労働技術博物館で「自動車の楽しみ」と名づけた展示があり、ジャパン・デェィにそれを見てきた。学生諸氏の講演にて、「日本での自動車広告」、「本田聡一郎」や「ロシアにおける日本車」等、普通は余り取り上げられない主題を扱っていた。日本における自動車工業の現状を習うと共に考える事が出来た。
自動車の広告に関しては、如何してもこのような簡単な発表では全く取っ掛かりすら出来ない、興味ある問題である。それを独日比較として命題する事に無理がありそうだ。ここの聴衆の視点からの比較なのだろうが、如何しても類型に押し込めてしまう事にしかならないからだ。それでも、トヨタが広告を牛耳っている事を初めて聞き、VWはアウディーとは大きく異なり広告戦略がそのVW車のシャーシの使い回しの如くそれが本国の広告と変わらないというのは可笑しい。メルセデス・ベンツの女性誌攻勢も興味深い。三菱がノスタルジーに訴えるのは、グループの黄昏感そのものでこれは笑えない。新機軸の広告姿勢にフランスとの共通点がある事も成る程と思わせる。ロシア人学生の視点から見たロシア問題は、トヨタ進出が発表されてから三菱の姿勢が注目されている時期に聞くとますます混沌として分からなくなる。本田氏の生涯は、若い日本人学生からすると既に伝説になっている事にも驚く。
お目当てのヘルガー・ブンクシェ氏のガイドは、日本自動車工業の歴史を辿って現状を示した。実はロータリーエンジンなどの技術史を期待していたのだが、人文的な主題もそれなりに得る事があった。自動車工業の曙をドイツと日本での時間差を約12年と少ないとする定理から氏の主張は導かれる。つまり現在までの発展においても余り差がないということで、その小さな差異に注目していく事が興味ある議論になるということであった。この点に関して、1970年代のオイルショック時にカタライザーの導入を巡ってゴルフがアウトバーンの出力に重きを置いている矢先に、カローラがこれを装着して市場に大きな足がかりをつけたことなど、重要な歴史が示された。さらに1980年代の品質管理におけるトヨタシステムのドイツ(ポルシェ)への導入。週末の「車で出かける」と「ドライブしましょうか」の独日の相違も面白い。
個人的に最も為になったのは、1925年からの日本におけるGMとフォードの横浜・大阪での組み立て工場体制である。アメリカ車が何故それほどに日本で愛用されていたかの疑問が解けた。これで日本の自動車工業は淘汰されたが、東京ガス・電気、石川島、ダットエンジンは生き残った。その後トヨタ、日産に再編される。1937年のGMの撤退と三年遅れてのフォードの撤退が、日本帝國政府の基幹産業国有化と乗用車から軍事・輸送への転換によってもたらされた状況は非常に示唆に富んでいる。何故ならば、第三帝国のヒットラーは、同時期に「ラインのドイツ車」としてリュッセルスハイムのアダムオペルのGM工場を積極的に保護したからである。その前後とその後の経過は、嘗てここで記したとおりである。この政策の違いには色々な背景があるのだろうが、それほど単純な経済条件の相違では無いように思うのである。
このマンハイムの博物館は大きな建物で都合三度目の入場だが、労働が展示されるだけにカール・マルクスの立ち像やプレートが至る所にあり面白い。この種の技術博物館では、ミュンヘンのドイツ博物館が鑑である。建設費用と維持を考えると、「博物館行きの古いものを展示して触れる」だけではいけないのだが、その方針を誤ると「分類する方法自体」が博物館行きの鑑識眼になってしまう。今までここで体験した特別展示を挙げておく。「大島渚氏講演」、「人体プラスティック工芸展」、「自動車の楽しみ」。
参照:架空のクラフトマンシップ [ テクニック ] / 2005-01-13
自動車の広告に関しては、如何してもこのような簡単な発表では全く取っ掛かりすら出来ない、興味ある問題である。それを独日比較として命題する事に無理がありそうだ。ここの聴衆の視点からの比較なのだろうが、如何しても類型に押し込めてしまう事にしかならないからだ。それでも、トヨタが広告を牛耳っている事を初めて聞き、VWはアウディーとは大きく異なり広告戦略がそのVW車のシャーシの使い回しの如くそれが本国の広告と変わらないというのは可笑しい。メルセデス・ベンツの女性誌攻勢も興味深い。三菱がノスタルジーに訴えるのは、グループの黄昏感そのものでこれは笑えない。新機軸の広告姿勢にフランスとの共通点がある事も成る程と思わせる。ロシア人学生の視点から見たロシア問題は、トヨタ進出が発表されてから三菱の姿勢が注目されている時期に聞くとますます混沌として分からなくなる。本田氏の生涯は、若い日本人学生からすると既に伝説になっている事にも驚く。
お目当てのヘルガー・ブンクシェ氏のガイドは、日本自動車工業の歴史を辿って現状を示した。実はロータリーエンジンなどの技術史を期待していたのだが、人文的な主題もそれなりに得る事があった。自動車工業の曙をドイツと日本での時間差を約12年と少ないとする定理から氏の主張は導かれる。つまり現在までの発展においても余り差がないということで、その小さな差異に注目していく事が興味ある議論になるということであった。この点に関して、1970年代のオイルショック時にカタライザーの導入を巡ってゴルフがアウトバーンの出力に重きを置いている矢先に、カローラがこれを装着して市場に大きな足がかりをつけたことなど、重要な歴史が示された。さらに1980年代の品質管理におけるトヨタシステムのドイツ(ポルシェ)への導入。週末の「車で出かける」と「ドライブしましょうか」の独日の相違も面白い。
個人的に最も為になったのは、1925年からの日本におけるGMとフォードの横浜・大阪での組み立て工場体制である。アメリカ車が何故それほどに日本で愛用されていたかの疑問が解けた。これで日本の自動車工業は淘汰されたが、東京ガス・電気、石川島、ダットエンジンは生き残った。その後トヨタ、日産に再編される。1937年のGMの撤退と三年遅れてのフォードの撤退が、日本帝國政府の基幹産業国有化と乗用車から軍事・輸送への転換によってもたらされた状況は非常に示唆に富んでいる。何故ならば、第三帝国のヒットラーは、同時期に「ラインのドイツ車」としてリュッセルスハイムのアダムオペルのGM工場を積極的に保護したからである。その前後とその後の経過は、嘗てここで記したとおりである。この政策の違いには色々な背景があるのだろうが、それほど単純な経済条件の相違では無いように思うのである。
このマンハイムの博物館は大きな建物で都合三度目の入場だが、労働が展示されるだけにカール・マルクスの立ち像やプレートが至る所にあり面白い。この種の技術博物館では、ミュンヘンのドイツ博物館が鑑である。建設費用と維持を考えると、「博物館行きの古いものを展示して触れる」だけではいけないのだが、その方針を誤ると「分類する方法自体」が博物館行きの鑑識眼になってしまう。今までここで体験した特別展示を挙げておく。「大島渚氏講演」、「人体プラスティック工芸展」、「自動車の楽しみ」。
参照:架空のクラフトマンシップ [ テクニック ] / 2005-01-13