Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

雇用が無い事が失業か

2005-09-16 | 文学・思想
昨日の選挙TVプログラムは、解散と与党低落の要因となった労働問題が話題であったので観た。結局は、名前の悪いHARZ IVとか言う労働法案を巡る諸問題が浮き彫りになっただけである。

基本的には、手厚い失業制度の行き過ぎを順当に改正しようとしただけなのだろうが、細かな法律ばかりを作る社会民主主義政権の欠点が浮き彫りになる。法律は出来るだけ少ない方が良い!憲法裁判所を含めて仕事過剰であったろう。

失業とは、雇用が無いことではない。無いのは、意志、智恵、希望、未来、教育、機構である。

番組では、誰が見ても理不尽な労働市場の数例を、その取材VIDEOを廻して各派に意見を求めた。注目の大連立大蔵大臣候補の顔見世の感もあったが、そしてそこでなされたCDUザールランド州ミューラー知事や左翼連合同地ラフォンテーヌ元知事、更にはベルリン生まれのFDPプェルツァーの重鎮ビリューダレ氏などの発言が正しいかどうか、翌日の独第一放送局のHPでチェックされている。

全体の印象としては、労働についてはCDUとSPDの政策は殆んど変わらない。その他の野党の政策は、あまりに思想的で現実的ではない。この二つの政党を比べると、前者が理想主義で後者が構造主義と言えるかもしれない。余りに具体的で仔細に渡る規定があるからこそ、失業保険の支給についても、後者では政策上の綻びが目立つ。

一部の失業者には失業保険を納めているからそれを取り返すのは当然との意識も強く、そればかりか失業を仕事としている者さえいる。

この事象は、共産主義意識を持った東ドイツ市民が、特に労働法案に反対したことに見られるだけでなく、何処の何時の社会にでも当てはまるであろう。要するに、取れるだけ貪り取ろうとするのである。

失業保険の充実は上手く働くと労働市場の活性化を生む事にもなるが、最低賃金や行き過ぎた被雇用者保護は労働市場を麻痺させてしまう。高齢化社会の労働市場についても、年金制度と並行して、尚一層議論されるべきであろう。

最終的に常識的な結論に落ち着くようで、選挙戦で保守連合が余り有効な対処策を持ち得ないどころか、如何にも幻想的なハイデルブルクの税制学説を持ち出したり、今度はそれを「遠い目標」と棚上げしたところに「敗因」があったのではないか。どうも女性党首の妙なアカデミックコンプレックスが災いした。偶々観たTVスポットのトロツキスト団体のような空想主義の敵などは、最早存在しない。だから保守勢力は戦い難いどころか、より現実的な政策さえ示せない。

それにしても政見放送で、「第四インターナショナル、万国の労働者、団結しよう」などと呼びかけるスローガンを聞くと、冗談以外の何ものでもない。西ドイツでは、共産主義活動はネオナチ等の民族主義同様に禁止されていたが、現在もこれらはイスラム過激派などのテロ組織と同様に武装傾向の有無が、SPD オットー・シリー(赤軍派の弁護士として頭角を顕し緑の党を経てSPDに転向)内務大臣の内務省社会安全局BMI-IS4の監視下にある。

一方では、同類のネオコンサヴァティーヴ勢力がホワイトハウスを牛耳っている事を思うと、宗教、政治、経済、学問等、如何なる分野においても原理主義の滑稽さが今更ながら際立つ。



参照:
終焉後の政治地図 [文学・思想] / 2005-09-12
終わり無き近代主義 [文学・思想] / 2005-09-03
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点火プラグの閃光

2005-09-15 | 歴史・時事
世論調査は指針でしかない。それでも、そこで標される傾向は何かを語る。投票傾向の世論調査は、もしかすると本番の選挙結果よりも社会の様相をクローズアップするかもしれない。

IAAの2005年フランクフルト・モータショーの開催祝辞をしたシュレーダー現首相は、先週辺りからその発言が伝えられていた原油価格について再び触れた。昨今の急騰を投機市場の弊害と捉え、「価格設定を透明にしろ」と国際燃料企業体へ要請する案を訴えた。これは勿論、独自動車産業の後押しとなるので時機を得た発言であり、有権者各々に訴えかける力も強い。恐らく、選挙前の重要な戦略的発言であったろう。週の後半に向けて、税制問題等で最後の花火を打ち上げるように予想される。

特にエネルギー問題に触れて、当面のハイブリッド車対策で日本車に負けるなと呼びかけた事も大きい。実用化で差を空けられた独自動車産業であるが、世界一の輸出大国として自動車産業の更なる振興は重要である。原油価格の設定への政治的介入とエネルギー政策を同時に盛り込んで声明する所が、この最も古い政党の政策ブレーンの優秀さを証明している。

実際のエネルギー政策とこのようなテクノロジーの振興が、環境政策にも矛盾無く結びつくかどうかは疑問である。しかし、自動車首相と言われた本人がモーターショーの会場でスポットライトに輝く美しい新車の運転席に納まるシーンは、自動車好きのドイツ市民にとっては途轍もなく大きな信頼感を与える。例えそれがSクラスメルセデスの新車であろうとも、少なくとも西独市民には一切否定的には映らないのである。

故障の無い日本車の信頼性に対しドイツの機械工学の信頼性が押され気味と言っても、産業界全体での特許数の優越や基幹産業としての自負は持ち続けている。それが、嘗てのように質の良い規律立った職人の作業によってなされるのではなくて、合理的な投資計画や下請け産業の底の厚さによって維持されている事を、労働者は余り考えない。

ここまで書き上げたところで、英国では燃料高騰へのプロテストが始まって、特に運送などの業種では死活問題となるので予定より早くM4の封鎖を行使して、ドーヴァー港を閉鎖したと伝え聞く。幾つかのEU諸国では、戦略貯蓄の放出に続き、燃料代を市民に換金したので、英国でもこれを求めている。一部ではパニック買いが起こり売り切れのスタンドが出て来ていると言う。英国蔵相は、世界的な原油安定供給への政治介入を申し出ているので、上のシュレーダー現首相の毅然とした態度は選挙に追い風になるだろう。
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今年の花火は去年より

2005-09-14 | 生活
本日は、世界最大のワインフェストで21時から花火大会がある予定だ。今夜の成果はまた改めて書こう。ライヴ映像

補筆:つまらなかった。演出は、乱れ撃ちにフィナーレを持ってきたようだった。色無しの連続撃ちの様子であったので、音だけを聞いていた。単色系の玉もそれ程多くはなかったようである。菊や薔薇ではなく道端に咲くケシの花と言うべきか。写真を見て、カンディンスキーの絵を思い浮かべる。来週月曜のフィナーレはどうだろう。


花火大会の演出
2004 09/21 編集

ヴルスト・マルクト最終日は、花火でクライマックスを迎えた。10分足らずの花火大会で、大晦日の数と比べると大した事は無いが、本格的な大玉が揚げられる。

滝状など趣向を凝らしても、やはり360度に飛び散る玉がメインである。比較的単純な色彩ながら、紫の化学混合は特に目に付いた。

薔薇型と菊型の文化的想像力をもたらす意匠に加え、時間差をつけて炸裂して尾を引いて向かってくるのも迫力がある。

乱れ撃ちでフィナーレを締めた。冷えて乱れた風にポタポタと来る中を、電気を消した暖房の入った部屋からグラス片手に花火を眺めるのも良いものだ。


菊日和の浮世床 
2004 09/30 編集

床屋の親仁の息子は、オクトーバーフェストに出かけ天気が悪いのを嘆いていたという。ヴルストマルクトの花火師は、第一週がイタリア人で、第二週が世界花火チャンピオンの日本人だったと聞き知る。

前者は、色彩が素晴らしかったと伝えられているが残念ながら見ていない。第二週は、先週報告した通り工夫と創意に富んだ花火であった。すると意匠となった菊も文化的、植物学的に調べてみると面白いのだろうが、それはそうとして薔薇の方は俄然西洋的である。

表裏一体の薔薇と菊。薔薇は、ロザリオの祈りと言わずとも教会の薔薇窓にもみられるように、その文化的記号は中世へとさかのぼる。其れは、処女マリアを、ヴィーナスを、アフロディーテを越えて女神イシュタールを表して、バビロン・シュメール・エジプト・メソポタミア文明を源とするという。

このイシュタールまたはイシスは、金星のそして豊穣の女神として、母胎をも象徴する。更に八弁の薔薇の図柄から八葉蓮華の胎蔵曼荼羅の仏教美術へと思いを馳せる事も出来よう。数の魔術も手伝ってアラブのモザイクの影響である薔薇窓といい、古代中近東の広範な文化的影響を認めないわけにはいかない。

花火を見て、先日のパルシファル新演出でバイロイト祝祭劇場に映し出された、「アジア大陸の大河のようにれんれんと輪廻転生して広がる薔薇の花弁を思い起こしたのも強ち的外れでもないな」などと考えながら、いつのまにか鋏の音も遠のいて、菊日和にうとうとしてしまうのだった。



参照:
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
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終焉後の政治地図

2005-09-13 | 文学・思想
もう六つも寝ると選挙戦は終わる。ここに来て保守連合CDU&CSU+FDPの過半数割れ予想から、社会民主党SPDをパートナーとする大連立時の人選が表面に出てくる。ベルリンでは既に初夏から囁かれていたと言う。

その中でも「ハイデルベルクからの男」に変わって、新たな大蔵大臣候補の名前が挙がってきた。それは、春に現在のシュレーダーSPDの終焉を幕引きをした、SPD大地盤ノルドライン・ヴェストファーレン州で大敗北した前知事ペール・シュタインブリュック氏である。デンマーク系のハンブルク生まれでボンに育った、SPD政治家の大蔵大臣就任には誰も異論はないようである。

何れにせよハイデルベルクの教授は、議論も出来ないほどに保守政権からも「この世に生きていない男」と非難され続けている。それでも、この男を指名したメルケル女史は今更別れ話を持ち出せないので、暫くは男の方から距離を置いていた若き保守政治家メルツ氏にビルト大衆写真新聞でラヴメッセージを送ったようである。

出来うる限り支持の低下を引き止めようと必死である。保守連合内では、「あなたは続けますか、それとも止めますか。」のあたかも反麻薬キャンペーンのようなスローガンよりも、「21世紀の新たな経済秩序」を出して支持を集めれば良かったと言うが、時は既に遅し。

このように見ると、「保守政党は、思想的・イデオロギー音痴である方が良い。」と言う原則がここにも当てはまる。しかし、先のジェームズ博士の言うように「植民地主義を源とするグローバリズムの終焉」の時代には、それも通らない。前回の総選挙で敗北したキリスト教社会民主同盟首相候補ストイバー氏や氏のバイエルンの仲間たちのレーザーズボンや羽を付けたチロルハットの農村の親仁の方に、緑の党(外務大臣ヨシュカ・フィッシャーの人気に与る)の政策よりも、地に足付いた現実的な将来があるようにさえ映る。

緑の党は、PDSWASG左翼連合党との連立会派を否定したので、CDU&CSU・SPD大連立となる可能性が強い。すると圧倒多数の与党となり、野党は急激に左翼化するだけでなく、自由党FDPなども右翼化(落下傘を開かずに空から落ちて来たメーレマン事件を思い出す)する可能性がある。また東独の動向にも目が離せなくなる。

既に自由党は過半数取りで与党となった場合の外務大臣ポストだけでなく、メルケル女史に「大連立の否定」を要求している。また、党のイメージ色からSPD、FDP、緑の党の其々色を組み合わせて名付けられた、赤、黄、緑の「信号機連立」を否定している。こうなると古臭い市場原理主義のリベラリズムには退散願わねばならない。

ジェームズ教授が言うように、欧州連合体においては、何処も行き過ぎた福祉社会主義からは遠に抜け出しており、また誰も市場原理主義を今更信奉していない。だから、緑の党のフィッシャー氏も言うように、「政権与党と野党との差は僅かなもの」となる。つまり、ここで幾らかの最も大事で核心的な政治哲学を各党が示す事によって、その差異を社会層の違う有権者にアピールしていく事が必要となるのである。

教授が言うように、ドイツはプロシア時代から伝統的に、有権者の経済的損得勘定によって投票傾向が決まるので、今回もそのような結論となるのであろう。

多数連合と少数の不可侵権 [歴史・時事] / 2005-09-12 より続く



参照: 三十五年前からの使者 [歴史・時事] / 2005-09-11
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多数連合と少数の不可侵権

2005-09-12 | 歴史・時事
選挙関連のニュースが目白押しである。ケンブリッジ大学出身のプリンストンの歴史学教授ハロルド・ジェームスが、世界経済を牽引して来た独日両国の総選挙について触れている。両者とも経済低成長時代にどのような政治の舵取りをするのかが話題である。

SPDと緑の党の政策は、本来はボン政府時代に行われるべき政策であったと見る。安全保障政策を非常に評価しながらも、前のコール政権時代同様に統一ドイツの政治をしなかったと批判する。そして考えられる大連合やその時幾らか行われるであろう政府の干渉の柔軟化へと話題は進む。

氏は、欧州大国の対応のグローバル化への悪さを欧州中小国と較べる。勿論これは、ベルリン政府の財政赤字への批判でもある。ドイツの政治上での時間差と日本における自由化への時間差に誰もが気づく。その其々の位相の違いは、プリンストンから距離を置いて良く見えるような気がする。

前者の一週間後の開票を控えて、後者のその結果分析を前に、議会制民主主義についての小さな話題に注目してみる。

先ずは独連邦共和国の総選挙のドレスデン地区の極右NPD候補が公示後に死亡して、そこでは選挙公示が間に合わないので中止になる事である。先に延ばされるので、他の地域での18日の投票締め切りと開票への疑問が起きている。つまり、ここでの票決が最終的な多数派党の組閣を左右する可能性があるからである。

この場合は、一票の重みが感覚的に重くなる。同様な事は、過半数をどの政党も取れない場合にも起きる。それが調査統計として事前に知らされて、現在の様な僅差な状況であると、一票が組閣を左右する。これは少なくとも、最終的には所謂死票が半数近くにまで至る事がある反面、一票の価値を重くする。

一つ目の例は、英国議会を模してあるもので、候補者はその意思を誰にも相続出来ないという考え方を根拠とする。二つ目の例は、英国式の二大政党制に対して広く欧州で採用されている多数政党制ならではの連立内閣制度が幸いしている。もちろん最終的には、多数派工作で過半数を制する会派が、少数派を圧倒して牛耳る事には変わりない。

これについて、ノーベル文学賞受賞者エリアス・カノッティが1960年に、面白い事を書いている。

「代議士の選挙は、基本的に議会におけるそれの先例となる。候補者の中で勝利者が最良で最強な者として証明される。議会における最強の派は、最大の支持を得た者である。」

「大勢は、少数派を従えて、勝利を獲得する。そして、議会には内戦の死傷者は存在しない。兎に角、有権者の不可侵権は、彼らが票を投じた投票用紙と較べるとどちらでも良いのである。」

「投票において優勢な大多数の意見が、より賢明とは誰も実際には思っていない。」

これが、多数派工作の出来なかった敗者の不可侵権が守られる事で初めて守られる、議会制民主主義であると示す。つまり候補者の死亡の危険な悪影響を、議会から締め出すということにも繋がる。

終焉後の政治地図 [文学・思想] / 2005-09-12 へと続く



参照:政治的東西の壁の浸透圧 [歴史・時事] / 2005-07-12
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三十五年前からの使者

2005-09-11 | 歴史・時事
選挙戦たけなわである。後一週間で決まるが、先週のデュエル以降のSPDの回復傾向が堅調である。殆んど競馬のような、最終コーナーの鞭が入った。

メルケル女史によって、保守連合の大蔵大臣に指名されたキルヒホッフ教授の税制大改革が大きな影を落としている。この一律25%の所得税案は、一切の補助金打ち切りへの好印象に関わらず、これがボディーブローのように堪えて来ている。自らが放ったパンチでスリップした挙句に、敵に背中を見せているような按配になってしまった。

簡素化した税システムはそれ自体アカデミックな感じで美しく光り輝くが、誰も政治にそのような理想は求めていない。僅か三分の一の支持で、その他は不支持らしい。

氏の書籍を紐解く余裕も気も無いが、これも現在の7%の付加価値税から15%に上がるのだろうか。元々買わなければ関係なく、法人が業務資料として購入すれば付加価値税は返還されるから関係ないだろう。1943年生まれのカトリック教徒で裁判官の子息である。氏自身も憲法裁判官となるなどして、ハイデルベルク大学における税法の現職教授である。

所謂、ネオリベラリストと呼ばれるが、氏が三十五年ほど前の学徒の時分は大抵の人間は同じ様な考えを持っていたのではないだろうか。その学究の成果を今、連邦政府で実験しようと試みているらしい。

「政府は、伝統的に内外から自由を保障して来たが、この権力が拡大して経済的に力をつけ、制御出来ないほどの権利を持つとき、個人の自由を侵し始める。だからこそ、特に議会制民主主義の形態や機能を変えていかなければいけない。現代の我々は、こうして、世界に開かた欧州連合の中での政府にも、政治的文化的な拠所を見つけ、自由の恩恵を強く自覚出来る。自由が最終的に失われる事の無い様に、自由主義政府や社会が請負政府の網の目に埋没してしまわない事が肝要である。」

このような些か埃のかぶった古典的イデオロギーが、現在の有権者を魅了する素地は全くない。序でながら、メルケル女史が、家庭・子育て問題で、この教授の四人娘とその子育てを滔滔と語ったが、TVを観ていた何人がこのような超一流のドイツ人家庭と自己を同一視出来る事だろう。そのような人がいるなら一度、その家庭を訪問してみたいものである。未だに人口増加と税収自然増加を見せかけた、お粗末な人選と空虚な政策に、女史への失望感は大きいであろう。

結果はまだ判らないが、CDU&CSUとFDPで過半数を取れないとなると、大連合案が出て来る。これも烏合の集となり評判は良くないので、ベルリン州モデルのような左翼連合も考えられる。これもなかなか協議が進まないだろうが、こうなると東西ドイツの思想面での本当の合併と言うことになるかもしれない。



参照:ニューオリンズを聞いたボブ [歴史・時事] / 2005-09-06
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夏の終わりの外食あれこれ

2005-09-10 | 料理
先日食した、ロールキャベツについても記しておこう。温かい日々が続いているので、できる限り夏を惜しんで室外で食事を採るようにしている。

さてワインレストランは、一杯の人であったが芝生の上にテーブルを出しているだけあって、幸運にも席がまだ空いていた。珍しいものを試してみようと思って、見付けたのは魚のすり身の餃子と牛の肉で作った煮凝りと今日のお勧めの焼き豚の薄切りで、後ろ二つはコールドフードである。夜となれば、冷たいのを食べるほど暑くも無いので、結局は餃子とロールキャベツを較べて、前者を諦めた。

思いの他キャベツのロールが小さく、中のミンチの量が多くて野菜を楽しむ事は出来なかったが、付け合せのベークドポテートと共に、フォルスター・シュネッペンフルックが良く合った。ブラウンソースが濃くて、色合いも楽しめなかったのも惜しい。

焼き豚の薄切りは、その数日前に違う店で食した。これはローストビーフのポーク版なのだが、白ワインを飲むにはこれが良い。ソースは、芥子でもホースラディッシュでも何でも良いだろうが、タルタルソース風の物が一般的である。リースリングワインに、中々良いコールドフードである事が確認出来た。
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市場でなく、自然に合わせろ

2005-09-09 | ワイン
ラインガウのワインの試飲会に行った。例年の事なのだが昨年選んだ2003年のワインに失望していたので、今回は初めての出会いのように批判的な目で以ってその2004年産ワインを吟味した。

結果は、信頼を100%快復したとはとても言えないが、もう暫く観察してみる事にした。久方振りに醸造蔵も見学して、三人の醸造所親方の一人に包み隠さず疑問点をぶつけて、幾らか印象を固定する事が出来た。

2004年度のワイン自体は、2003年度の暑い夏と違い、酸味と苦味が出ているがこの特徴を素直に出さずに、ヴィンテージによる偏差を押さえる方向にあるのは何処の高級醸造所も取っているトレンドな志向である。

このような安定した質の供給こそが、市場での製品の扱いやすさを保証して、製品価値を上げるのだが、最高級に素晴らしいワインにも出会えなくなる。その平均化したその品質は、毎年同じように買い足せばよいから、愛好家から買い置きをさせて寝かせる喜びを奪う。それどころかリースリングの長い寿命を短くしている。これが問題だ。

そして主要市場でもある日本の食生活に合わせた味付けに配慮してあるので、本当のリースリングファンの地元の我々の食生活の好みから離れて行っている。本国の愛好家はどうでも良いのだろうか。なるほど我々も家庭で甘酸っぱいような中華やタイ料理風の物や醤油ソースも使わないではないが、基本は甘味よりも苦味である。開けて明くる日にはへこたれるワインは、要らない。

それにしても、親方に直接批判したように2003年産のチャルタワインは酷かった。QBAクラスとは言いながら高価であり、少なくとも最良の条件にある我がワイン蔵において半年も置いておくと満足に飲めなくなる。こんな高級リースリングがあるだろうか。親方は酸の弱さを挙げたが、初めからそれは予想されることで、それなりの配慮が欲しかったのである。狙う市場から摘み取り、醸造まで一貫したコンセプトの問題といえよう。

ドイツ一番といわれる質の醸造所としては大変情けなく嘆かわしい。そして今回は、このクラスの飲み口の良い万人向けのワインに見切りを付けた。同じ価格帯で平素に楽しめるワインがあるからだ。よって上のクラスのキャビネットに照準を当てた。

これはこれで香りも良く素晴らしいが、その同じ価格で更に素晴らしい物があるのも事実である。ただ、このグラン・クリュ、グラーフェンベルクの土壌は、マルコブルンなど居並ぶラインガウの伝統的な最高級の土地の中でも、砂と泥の配合も斜面も良くて特徴がある。低地ラインガウのような重みよりも、ミネラル風味が特徴なので、シャンパーニュのような軽やかささえある。

さてこのような最高の土地から、最高の技術で作られるワインが、同じ価格帯で比較して最高の物でないという皮肉がある。バイオ農と近代的で即物的なマネージメントでは至る事の出来ない、物作りの難しさを垣間見る事が出来るのではないだろうか。ここにも、市場至上主義の弊害を見て取る事は許されよう。

こういう生産工程で出来た物の価格が他所よりも下回っていないような経済は、明らかに間違っている。つまり、申し訳ないが言わせて頂くと、ポーランドの労働力が如何に安くとも、労働集約型の作業と過分な投資額が価格設定に影響しているミスマネージメントと見る。
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SWR TV出演者募集

2005-09-08 | 雑感
明日から始まる世界最大のワインフェスト「ヴルストマルクト」を初めて訪れる日本人を求む。

日本から来ていて、明日金曜日17時にワイン街道のBad Duerkheimに来れる方、ご連絡下さい。当日、南西ドイツ放送TVが、その新鮮な印象を取材します。

WURSTMARKTは、ミュンヘンのオクトバーフェストのワイン版。
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ICEとTGVの相互乗り入れ

2005-09-08 | テクニック
ドイツ国鉄DBのICEとフランス国鉄SNCFの TGVが相互乗り入れする事になっている。

超特急ICEも専用線が大分出来てきたようなので、ケルン・フランクフルト間などでは時速310KM走行が可能になって来ているみたいである。エシェデーでの大事故のゴム製の車輪軸受けはもう大丈夫なのだろうか。

2007年7月からパリ・フランクフルトもしくはシュツットガルト間を4時間で結ぶ為に、既にリル・カレー間を十万キロ試験走行している。そこでは時速330KMの速度を要求されるらしい。

車両技術的な問題だけでなく、架線の問題すら1,5Mの 高低差を調整しなければいけない。ICEの挑戦は、車両下の空力特性を改良する為にスカートを付け、石の跳ね上げを避ける事から始まっている。

更に興味深いのは、ICE自慢の電磁ブレーキが強い磁気を発生させるので、フランス内では高速走行でしか十分に使えないという。つまりブレーキ系も改良しなければならない。また、乗降口の開け閉めのタラップの下ろし方さえも調整しなければいけないという。

こうしてICE3は、六種類の電気入力が出来るので国境を越えていたるところで走る事が出来るようになる。スイスのローカル線で見かけたりするのはこれへのテスト走行であったりした訳である。

ジーメンス社やアルストーム社の厖大な開発費は、西欧からウラジオストックまでの将来の鉄道の可能性を考えれば当然かもしれないが、こうして互換性が出てくるとそれ以外の市場にも食い込む要素となるのであろう。
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打ち寄せ、打ち返す漣の様

2005-09-07 | 雑感
夢を記録しておくのは、非常に面白い。その時は分かりきった事に見えていても後で繰り返し分析してみると、様々な要素が絡み合って隠されていることに気が付く。それどころか、その夢がその後の行動に影響しているかもしれない事にも思い当たる。

先日のイアン・フレミングばりの原子力発電所ものにも多くの無意識下に眠る情報が集積している。その中で非常に面白かったのは、差当りの無いところで、祖母夫婦に連れられた少女の姿であった。その少女と夢の劇中の主人公の有り得る年齢に加齢すると、ある特定の女性像が浮かんで来る。逆に、その女性の実年齢から予想される子供の年齢をを引くと、加齢された年数が分かり、これを自分の実年齢から差し引くと主人公の予想年齢が厳密に計算出来る。

この主人公の年恰好が分かったところで、再びこの物語を自己のその仮想年齢の過去に重ね合わせて再構成してみると、なるほどと言う実体験の事象が思い浮かぶ。長い期間を経た記憶であるからには、特別な思い入れがあることになる。

更に不思議な事に、このような分析に至らないでいた日には、突然思い立って、全く別の祖母と孫娘の所へ訪ねている。勿論これは、夢の組み合わせで具体的に表れていた家族関係なので驚くには至らないが、その別の孫娘も同じように加齢されて実年齢になっている事も特記せねばならない。更に祖父の印象がおぼろげなのも、祖父は何処の家庭でも他界している事が多いので当然だが、興味深い。



参照:悪夢の特命潜入員 [雑感] / 2005-09-01
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ニューオリンズを聞いたボブ

2005-09-06 | 歴史・時事
独選挙のTVデュエルが、シュレーダー首相とメルケル女史の間で行われた。結局一回だけ催されて18日の投票を待つ事になる。今週末に投票があるとすると、CDUとFDPで辛うじて過半数を獲得出来るらしいが、SPDが復調傾向にありまだこれからである。事前の郵便投票も多く、同番組でも早速の投票を呼びかけていた。

予想以上に好印象を残したというメルケル女史だが、問題点が多く見付かる。政治家としての力量よりも、物理化学を学んだものとして「バイオを化学会社BASFの手に」授けるような発言は明らかにおかしい。「食料品への利用を否定」なども非常に俗受けする表面的な表現で、営利企業の研究者の判断に委ねるような態度は批判されるべきものである。同様に原子力発電も「ケースバイケース」で判断していくとなると危険この上ない。理学徒としての学識を疑う。こうなると、「連邦首相になるほどに、一人の女性として立派に遣って来た」というのが白々しく響く。

教育だけでは得られない知的判断力とその智恵に疑問を抱かせた挑戦者に対して、演説上手な首相は前回とは大きく違い、髪の色の染料も黒々しており大変若々しく頼もしい。嘗て無いほどの好印象を残した。特にトルコへの対応をイラクから中近東への世界的視野に置いて論じるところは、欧州社会主義グリーバリズムを信奉する一流の学者の雰囲気さえある。その論理性は、左派に配慮した印象である。

財政策やフェミニズムについては、改めて纏めないといけないが、最も挑戦者が批判されたのが、ニューオリンズの惨事への見解を求められ強張ってしまって答えなかった事である。

さてここでは御用の無い、緑の党のヨシュカ・フィッシャー外務大臣がインタヴューに答えて、「マルクスよりもボブ・デュラン」と語っている。「クイーンのフレディー・マーキュリーをアンジー(メルケル女史)のテーマソングにしたキリスト教民主同盟は1970年代では考えられなかった」とする。そして、「アンジーナンバーがどんなに上手くいかなくても、ローリング・ストーンズについては何も言うまい。」と結ぶ。更に自らは、母乳にカトリックのお香を呑んだと言うフィッシャー氏は、メルケル女史の大蔵大臣候補キルヒホッフ氏の税制案は、「キリスト教社会に反する」として、既にCSU内で問題となっているその姿勢を非難する。こうして右へ左へと、ジョブを忘れない。

現在の連立内閣は党内の不一致がありながら、元々この様な思想で推移しており、春からのSPD左派の資本主義再考論なども、全てこの枠内で花火を打ち上げていた事が分かる。ラフォンテーヌとギジーの極左翼勢力がニ桁パーセントへの躍進を予想される中で、このような路線の選定は批判も強かったが、非常に巧妙であり知識人をも納得させるだろう。

郵送投票も多いだろうが、それ以外の女性票などが突出する労働者意識の無い新興中流層に、SPDが今後どのような印象を与えて上昇機運に乗るのか、それとも息切れするのかで、ドイツ初の女性首相の誕生の可能性が決まるだろう。やはり、フェミニズムの話題が問題となるか。



参照:
御奉仕が座右の銘の女 [女] / 2005-07-26
政治的東西の壁の浸透圧 [歴史・時事] / 2005-07-12
正書法のフェデラリズム [歴史・時事] / 2005-07-20
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悪は滅びて、善は光り輝く

2005-09-05 | 歴史・時事
ニューオリンズの状況は凄まじい。9月11日から出来たナショナルガードは、役立たないのか。テロリストの戦略家は、今回の米国のカタストロフ対策から学ぶ事が多いだろう。

それにしても、誰も余り語りたがらなかったというこの地方の貧しいスラム化した黒人の高い人口割合と貧困が一挙に世界中に知らされることになった。それだけでなく、弱者を見棄てる、真っ当な社会の構築に無関心な行政どころか、富裕層の援助だけでは足りないで海外からまで援助を受けると云う無力振りを示した。

思い出すのは、阪神・淡路の大地震で、その翌年にマッターホルンのヘルンリ小屋で会った独TV局PRO7の日本取材クルーの一人が語っていた言葉である。「一年後には誰も話題にしないので、我々は取材をしてみて大変驚いた。日本は、全て自前で復興まで扱ぎ付けていた。」。当時は、災害時のCNNの優秀さと較べ馬鹿げていて役にも立たないNHKラジオ死亡名簿読み上げ報道への批判(NHKより丁寧な回答も頂いたが)もあり、また復興時に陸の孤島化を繰り返さない為の情報網などの重要なインフラストルクテュアーへの見解が読み取れていなかったので、彼の見解には賛成しかねた。

その時に仮想していた米軍のカタストルフ時の威力が今回は示されないどころか、イラクより戻ってきたばかりのガードの部隊を派遣するのさえ渋り、結局は失われた時間に多くの生命が失われた。これは、当然ながら大きな批判となり調査委員会が開かれる事になっている。地元メーヤーは、「麻薬中毒者などは、薬が欠けると病院でも襲い狂う連中で、銃を手に持って何を仕出かすか分からない。」とブッシュ・ジュニアを直接馬鹿呼ばわりする。数日も何もせずに放置したとCNN等で語る上院議員や関係者は、「これがアメリカそのものだ」と断言する。

我々の多くは、どれほどにアメリカ合衆国が伝統的に世界中で最も嫌われ者であろうが、その良心を信じており、その残された半数の意見をも尊重している。しかし、非常時に見せる米国の恥部は改めて新興国の文化的水準を考えさせられる。これは、米国学者が欧州を非難して使う「美意識」と云う概念であり、米国の良心を無闇に信じさせる意識かもしれない。

腹が減らないように食べさせて、好きなだけ買わせた薬を打たせ、黙っていれば良いのだが、こうして注目されるようになると、労働力にもならず、購買力もなく、税金の無駄使いになるような「嘗ての輸入超過で不良資産となった輩」には、本当はどこかに早く消えて貰いたいのかも知れない。彼らは、無条件に悪なのである。

貧困の黒人層を「顔の無い顧客」として生業するスーパーマーケット等は如何ほどの援助をしているのだろうか?少なくとも自主的な提供によれば、食料の略奪などが起こり得る筈がない。麻薬を販売するブラックマーケットの富豪は、決して薬を無料で提供する事は無い。病院も彼らに提供する薬は無く、アフリカの何処かよりも遥かに酸酷な無法地帯が現出する。

また多くの米国人にとっても、自らが移民として這い上って来たように、この連中が中産階級へと近づこうとしない限り、余計に軽蔑さえ浮かぶばかりで同情の一欠けらすらも感じさせないのであろう。悪は滅びて、善は光り輝くという二律背反の、短絡で未熟な米国文化そのものなのである。こうなるとこれは、決して人種問題などではなくて、文化・思想の問題である。

何処かの誰かのように、「人のことは放って置いて、自分のことを処せ」とホワイトハウスに向って世界中から声が聞こえるようだ。ネオコンサヴァティヴの論者は、これを究極の理想としているのである。だから大統領が嬉しそうに復興を誓うのを、米国民は満足そうに喜ぶ。
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素朴で悠長なポロネーズ

2005-09-04 | 
今年22歳になるポーランド娘に一年ぶりに会った。去年に続いて、田舎からワイン街道に住む従妹の所に遊びに来ている。再訪だけに、流石に幾分垢抜けした。ポーランドといっても南部ポーランドからである。ポーランドのパガニーニとして、またはロベルト・シューマンのもしくはドレスデン宮廷のカペルマイスターとしても高名なヴァイオリニスト、カロル・リピンスキー(Karol Lipiński)の生まれ故郷ルブリンに近いらしい。

ポーランド女性となるとブロンドの髪を想像しがちであるが、確かにそれも少なくは無いが、ダークな髪の女性も多い。このエルヴィラもダークで、肌の色も濃い。

昨年の印象は、身振る舞いに幼さが強かったのだが、流石に年頃で随分と大人っぽくなった。今でも恥ずかしそうな仕草も多いが、ボーイフレンド募集中と言う事である。

社会環境や生活環境にも依るのだろうが、結局は個人差だろうか。ライフスタイルが随分と変わってきたご時世なので、何も急いで年増になる必要も無かろう。

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終わり無き近代主義

2005-09-03 | マスメディア批評
日本の償いは、中国とは小平氏によって、韓国とは金大中氏によって将来が確認され、裕仁、明仁両天皇の発言と訪問、細川、村山両首相の謝罪によって全ては解決した筈だ。それでは、何故未だに尾を引くのか?毎回反古にされるならば、被害者が受け容れようとしない限り終わりは無いと、コーレンハンマー氏は言う。

中国に関しては、1937年当時のベルリン在のシナ人学生が語ったような「日帝の侵攻によって眠れる獅子が起されて、それが転機点となる。」と言う史観を、現在の中共の歴史家は取っている。だから、それから内戦へと繋がり、文革を経て、初めてエネルギーが外向きに向ったとすると、1980年代からの反日キャンペーンが成る程と理解出来てくると言うのはジーモンス氏だ。

そして、今これらの盛り上がりに挑発を故意に与えている行動が挙げられる。それには、ベルリン知事では決して考えられない東京都知事の発言「人を批判するよりも己の事を処せ」や靖国神社HP への国学館大学総長の「賛大東亜共栄圏」の書き込みのみならず、去る8月15日の靖国神社への参拝や官僚にまで及ぶ同様の発言が含まれる。

それでは、これらはどのような意味を持っているのであろう。シベリアで極秘に裁かれた3000人や各地で処刑された984名の戦犯の数々に反して、進駐軍によって国内で逮捕された二万人の優秀な人材の多くは、放免されて其々の領域で戦後活躍した事は周知の事実だ。これもTVプログラムでも屡取上げられるようにドイツでも同様である(本日見たシュピーゲル誌には行方不明になっていた収容所所長の親衛隊の消息が分かりそうだとある)。ここで岸元首相を筆頭に企業家、警察・軍人、役人と並んでジャーナリストを挙げるのを忘れてはならない。独日の戦後処理の比較を、後者が「未曾有の破滅に経験不足だった事に依る」のではないかと言うのがイアン・ブルーマ氏である。

それに過去60年の歴史を見れば解かるように、日本ほど平和主義で民主的に繁栄した例は無いのではないかと診断する。勿論、朝鮮戦争後もベトナムへと軍事紛争を起した一党独裁国とは比較出来ない。

それでは、何故このような中国・朝鮮の反日キャンペーンに喜んで切っ掛けを与える勢力が存在するのだろう。修正主義の教科書の本当の目的は、ポストモダーンを標榜する滑稽な民族主義なのだろうか。嘗ては大日本翼賛会を、戦後は60年体制を支えて、今や民営化と二大政党制をオピニオンリードするジャーナリズムは、未だに喜んで二項対立の論陣を張っているのか。さもなくば「前近代的精神」に訴えかけようとしているではないのだろうか。

ディベートの言葉に代表されるような思潮は、一体どこへとベクトルが向けられているのだろう。アカデミズムのドグマは、一見市場の論理が働かないかに見えて、実は米国トロッキズムのニューコンサヴァティーブと母体を同じくする理想主義の遠く離れた象牙の塔に篭るか、もしくはマルキストの合理や進歩を、実は旧保守派と同じく単に経済的成長にしか求めていないのではなかろうか。しかしその其々のドグマ自らが、― 前者の「中東やアジアに民主主義が根付く」と少なくとも表向きは信じるマキャブリストとも違い、後者のそれを「端から不可能」と思いながらも唯物的な功利主義を建前とする利己的な楽天主義者とも違い ―、それぞれに微妙な差異に気付く時になって初めて近代を乗り越える事が出来るのかもしれない。

そして、FAZがこのような相対的史観を取上げるのは、クリスマスまで引き伸ばされそうな国連改革のそれも常任理事改革G4案へのジャーナリズムの知的取り組みでもある。当然の事ながら、安直なビジネス外交を極東において無思慮に繰り広げたシュレーダー政権への批判でもあり、次期の政権(「保守党でも余り代わり映えしない」と左翼ラフォンテーヌ氏がシュピーゲル誌で右翼シュトイバー・バイエルン首相に語っている)への戒めにもなっている。その場限りの中国市場の専有率確保や奪い合いでは無く、明快な対中外交を示す事は、最終的にドイツ連邦共和国の 益 になる事は間違いないであろう。

ポストモダンの貸借対照表 [歴史・時事] / 2005-09-02 より続く



参照:
„Vergangenheit, die vergehen sollte“- Entschuldigung, Entschädigung: Gegen die schwarze Legende der japanischen Nachkriegszeit/ Siegfried Kohlhammer, Frankfurter Allgemeine Zeitung 23.August 2005
„Trauma Nanking“ - Das andere Kriegende: Japans Schuld und der Westen/ Mark Siemons, FAZ 29.August 2005
コメント (3)
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