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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自宅よりも快適な車内

2005-02-14 | 歴史・時事
労働技術博物館で「自動車の楽しみ」と名づけた展示があり、ジャパン・デェィにそれを見てきた。学生諸氏の講演にて、「日本での自動車広告」、「本田聡一郎」や「ロシアにおける日本車」等、普通は余り取り上げられない主題を扱っていた。日本における自動車工業の現状を習うと共に考える事が出来た。

自動車の広告に関しては、如何してもこのような簡単な発表では全く取っ掛かりすら出来ない、興味ある問題である。それを独日比較として命題する事に無理がありそうだ。ここの聴衆の視点からの比較なのだろうが、如何しても類型に押し込めてしまう事にしかならないからだ。それでも、トヨタが広告を牛耳っている事を初めて聞き、VWはアウディーとは大きく異なり広告戦略がそのVW車のシャーシの使い回しの如くそれが本国の広告と変わらないというのは可笑しい。メルセデス・ベンツの女性誌攻勢も興味深い。三菱がノスタルジーに訴えるのは、グループの黄昏感そのものでこれは笑えない。新機軸の広告姿勢にフランスとの共通点がある事も成る程と思わせる。ロシア人学生の視点から見たロシア問題は、トヨタ進出が発表されてから三菱の姿勢が注目されている時期に聞くとますます混沌として分からなくなる。本田氏の生涯は、若い日本人学生からすると既に伝説になっている事にも驚く。

お目当てのヘルガー・ブンクシェ氏のガイドは、日本自動車工業の歴史を辿って現状を示した。実はロータリーエンジンなどの技術史を期待していたのだが、人文的な主題もそれなりに得る事があった。自動車工業の曙をドイツと日本での時間差を約12年と少ないとする定理から氏の主張は導かれる。つまり現在までの発展においても余り差がないということで、その小さな差異に注目していく事が興味ある議論になるということであった。この点に関して、1970年代のオイルショック時にカタライザーの導入を巡ってゴルフがアウトバーンの出力に重きを置いている矢先に、カローラがこれを装着して市場に大きな足がかりをつけたことなど、重要な歴史が示された。さらに1980年代の品質管理におけるトヨタシステムのドイツ(ポルシェ)への導入。週末の「車で出かける」と「ドライブしましょうか」の独日の相違も面白い。

個人的に最も為になったのは、1925年からの日本におけるGMとフォードの横浜・大阪での組み立て工場体制である。アメリカ車が何故それほどに日本で愛用されていたかの疑問が解けた。これで日本の自動車工業は淘汰されたが、東京ガス・電気、石川島、ダットエンジンは生き残った。その後トヨタ、日産に再編される。1937年のGMの撤退と三年遅れてのフォードの撤退が、日本帝國政府の基幹産業国有化と乗用車から軍事・輸送への転換によってもたらされた状況は非常に示唆に富んでいる。何故ならば、第三帝国のヒットラーは、同時期に「ラインのドイツ車」としてリュッセルスハイムのアダムオペルのGM工場を積極的に保護したからである。その前後とその後の経過は、嘗てここで記したとおりである。この政策の違いには色々な背景があるのだろうが、それほど単純な経済条件の相違では無いように思うのである。

このマンハイムの博物館は大きな建物で都合三度目の入場だが、労働が展示されるだけにカール・マルクスの立ち像やプレートが至る所にあり面白い。この種の技術博物館では、ミュンヘンのドイツ博物館が鑑である。建設費用と維持を考えると、「博物館行きの古いものを展示して触れる」だけではいけないのだが、その方針を誤ると「分類する方法自体」が博物館行きの鑑識眼になってしまう。今までここで体験した特別展示を挙げておく。「大島渚氏講演」、「人体プラスティック工芸展」、「自動車の楽しみ」。


参照:架空のクラフトマンシップ [ テクニック ] / 2005-01-13
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不毛の土地の三つの星

2005-02-13 | テクニック
今更と思うかもしれないが、バイオディーゼルの話である。実用化されていても、適合不適合や不都合も聞き、十分に普及しているとは言い難い。温暖化防止だけでなく環境税の影響もあり、ここ数年のドイツでのディーゼルの躍進は凄まじかった。しかし電池、水素、天然ガスとそれらの併用との比較の中で、ルドルフ・ディーゼル氏の115年前の発明であるこの内燃機関の今後は不透明である。バイオディーゼルへの研究は、その結果如何に依らず価値ある試みである事が以下のプロジェクトで計り知れる。

このプロジェクトは、インドの不毛地帯でオイルと蛋白を多く含んだナッツを収穫して、粉砕してオイルを絞り抽出、それをエステル交換してバイオディーゼル燃料にしようと云うものである。こうして資料を見ると良い事尽くのようである。

先ず比較的容易に精製される燃料の質は高く、現時点でEU基準に達しているという。排出ガスにおいても利点が見られるという。二酸化炭素排出濃度は通常の原油オイルに較べはるかに少ないという。そしてこれは、その原料となる植物が消費した二酸化炭素量と相殺することも出来る。ただ栽培と収穫の仕事量とそれらの輸送、オイルの輸送も計算に入れなければならない。

精製の手順を詳しく見ると、ファイルターリングした原材料のジャトロファナッツの植物油は、大豆やナタネ同様に基本的にトリグリシンのグリセリンエステルから出来ている。この三価のアルコールであるグリセリンをメタノールと置換する事で燃料として使える。このようなエステル交換の後、その他の不純物を遠心分離して水洗いする。実験では8トンのナッツから1300リットルの上質のオイルが精製されている。

再び塩で不毛の荒野へと戻る。森は燃料として切り倒され、乾いた大地はますます悪循環の中で不毛となって行った。インドでは、昔から植物は野生の草食動物から守るために柵を作らなければいけないという。10ヘクタールの試験場では、如雨露で水をやり最低限の投資と労働で塩に強いこのナッツを植えていった。ここで基本として考えられたのが、目的の収穫以外にその残留物等が全て使い尽せるシステムである。こうする事によって生態系にも好循環を生んでいく。つまり化学肥料による土地の改良を初めから考えずに、一つ一つの改良を積み重ねていく。こうして出てくる残留物の蛋白質の飼料で家畜が育ち、それがまた土地を豊かにしていくという循環を考える。目的は、あくまでも最小限の投資での生産価値効率である。だから苗そのものも厳選される。種植えでない挿し木による収穫量の予測などを重視する。

1998年に始まったこのプロジェクト。少なくともこうしてみる限り、残留物の毒抜きやそれらの物質の商品化などを今後解決していく事によってますます効率があがる。徹底的な合理主義である。万一、バイオディーゼルが商業的に成功しなかった場合でも、その中間製品が商品となる。こうして万全を尽くしたプロジェクトは、短期的な成功よりも幅広い技術革新を巻き込んで津波のように突き進んでいく。プロジェクトの中核となっているダイムラー・クライスラー社の技術革新の方法論そのものである。
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強精ビールとチョコレート

2005-02-12 | 料理
断食の40日間 -ビール
 2004 02/26 編集

中世カトリックの断食は、1491年に法王ユリウス三世によって緩やかなものになった。それ以前は、乳製品や卵も「流体の肉」として扱われていた。肉を絶つ事は、キリストの死を思い起こさせ、禁酒並びに禁欲と合わせ精神的な贖罪の日々を意味する。茶もコーヒーも無い時代、生水も衛生上飲料不可であった。修道所では、断食の期間も灰の水曜日と聖金曜日を除いて一日に一回の食事と二回のビールが許された。15世紀以前のビールは、まだホップ風味ではなく、原料に大麦以外の穀物も混じる発泡性の少ないビールだったようだ。断食以外の期間は、ワインの供給などもあり、修道所の日々の肉体労働に対して一日に平均5000~7000カロリーも摂取していたとある。修道士の衣の下に、寒さと飢餓に耐えられるようなブクブクとした脂肪層が隠されていたのだ。


断食の40日間 -チョコレート
2004 02/29 編集

「淫らな欲求を引き起こす」としてチョコレートに異議を唱えたのがドミニック修道会である。それに先立つ事一世紀ほど、法王ピウス五世はメキシコ司教からカカオの贈り物を受けた。1545年から1563年までのトリエント公会議の時である。教会組織の弛みへの反動から再び引き締めを目指した。法王ピウスは、この珍しい贈り物に怪訝な目差しを投げかけ、鼻を鳴らし、一口すすると、殆ど咽ながら不機嫌そうにいった。「これは断食の戒めを破るものでは御座らん」。こうして脂を除いたカカオとバニラと砂糖を混ぜたココアが断食の季節にも飲まれるようになった。イタリア・スペインから欧州全域へと一気に広がっていった。

その後イエズス修道会は、積極的な布教活動で得た新天地利権を拡大させようと、グァテマラで発明されたチョコレートの普及に努めた。それが、イエズス会とドミニック会の大論争を引き起こす。結局、1662年にチョコレート論争は決着した。イエズス会が、海外投資の種の一つを実らせた瞬間だった。
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現代人の断食

2005-02-11 | 数学・自然科学
昨日から40日間の断食期間が始まった。さて現代人はこの風習をどの様に捕らえているのか、昔の修道士はどの様にしていたかをこの期間中追いながら、これをフィットネスの立場から実践してみたい。勿論その背景に無批判に受け入れてきた近代人の暴飲暴食へのライフスタイルへの反省がある。そして身近に菜食主義者を多く知り、その妥当性とその普及を見る。少なくとも肉食の削減をもって、十年来の肥満と成人病への危機を医者無しで一先ず乗り越えて来た成果は実証済みである。これに気が付かなかったとすると、遅かれ早かれ慢性病で間違いなく薬漬けになっていたことであろう。

断食という限り食事を抜く事になるのだが、断食療法の効果を期待するのでなければ無理して行うつもりはない。機会があれば、気が向けば、抜いてみたい。実はこの季節、運動量にもよるが食事を必要としない気候や夜がある。不健康で食欲が減退するわけでは決してないが、新鮮な空気で胸が一杯になるのである。さて思春期の少女のような言い草は差し置いて、断食療法への医学的見解を垣間見てみる。

ディナー・キャンセリングという言葉が示すように、暴飲暴食の疲れが出ていないか?無駄なカロリーを摂取していないか?その反対に摂取の制限で、アポプトーゼとか細胞死とか云われる癌細胞に対する養分の供給を絞る事が出来る。この効果は、アンチエージング研究ではまだ解明されていないと云う。しかし、いうところのヒート・ショック分子がたんぱく質組成に関わる構造に有利に働きそれを決定する。断食でこの分子生成が促進されるという。つまり免疫、ホルモン、血液系他臓器に影響を及ぼす。この経過はハッキリしていないが事実という。

ホルモンへの影響、例えばメラトニンや成長ホルモンが、カロリー減少で増える事は明白らしい。これらが、健康や長寿を司っている。そしてこれらは時刻によって定期的に生成される。深夜になって初めて脳のヒポフィーゼでHGH(成長ホルモン)が生成される。豪勢な夕食がこれを阻害する。その他ホルモンの生成は、胃袋に負担をかけ続けることよって妨げられる事が分かっている。メラトニンこそが体温を下げ、免疫系の再生を託す重要なアンチ・エージングホルモンである。この直接の相関関係は不明であるが、体温の低下は細胞の再生をも促すという。

こうして中世の修道士でもなく、狂信的なダイエット志向でもなく、熱心な断食療法信奉者でもない現代人が、気候的にも都合が良いこの期間、食生活に配慮してみることは悪い事ではなかろう。





参照:
発育・成長・老化の中で [ 数学・自然科学 ] / 2004-12-19
<Mens sana in corpore sano> [ 数学・自然科学 ] / 2004-12-31
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高地の寒い冬を埋葬

2005-02-10 | 歴史・時事
晩の6時になるのを待っていた。昨年の11月に、市民は5メートル以上もある大木で役所の玄関を打ち破って乱入した。市長を外へ引きずり出し、税金ご免などを叫んで全ての権限を勝ち取った。灰の水曜日にこれを再び返還するのである。例年は未だ外も明るく、喪服にシルクハットを被った一団が小さな棺桶を担いで葬送行進の小太鼓に乗ってやってくる。昨年の突入の瞬間を撮影出来なかったので、今日はこの瞬間を待っていた。松明を掲げた子供たちが、今年は自粛して玄関を固く閉ざした役所から、普通の経路とは逆に教会の方へと行進して行った。津波寄付が手渡された。

こうして象徴的な権力の奪略と委譲と同時に冬の宣言と埋葬が、ライン河畔のカーニヴァルの伝統の上に行われる。奴隷制度、封建制度、専制主義、独裁主義からの開放が同じ軌条のなかで捉えられる。実はこの行事、宗教的な日に喪服を着て行われるので、始めの乱入とこの棺桶の埋葬が繋がらなかった。こうして考えてみると、プロシアの与えられた啓蒙主義の中では育ち得ない文化である事が分かる。この地方のファスナハトで最も過激な行事である。

ついでながら「政治的灰の水曜日」と云うのが伝統的に存在する。これはバイエルンの百姓が、16世紀にフィルスホーフェンで開かれていた家畜市の集まりに王国の政治について放言した事から始まるという。この伝統を受け継ぎ、バイエルンの戦後の新しい保守政党キリスト教社会同盟がビール片手に口角泡を飛ばす会をパッサウで開き、他の政党もこれに倣った。

何れにせよカーニヴァルもしくはファッシングの無礼講の伝統は、庶民の憤懣のはけ口となってきた。この精神を良しとするか、只の政治的安全弁と見做すかは意見が分かれよう。

こうして、カーニヴァル、ファスナハト、ファッシングと回って、謝肉祭の季節が終わった。(灰の水曜日の前に [ 文化一般 ] / 2005-02-09より続く)



参照:アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07
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灰の水曜日の前に

2005-02-09 | 文化一般
19世紀前半にカーニヴァルを扱っている芸術家にロベルト・シューマンがいる。ピアノのために25歳の時に作曲した「謝肉祭」と29歳の時の「ヴィーンの謝肉祭の茶番劇」である。特に前者は初期の名曲で曲集を四つの音、A(イ)、S/Es(変ホ)、C(ハ)、H(ロ)または三つの音、As(変イ)、C(ハ)、H(ロ) による音階を織り込んで構成している事で有名である。もう一つこの曲集の最後の曲が、この作曲家らが参加している芸術運動に寄せて「ダヴィデ同盟の行進曲」になっているのも注目に値する。作曲家自らこの曲名について1835年の「灰の水曜日」(ASCHERMITTWOCH)前(謝肉祭期間)の作曲完成に因んで付けたと語っている。ハイデルベルク滞在からイタリア旅行を経験して、出筆、出版活動を始めていた。政治的謝肉祭と云うものが、ライン流域のカーニヴァルに端を発して、現在も存在する。無礼講の祭りにおける自由精神の発露と云うが、ここで作曲家が示したかったのは直前の時代・世代の芸術的俗物主義を批判するロマン主義芸術へのモットーだったのだろうか?先天性の梅毒が悪化、脳神経障害を起こして、デュッセルドルフの橋からラインに身投げをしたのが謝肉祭が終わる二日前の1854年2月27日「薔薇の月曜日」であった。

木の芽立ちのこの頃、誰もが湧き上がってくる生気を自ずと感じるのである。特に冬から春への気候の変化の激しい日々、例えば先週の金曜日の日差しは強く一斉に芽が吹くような陽気であった。謝肉祭は、カソリック地域の行事であるが、実際は土着的な風習であることに気が付く。このような祭りに自らマスクをつけて参加して汗を掻くと、その効用が良く分かる。悪魔的な夜の松明から灰の水曜日まで参加するとなると、冬の間に体内に溜まった全ての不純物が一斉に皮膚を通して放出される。

ライン流域のカーニヴァルは共通していて、プァルツも殆んどこれと変わらないが、ケルンの場合はカーニヴァルとしか呼ばれないのに対して、マインツは概ねファスナハトと呼ばれる。(非俗物たちのマスケラーデ [ 文学・思想 ] / 2005-02-08より続く、灰の水曜日の前に [ 文化一般 ] / 2005-02-09へと続く)



参照:アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07
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非俗物たちのマスケラーデ

2005-02-08 | 文学・思想
マスクの種類や衣装について、エルツァッハを例に少し詳しく見よう。

先ず赤いうろこ状の羽根の付いた衣装だが、これは元々ストローや麻などを染めてぶら提げて作っていた。それが燃えやすいので皇帝ヨゼフ二世によって1781年に禁止となり、その後は生地で作ったものを下げるようになった。分厚いので結構重量感がある。

バロック風の帽子は、カタツムリの殻で飾られて両サイドに付けたぼんぼりで三角に尖っている。シャークスピアーの戯曲にもこれに似た女性の三角髪結いを見ることが出来るが、当時の流行であったらしい。

マスクの種類は、大きく分けるとここだけで七種類ほどになる。大多数のマスクに加えて、角を生やした黒い悪魔以外に、髭を生やした森の樵の面やゲルマンの熊へ、原生林への畏敬を表す面に混じり、明るい白系の色の面も混じる。そのなかで更に目立つのが白地に黒い斑点をつけた衣服のイモリの面である。その斑点が太陽と月を表すらしい。

同じようなストローの衣装を着ていることからオーストリーの一部ではクネヒト・ルップレヒトも含めてクランプスと呼び、それらは冬季と夏季の葛藤を表すようだ。そこでは十二月の聖ニコラウスの日に子供たちを震え上がらせつつ門付けをして回る。シカネーダーの演出の鳥刺しパパゲーノの衣装を思い出して頂きたい。ストローで作った藁人形を春分に燃やす風習も欧州にある。これらのフィギュアー自体が冬季の植物の精を表すとなると、全体像が更に良く見えてくる。しかしここでバロック的な二律背反する善悪の構造を設置すると理解を誤る恐れがある。

マスクについて気になる文章をネットで見つけた。有名な旅行記「イタリア旅行」に、1787年のローマのカーニヴァル体験を綴ったのがゲーテ氏である。そこで扱われるマスクは、17世紀のコメディア・デラルデで有名なキャラクターであるプルチネッラ等である。劇場のマスクが市内を制圧しているのを指摘している。ここでは、少なくとも市中の祭りより先に劇場が存在している。文豪はそれなりに祭りを体感しようと試みる。それどころか各々の自分の目で以って直に見るべきだと言い切る。この偉大なる俗物は、下級女性の肌蹴た胸や裏町の騒動に古代馬車競技に興奮して突撃取材を遂行する。(アレマン地方のカーニヴァル [ 生活・暦 ] / 2005-02-07 より続く、非俗物たちのマスケラーデ [ 文学・思想 ] / 2005-02-08 へと続く)
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アレマン地方のカーニヴァル

2005-02-07 | 
カーニヴァルシーズンで、最低気温は非常に低いとはいえ俄然春めいてきた。カソリックにおける謝肉祭もしくは断食前の夜を示すファスナハト、ファッシングまたはシュティックというアレマン地方の仮面の行進を紹介する。これもローマ都市ケルンで有名なカーニヴァルと同じくキリスト教化以前の文化に端を発する祭りである。ライン流域のローマ植民地の無礼講の伝統と最も違うのは、ここの興味深いが奇妙ななまはげの様な木彫りのマスクである。バーゼル、ロットヴァイル、エルツァハが有名で、マスクに多くの共通点がある。これらをヴェネチアのマスクと較べるまでも無く、他の多くの土地の覆面はバロック風であったりして祝祭が普及していく過程でより時代様式が取り込まれている。しかしこれら一部地域ではマスクの特異性を根拠として、キリスト教化する以前のケルト人などの祝祭に遡ることが出来る。16世紀ごろに祭りが定着した時点で、既に其々の土地の意匠に大きな差異があったようだ。

ファスナハトの時期を十一月の聖マルティンの日に始めて灰の水曜日に終えるとすると、イタリアの一月六日の東方からの「三人の王の祝日」に訪れる空飛ぶ魔女ベファーナを思い出す。何故ならばそれはイタリアのサンタクロースであり、子供へのお土産の配達人であると同時に、キリスト教以前のフィギュアであるからだ。その魔女も聖ニコラウスのお供クネヒト・ルップレヒトのように懲罰も与える。上のシュティックでは悪魔の面は1200面ほどの中に一つしか存在しないが、全体を煽り先導する。さらに、豚や翁等の特殊面の一部を除いて大多数の標準面は揃って、豚の膀胱で作ったボールを地面に叩き付けて女・子供たちを驚かせる。この要素は、ライン地方の身分ご免の祭りと大きく異なる。(非俗物たちのマスケラーデ [ 文学・思想 ] / 2005-02-08 へと続く)
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また次の機会にね

2005-02-06 | 
一面の雪に隠された草の丘陵を、暗い木の窓枠に収めて漠然と見入る。午後の光は白く乱反射しながら、近くのシルエットをぼんやりとさせて、遠くの背景の稜線に包み込む。大台の誕生日を前日に祝った彼女は思った。「20年前の光景は記憶の中では殆んど変わらない。草むらに寝そべって遊んだあの時の日差しも草熱れも目前にはない。カウベルの響きも今はただ雪に閉ざされているだけだ。様々な人がこの小さな谷へ訪ねて来た。馴染みの顔も浮かべば、顔も名も浮かばないない数々の人々。机の下に潜って遊んだ好奇心に膨らんだ嘗ての少女は探しても今はいない。羊や豚の家畜小屋も無くなった。母屋の前にあった、夏に心地よい影を提供していた大木も切り倒されて今はない。ライプチッヒから来ていた骨ぎすの懐かしい男も出て行った。皆が気づかぬ間に時が流れ、あの時と同じものは良く見ると何一つない。あの日のまるで時が止まったような嘗ての永遠の感じは戻らない。」。

地元の銀行に勤める気に入った男がいる。それでもどうしても繰り返しのような日常を感じてしまう。今日も昨日のように、明日も今日のようにきっと時が流れる。そうして20年先、30年先のやはりこうして変わり映えしない光景を眺める彼女自身が見えてしまう。そして間違いなく何かが少しづつ変わってしまっている。

「全然変わらないね。」と挨拶をしてから、ぼんやりと物思いに耽る彼女に「僕のために特別に明日早起きして、食事の用意をしてくれないか?」と尋ねてみた。「駄目駄目、今、待っている男が来るから。そうじゃなかったら、あんたと一緒にブレックファーストするんだけど。」。彼女の母親は、僕に言った。「また次の機会にね!」と。
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黒い森のスキーサーカス

2005-02-06 | アウトドーア・環境
ヘルマン・マイヤーが数年前に滑降で優勝したシュヴァルツヴァルトのFIS公認ピステを滑ってきた。二回目であったが、今回は雪の量も多く比較的素直な斜面になっていた。元々大回転コースとして公認されているので、滑降としては、只谷へかけ落ちるだけの三段の一枚斜面である。滑降競技の場合はそこから林道を下の村まで更に速度を落とさず120キロ以上で飛ばさせるようである。少年スキーチームなどは来ていたが、オーストリーの立派なスキー場のように、競技風に飛ばせる人は流石に来ていない。

このところ温度が低かったので、10日間ほどかけて十分に積もった雪が、海抜1400メートルの標高の割りに質良く保たれていた。そのお陰で、天気がよくて人出の多いスキー場内アクセスの長い待ち時間を、比較的堪え忍ぶ事が出来た。その斜面を三度ほど滑ると、食事抜きだったので、喉も渇き気分が悪くなった。行きのアクセスを粗逆行して出発点へと帰り、車まで歩ける所へと戻ってきた。スキー場下部のガラス張りテントで、樽だしのシュヴァルツヴァルト産へーフェ・ヴァイツェンを飲んで意気を取り戻した。休憩なし5時間実働でも、距離も高度差も稼げなかったが、長い時間雪の上にいるだけで楽しんだ。

なんといっても標高が低いので呼吸が容易く、滑るのが楽である。オフピステで林間を滑るのも面白そうだったが、深い林は滑走禁止となっていた。雪崩や事故の危険でなくて、植物や森の動物を保護するための処分である。しかしこの説明が十分になされていないのが遺憾であった。説明がなければ思慮も思考力も知識もない一部の若いスノーボーダーのように誰でも簡単に立ち入ってしまう危険性がある。

バーゼルへ出るまでの谷で、早い時刻の食事を摂った。ワインは、カイザーシュテュール産のバーデンの赤シュペートブルグンダーを飲んだ。2003年産だろうか辛口と云いながらアルコール度も高く、バランスが取れていて酸を抑えたナオサのような味であった。アルコールに立ち昇る芋焼酎のような臭さが初めてで珍しかった。
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マイン河畔の知識人の20世紀

2005-02-04 | 文学・思想
T.W.アドルノの書いたものを読んだ。彼はマックス・ホルクハイマーやハイデッカーの弟子マルクーゼと共に、社会学・哲学で有名なフランクフルター・シューレを形成する。ユダヤ系で新マルキストの系譜であるこの一派は、当然ながら1933年に追放され、戦後に直ぐに復帰した。

アドルノのエッセイの中でとりわけ有名なのは、1944年から1947年にかけて記した「ミニマ・モラリア」である。ユダヤ系知識人が著した傷ついたドイツ文化の書として一般の興味も集まった。特に若い新しい層の学生に人生哲学書として受け止められ、彼らを虜にした。そしてその後20年近く経って、フランクフルトの新聞への投稿で始まった「特異性のジャルゴン」が著されている。当時の半知的人学生運動の文化的影響を受け止めて、その立場から自己修正していく。それでいながら同時に隠語を使って、二義的な意味を獲得している。これに気が付くと彼の著作や思考の印象が大きく変わる。修辞法が巧妙で、著者の微妙な立場を反映させる事になるが、これはますます理解を困難にしていないだろうか。

前者は1960年代の学生運動時代に愛読書となったと同時に、運動が過激化していく中で体制的と見做されていく。このときフランクフルトの聴講学生に混じる、現在の緑の党の外務大臣ヨシュカ・フィシャーがいる。このハンガリー移民の業を父親に持つ青年は、その後アダム・オペル社での労働運動を牽引する。左翼過激派がテロを起こす1977年まで帯同して活動。1981年の政治家暗殺事件に彼の車が武器輸送に使われたとしてスキャンダルとなる。

この小冊子、今から10年ほど前に近所の小都市の百貨店で処分品の籠の中で見つけて、題名に憑かれて買っておいたものだが、これを仕入れて売ろうとした試みがなんとも不思議だ。ワイン片手に木陰に座りながら、それも現代の哲学に読みふける様子など見た事はない。当時の思潮が歴史の中で捉えられて、期限の切れた薬のように扱われる時、これらの書がどのように読まれていくのだろう。現代の教育、躾、教養、個人、社会などを考えると、40年ほど前のその時代自体に、隔世の感を禁じえない。



参照:ワイン商の倅&ワイン酒場で [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
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ワイン商の倅&ワイン酒場で

2005-02-04 | 文学・思想
2004 02/11 編集


フランクフルトのワイン商の倅 - T.W.Adorno (1903-1965)

テオドール・W・アドルノ。父のWiesengrundはワイン商人、母はイタリア人歌手Maria Calvelli。生誕100年の昨年は、様々な視点から多くの書籍が出版された。研究者や同業者でない限り、業績の質と量の全貌はつかみ難い。それでも断章からも捉えられるのは、彼のトレーニングされた冷徹な思考と率直だ。何処までいっても熱を帯びないその思考の展開は、後のベンヤミンと対照的。彼の専門分野の一つでもあった音楽のように思考の中心軸が絶えず動く。彼が、reinen Wein einschenken (直訳:生のワインを注ぐ)の諺の如く絶えず「真実を語れる」のはこの自由度の賜物だ。ワインは、先入観念無く飲めという事だ。


ベルリンのワイン酒場で - Walter Benjamin (1892-1940)

ヴァルター・ベンヤミンが「ホフマン物語」の「語り手」E.T.A.ホフマンについて記している。ワイン酒場で夢遊病者のように亡霊を見、誰彼とかまわずに語りかける「語り手・ホフマン」についての証言を扱っている。作家のヘッセが、「悪魔的」と評するこの「人相観ホフマン」を、希なる都会の孤独な観察者として位置づけるベンヤミンだ。彼と「ホフマンの物語」との少年時代の出会いを読むと、感じやすく熱狂する少年ヴァルターが手に取るように分かる。後年のベンヤミンの仕事と業績は、その感受性ゆえの洞察力と分析力に他ならない。この亡命途上に自殺したユダヤ系ベルリン人は、重要なドイツ語著作家に今後とも数え上げられる。
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タペストリーの12ヶ月

2005-02-03 | 
毎年二月一日になるとカレンダーが半額になる。昔は貰う物と思っていたが、このセールを知ってからは名画などの比較的高価なもの半額で買うようになった。十二分の一プラス表紙を捨てるだけで、安く良い物が見付かることもある。なによりも知らない面白い図案に出会えるのが喜びである。

こうして午前中から毎年同じような顔ぶれがおもいおもいに集まり、物色を始める。年々本屋の方も買い付けが上手くなって、名画の気の利いた印刷物は流石に売れ残らなくなった。今年は結局絵画を外して、ステンドグラスの写真のフォイル付きとフレスコ画の写真付きの二種類を購入した。特にステンドグラスの方は台紙から外して使わないでも、壁に窓がついたようで気持ちが良い。

今月の意匠は、ヨハネスの福音や黙示録を纏めた預言者と名前の同じ12人弟子の一人ヨハネスである。植物の蔦が上へと伸びる枠に、赤と青と白の細密画のタペストリーが敷かれそこに上下に円と四つ花片が交互に重なって並ぶ。下のほうの花片には、有名な逸話である毒を盛られるヨハネスが描かれている。ヨハネスが十字を切ってこれを飲み干すと、既に傍の盗賊二人は既に事切れていて、彼らを生き返らせたという話である。これをして、祝福されたワインをヨハネスの無病息災のワインという。聖杯に浮かぶ蛇は毒を意味するという。13世紀のステンドグラスらしい。
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「ワイン飲み競争の絵」デジタル登記

2005-02-02 | 歴史・時事
ついに幻の「ワイン飲み競争の絵」、ネット初公開である。未払いだった「公的機構会費」強制取立て執行の脅しに、向かい側の役所に出向いた。執行人を訪ねたついでに、ロビーに飾られている町の秘宝である15世紀の絵画を眺めてきた。陽の差し込まない壁面に、立派な額縁に収まった2x1メートルほどの少し黒ずんだ油絵が飾ってある。手前下のガラスのケースには、通称「ロルッシュのコデックス」の分厚い複製本が収まっている。これのオリジナルは、1300年前に書かれたこの地方で最も古い登記簿である。ロルッシュは、アルプス以北では珍しいカロリンガー様式の修道院で有名な町の名前である。

ここの修道院廃墟と門はユネスコ指定になっている。ダルムシュタットと公会議やカトリック荘園で最も有名なヴォルムスの中間に位置するベルクシュトラーセの町ロルッシュは、永く宗教思想のメッカとして有名であった。ここで著された数多くの貴重な古文献の一つがこのコデックスである。ヘッセン南部のここから150キロ四方で書かれていない土地はないというほどに地図付きで主要な不動産を網羅している。その他にも北海からウルム近郊ボーデンゼー、バーゼル、アルザス、ゲントまでを盛り込んである。その全てが神の名の下に守り神の殉教者ナザレスからとして、登記されたところは全て賜ったものとなり、教会の覇権が自動的に及ぶ仕掛けだ。数箇所の地所については、流石に厚かましすぎると思ったのか現地の修道所の名前が併記されている。既に町自体が教会の元で印を下賜されているから、至極当然な成り行きである。

こうしてシュパイヤー郡の我が町にも、ワイン地所が進呈されたとある。ここからは、郷土史の専門家や専門の学者に聞かない限り定かでないが、この絵について推測してみる。少なくともこの飲み較べは各々が後見人をつけているところから、真剣勝負である事が分かる。地元修道所は、上の登記などを根拠に年貢とは別に、覇権を盾に自己消費用のワインを町のワイン農民達に要求したのだろう。つまり飲み競争をする事で、農民が自己消費する量と奉納の比較が出来る。こうして勝てば要求を増やす事が出来、負ければ現状維持以上は望めない。なにか現在の役所の年間予算のようなもので、飲み干さなければいけないのだ。

明らかにこの絵の視点は、飲みつぶれる修道所長を揶揄する農民にあるので、上の説明で合点がいく。すると、農民の身寄りとして描かれている戸口で心配そうに中を窺がう女性は誰だろうか。フランドルの画家ブリューゲルの絵のように、なにか一つの物語が綴れそうである。効果を狙ったのだろうか、それとも何かの隠喩か。如何なものだろうか?


参照: 伝承「ワイン飲み競争」の絵 [ 歴史・時事 ] / 2004-12-30
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ワイン療法の今昔

2005-02-01 | ワイン
今から130年以上前のこと、ダルムシュタットにあったエリザベート・ホスピタルではワイン療法が行われていた。1871年のある6ヶ月間、755人の患者に対して投与された量は以下の通りである。
  • 白ワイン - 4633本
  • 赤ワイン - 6233本
  • シャンペン - 60本
  • ボルドー - 60本
  • ポルト - 60本
これは決してとある大使館の消費量ではない。病院の治療用である。ざっと頭割りしただけでも十分遣っていける。効用は今更上げる必要はないかもしれないが、各々上から順に症例別に、腎臓疾病、下痢、吐き気、不明、貧血症状と投与された。 不 幸 にも全ての症状に苦しむとなると…。ただし、敗血症の熱や結核症、精神衰弱には投与されない。「常時空きベットのなかったこの病院の患者が呑み潰れない限りは、常に朦朧と過ごしていた事が分かる」と、お馴染み男性専門医ディーツ博士。しかしこの様を見て、「医師が誤った治療をしていたとは言えない、なぜならば医学の伝統を継承していただけだから」と云う。現在の抗生物質、鎮痛剤、ホルモン剤の大量投与も、将来からみれば同じように映るというのである。

これらは中世の高名な学者、毒物学の創始者通称パラケウルス氏の有名な定理「全ては毒である。毒でない物はない。ただ適量こそが、それを毒としない。」に準じなければいけない。更に遡ると、アルコールの効用とワインを治療に使った医学の祖ヒポテラクスに辿りつく。しかしそれだけでなくギリシャでは、神話でのワインの多義性が示すように、自由人男性のワイン需要はかなり多かったようだ。しかし「ビールは消費、生産に手間のかかるワインは儀式用」の図式は、既に有ったようである。その反面ビールも、マケドニアなどの一部地域を除いてはもっぱら薬として飲料されていたらしい。

エジプトの葡萄種は、BC3000年以前にカウカズスや小アジアからもたらされたと云われている。ワインの需要は、ファラオーの宮殿などに限られていた。エジプトでは、イジスが葡萄を摘まんで食し、妊娠、ホールスを産んだとされている。BC2000年頃には6種類の葡萄種が存在していた。宗教や葬儀と関わっていた。

そして現代においては、ワインの対症利用は嘗てのようには見做されないが、薬学的な間隙を埋めていると云う。アルコールの特にワインに含まれる葡萄に存在するフラボノール、ケルシトリン、レザーヴァトロルは制癌、血管系や心臓器官に有効であることは広く知られるところである。これら1990年代の研究結果は、助剤としてのワインに再び光を当てた。禁酒するよりも適度に飲酒する事によって、34%も死亡率を下げる事が出来ると云う。休肝日を作り、肝臓を休ませる事が出来れば、心筋梗塞や大腸癌等各種の疾病を防ぐ事が出来る。感染症予防には飲酒が特に薦められる。個人差もあるが一本を二日ぐらいに分けて飲めばよい。更に長寿のためには若い頃から 備 え る ことも当然という。これらの学術研究成果は、あくまでも習慣的なアルコール依存症にならない、肝臓へ負担をかけない量を前提として、個人の分解酵素等の資質等を度外視しての、愛飲家への朗報であるということを断っておかねばならない。
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