粗二十年ほど知己の女性がいる。黒い森の親しい家族の主婦である。村の若い衆もその家族の先代をだんだんと知らなくなってきている。その先代の息子、つまり当代の主人の妻がこの小母さんである。昔から親しくさせて頂いている。ご主人が腰を痛めて都合が悪い時には、本人だけでなく姑の婆さんまでを車で送り向かいさせて頂いたので、村の衆の話題ともなった。彼女の運転でフライブルクの町へと彼女の娘、息子を連れて買出しに付き合った。彼女が殆んど走らないアウトバーンを後ろを向いて話し込みながらハンドルを握り、路面電車の通る都市交通にパニックを起こして万歳をしてと、その不慣れな運転に途中で変わざるを得なかった。要するに山向こうから嫁に来た田舎者なのである。しかしあの周辺のナンバープレートの車のたどたどしい運転は、フライブルク市を含めて共通している。
ある日の午後、彼女の息子がバーデン州では一般的な半日学校から帰って来て宿題をやっていた。彼は、その時10歳位だったと思う。だから上級学校へそのまま進むかギムナジウムへ進むかは既に選別されていたかもしれない。その算数の問題は、幾何でピタゴラスの定理の最も有名な証明の変形で四角を三角形に分けて底辺と高さの違いで較べてそれを足して、面積の大小を較べさせる、章節の後の方にある応用問題だと記憶している。何故覚えているかといえば解き方を教えてやろうとしたのだが、如何せん当時は教育的語学力が欠けていた。
母親が付いて悪戦苦闘して小さなマスを数えて変な事を試みている。これも四角形を分割、三角形を相似させれば意義があった。暫し傍観を楽しんでいたのだが、それからが大変だった。問題の解けない苛々は絶頂に達し、子供はどうして良いか分からずウロウロしだし、彼女は終に泣きながら村の大学出の父兄のところに電話をして教えを請いに出かけた。勿論子供もべそを掻いてしまった。
この午後の事は、今でも印象に残っている。彼女の情けない気持ちだとか無力感故ではない。家庭環境とか教育レベルに依存した教育システムの問題をこの目で如実に見たからである。この話を「教育の貧困」という昔のプロレタリア文学風に纏める事は出来るが、その先の教育の均等化に生まれるものを我々は知っている。ものを知らない事は決して恥ではない。しかし彼女は、そもそも何を知らないかが解らなかった。教育程度や家庭環境を恥じたのか、それとも彼女自身の思考の限界を感じたのか。その全てが混ざり合っていたのであろう。
謎解きをすれば、知識として必要なものは三角形の相似とか面積の出し方だけであったが、大人でも問題の意図を理解していないとなかなか要点をつけない。ピタゴラスの定理の沢山の証明などもその幾つかをうろ覚えしているとかえって結論に近づけないのと同じである。この応用問題の出題者は、どんな教育的効果を期待したのだろうか?回答と方法が始めにあっての問題作成なので解法が豊富で複雑になるほど、想像力とか直観力というものからますます遠ざかって阿弥陀籤に近くなる。そのような「風が吹けば桶屋が儲かる」式の複雑な思考作業は、その任に専心してこそ始めて合点が行き必要になる。それでもこれは、最小の知識からの試行錯誤を問う良く出来た問題であった。黒い森の「樵の倅」から第二のケプラーを探し出すのが目的だったかもしれないが、それは期待過剰である。教師はこれを宿題にするべきではなかった。