総督はちょび髭のアドルフ、恋人はプレスリーと舞台設定もさることながら歌もラブミーテンダーなどをいれ自由に演出されていた。そのような支離滅裂なところが、かえって現代のパリのオペレッタを取っ付き難くしているところもある。流石にパリは、このようなショウとも歌芝居とも付かないものを巧く料理する。それを楽しむ聴衆も味わい方を良く知っている通である。これをヴィーンのオペレッタなどと較べると僅か千二三百キロメートルの地理的距離にとてつもなく大きな文化的隔たりが横たわっているのを改めて教えられる。
パリは、バロック時代から伝統的に執拗にバレーの要素を舞台芸術に求めてきた。なぜかフランスの放送局はいつも夜中に音楽番組を放送していて、今朝クリスティー指揮のラモーのオペラが流れていた。そこでの瞠目に値する運動も遣り過ぎなほどであったが振り付けが素晴らしい。ラシーヌなどの伝統が今でも生きているようである。
オペレッタでもフィナーレやアンコールのカンカンだけでなく、踊りの要素はフランス語の台詞と同じぐらいに華やいだ雰囲気をもたらす。その身のこなしといい軽いステップに言葉のイントネーションは真に洗練されていて、なるほどこうした文化が新大陸でブロードウェーに引き継がれていった様子が想像出来る。ヴィーンのそれが旧ハブスブルク文化圏を出ないのに較べて、全ての動きやニュアンスが都会的なのである。
筋の運びも速く、風刺が良き効いていてベルリンやヴィーンの其れのように湿っていないのが良い。ブレヒトの芝居やソープオペラと較べてみたい。落ちは総統が、「俺は民衆やデモクラシーは信じられんよ。二月前の選挙結果を見れば分かるだろ。」と語る。オープニングから緊張感なくしてフィナーレの醍醐味へと誘う技は何とも心憎い。
そして女性の動きも決してコケットにはならずに、市中のそれよりも爽やかなのである。女装やゲイも活き活きとしている。カンカンのスカート捲りもこれゆえにチアーガールなどよりも遥かに健康的である。そして最近のカンカンガールはTバック着用を学んだのも大きな収穫だ。
フランスの円熟した大人の文化である。年頃のパリジェンヌとのランデヴーにこのようなものを楽しむのもきっと気が利いているだろう。