Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

前に広がる無限の想像力

2008-06-17 | 
ネットストリームを、机にしがみついている時は、相変わらず流している。通話の時などにミュートにする。

世界中の文化番組も面白いが、音楽番組の特に生中継番組はこうした放送局を聞く醍醐味である。世界を時計方向に廻っていくとアジア地域を外せば、大西洋の東西でコンサート中継がひっきりなしに聞ける。

今これを書きながら、イリノイ大学の管弦楽団の中継録音を聞いている。一時美人歌手として話題となったオランダのフレデリカ・シュターダがこんな所で歌っているとは思いもよらなかった。サムュエル・ラミーなどとテノール歌手ジェフリー・ハードリィーを記念した演奏会の中継ものであった。

シカゴは午後八時過ぎのようだ。スポンサーの活動を散々聞かされるが、当地の交響楽団のBP提供の中継コンテンツなどもこのWSMTが行なっているらしい。

床に入る前は、お馴染みのフランス・ムジックで放送交響楽団のフランス初演やリゲッティーの「アトモスフェアー」などを堪能していた。フランスの放送局の音響周波数特性は、独特のその言語の様に国民性が表れているようで、車のラジオですらそれを感じるが、パリでの録音はマイクロフォンセッティングなどなかなか優れていた。

こうした音楽放送の良さや、なんと云っても臨場感溢れる新鮮な音響は、ラジオ放送とその簡易なラジオ機器に相当したものであるのが分かる。

その前に聞き流していたオーストラリアの放送局ABCがシドニーのオペラハウスから生中継するのは、ピニアニストのエマニュエル・アックスを迎えたコンサートであった。ピアノや休憩時のインタヴューなど面白ろく良かったが、管弦楽団のシベリウスの演奏と云い、その録音音響と云い今一つであった。ABCと聞くと嘗ての日本のBCLファンは、その英語を思い浮かべる人は少なくないであろう。

実は、先日からそうしたラジオ放送向きにローマ放送局で制作されたヴァーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」を聞いている。スピーカーと同じように日本から船便で送ったものである。愛蔵番号1815の入った指揮者フルトヴェングラーが1953年にイタリアの放送交響楽団の選抜で行なった録音を纏めた19枚組みのLPである。戦後のミラノのスカラ座での録音も存在しているようであるが、今回長い年月を隔てて久しぶりにこれに針を置くと、思いがけずに素晴らしい録音であることが知れた。

何よりも興味深いのは、後任のフォン・カラヤンがザルツブルクでの復活祭音楽祭で始めたような、座付き管弦楽団ではなく交響管弦楽団を駆使しての楽劇の演奏でラジオ制作された利点が最大限活かされていることである。このもともと高名な考古学者の下に生まれ育った作曲家志望の指揮者は、ロマンティックなヴァーグナーの音楽をキャリア最初期には敬遠していたのだが、後年にはその音楽構造に熱中していたと云われる事情をここに聞きとることが出来よう。

その翌年の1954年の死の床まで制作準備に取り組んでいた第二夜「ジークフリート」に先立つ、最後の仕事となったヴィーンでの第一夜「ヴァルキューレ」以上に最高の録音と誉れ高い「トリスタンとイゾルデ」を髣髴させるのである。特にラジオのこちら側で聞いていたらさぞ楽しかったと思わせるような、ラジオ劇場「ニーベルンゲンの指輪」的な雰囲気と面白さが満載なのである。平行して名プロディーサー、カルショーの制作などの徹底した楽劇の録音芸術化が試みられ、また一方バイロイトでの中継録音や映像などが存在するが、今後ともこうした本格的ラジオ劇化は不可能と考えるとこの録音の唯一無二の価値が理解出来る。

様々なメディアが存在する中で、ラジオブロードキャスティングの秀逸は、そのCDやDVDのように繰り返し再生には存在しないオンタイムのライヴ感覚と、映像が奪ってしまう音により広がるイマジネーションの飛翔に違いない。それが、ネットによって電波の伝播を考えずに地球の裏側にオンタイムで届き、尚且つ朝日が昇る無限の創造力の地平線が目前に広がる光景は圧巻である。



参照:
on the air:ハイティンク/シカゴ響のマラ6 (庭は夏の日ざかり)
世界の机の前に齧り付く [ テクニック ] / 2008-06-15
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
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代替エナジー政策の展開

2008-06-16 | アウトドーア・環境
温暖化対策を牽引しているベルリン政府で、代替エネルギー政策が議論されている。何よりも顕著になっているのは、「太陽熱エネルギー支援は非経済的で、過去の梃入れは誤りであった」とする見解である。

下の数字を見ればそれがなにを示すかは一目瞭然である。太陽エネルギーには今後も一キロワット時あたり43セントの補助が出され続ける。幾らかは削減された分は、今度は風力に9.2セント、効率化を達成した従来の発電に対して8セント、風力の場合は余分に0.5セントがボーナスとして与えられる。

同時に新たに建築する者には最低15%のエコエネルギーの利用が課される。反対に新たに屋根の上に太陽熱を設置する場合はその費用の一割が支給されるなど、歳出は補助金による取引価格の上乗せのみならない。

これらは2020年までの四割の炭酸ガス削減とその業界での従事者の倍増を狙っている大連立の社会主義者の理屈である。当然のことながら、キリスト教民主同盟と社会同盟内の経済的良識のある者からは、三割の補助金の削減が要求されて、激論が交わされたようである。当然のことながら消費者に負担をかけるとして自由党は反対して、緑の党は環境行政を忘れていると批判する。ただ、左派党のみがこうした計画経済政策に賛意を示している。

太陽熱発電に限れば、そもそもドイツにおける日射量が問題となっていて決して有利な地理的条件にないことがその将来性を奪っていることには間違いない。風力発電は共同体単位でも必ずしも問題なく発電可能とならないところが問題であろうか。
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世界の机の前に齧り付く

2008-06-15 | テクニック
楽しみにしていたスピーカーの音出しが出来た。スピーカーは三十年以上前に手に入れたミキサー台に載せるモニタースピーカーである。今でもラジオスタジオなどでは音像定位のモニターにオシロスコープと一緒に使われている「オーラトーン5Cモニター」と呼ばれるスピーカーである。

入手した当時はTVの副音声など幾らかマルチメディア機能やホームシアターの概念が一般的になってきた頃で、このスピーカーもそのような目的で増産されて販促されていたように思われる。実際、既に始まっていた外国語放送の副音声のためにTV受信機につけた副音声分派機に、音声増幅器を通して、これを取り付けたように覚えている。

そのような理由から、このスピーカーのまともな音は当時は殆ど聞いたことがなくて、その定位感すらあまり馴染みなく、若干押し付けがましい音の周波数の中域の張った印象が強い。

元々がFM放送などの声を含む放送の至近距離でのチェックにも充分に使えるゆえに、この度の目的であるネットラジオの聞き易い環境の設定に貢献するべく、PCで使えるように音響増幅器を注文した。

抵抗値8オームのスピーカーながら音量は十分である。音質もサウンドボードと電源部からのヘッドフォンでも確認出来る所謂僅かなブーミングは避けようがないが、それをいうならば通常のPCで至らずスタジオ用のマッキントッシュなどを購入しなけれないけない。

そうした前提条件においては、このモニタースピーカーを十二分に気持ちよく鳴らすことが出来る。ネットラジオの音質のレヴェルを確認できる。車のラジオでもなかなか優れているフランスの放送局などでの管弦楽団のプレゼンスとホールの空間の再現などなかなか素晴らしい。

ポップスにおける人為的な音場も苦にならないのが、本格的なオーディオ装置に比べて勝っている。同様に、ナレーションが胴声にならずに子音も聞きやすく、映画DVDの効果音や台詞も明白に響く。これはスピーカーの個性にもよるのだろうが、過不足なくバランスよく鳴らす増幅器には感心する。その音響に劣らず迫真に満ちた巨大モニターかプロジェクターが欲しくなるぐらいである。

また不思議なことに、スピーカーを壁に近づけて机の上において設置していても篭ったような低音の感じがなく、自然なバランスで響く。これならばスタジオの調整卓の上で響く音響とそれほど変わらない。

ジャズのベースなども心地良い。こうなると世界中のラジオでいろいろな言葉や音楽が聞きたくなる。何やら昔少しやっていたBCLの世界のようで、益々机の前にかじりついてしまうようで運動不足が心配である。



参照:
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
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あと味のインターフェース

2008-06-14 | 
ハイデルベルクの近くの町に午後出かけた。1963年に三鷹のキリスト教大学に留学して、ドイツの日本学で博士号をとったご婦人の所でヌードルをよばれた。

VISTAを使っていて、日本語の入力が分からないと言うことなので、VISTAを触りに少しお手伝いに行った。

結局、XPとさして変わらないメニューであったが、調整が必要なメニューなどは目に付き難い色合いを取っていて、「なにも分からない馬鹿は弄るな」という按配で、ますます表面を厚塗りしたグラフィカルユーザインタフェースとなっているように感じた。

インターフェースは、音声入力を含めて、様々な可能性がある方が良いに決まっているが、VISTAの評判がすこぶる悪いのは何故なのだろう?

多くの「使い手」がリナックスへの傾倒を強めるように、インターフェースが背後で行なわれている「計算」をユーザから遠ざければ遠ざけるほど、情報の掌握者と情報に踊らされる人種の格差が増してくるように思われる。

嘗ては、TVにネットを接続して、それによってコンピューターを生活に近づけようとする試みが盛んであったが、そうした市場は、全てファミリーゲームなどの主な購入層を見つけ、それらの購入層が必然的に社会の弱者であったことから、そうした市場の脆弱性が明らかになるや、そうした市場を主力の業務に持つ企業の脆弱性をまで露呈した。

さて、お呼ばれしたのは、ナシゴレンにかしわと木綿豆腐に竹の子やトマトを入れたソースとイタリアカラーきし麺がメインで、その前にはアスパラガススープが出た。殆ど二杯もお替りしたので、腹の皮がはつきれそうになったが、お土産にその出来上がったソースを頂いてきた。

レモンの枝の香料が清涼感を与えるので幾らでも食が進み、さらにあと口も良いが、ニンニクなどが強く効いていることには変わらない。大蒜や玉葱は日常的に食するがそうした食事が主となるやはり暑い地域には生息できないとその料理を食して感じる。イタリアや東南アジアは苦手である。

デザートの前に仕事にかかったのだが、竹から孟宗の言葉に居たり、漢字の本来のの発音や漢詩や中国史へとサ-チマシーンを使いながら話しが高度な方へと飛んでいくと、こちらは流石に知識の限界が見えてくる。

食後には、前の晩に焼いたストロベリークーヘンと持参した抹茶の葛餅にアイスを混ぜて食したが、手作りのカスタードプリンを片付ける余裕がなかったのは悔やまれる。お土産のケーキは半分ほどは既に平らげた。流石に夕飯は予定していた食事の味身だけにしておかないと、体がもたない。
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食後の雨上りの散歩

2008-06-13 | 
昔から夏場に異常食欲で太る性質である。今年は今その症状が出ている。兎に角、食欲に限度がない。しかし、以前と異なる点は、胃潰瘍気味のせいか腸に大変負担がかかって、あとが苦しい。

それでも食欲に歯止めが利かない。目の前に餌があると平らげてしまう。就寝前にも気がついたように食事をしてしまう。明くる日の腸の不具合を考えれば抑制をしなければいけない。

ここ十年間ほど続いたダイエットの季節は過ぎ去ろうとしているようで要注意である。再び肥満に傾けば、体重は今度は百キロを越えてしまうかも知れない。運動不足を解消のため、涼しい今日は陽の高い内に散歩をしようと思っていたが、雨に降られて諦めた。

そして夕食後に再び陽が出てきたので、九時半までゆっくりと歩く。半袖にチョッキ型の上着を羽織り、思わず前のファースナーを閉める。雨上がりの空気が気持ちよく、クロアチアに負けたドイツの町はいつもより静かである。
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初夏の合間の筋肉痛

2008-06-12 | 
腕がだるい。平素、本より重い物を持たない人間が力仕事をすると翌日に全身に筋肉痛が残る。

それでも本日は一日中涼しかったので、また少し重いものを上げ下げした。どうしても夏の疲れが出て眠気をさそう。

リースリングの開花を伝える記事が方々にあったので、遅れまいと昨晩のまだ昼の熱気の残る中を散策した。

モーゼルやライヘッセンで既に開花しているといっても、当方はこのぐらいで、天候の相違があるのだろうか。2008年度は、一度の雹を除くと例年並のような感じもするがどうなるのだろうか、まだまだ判らない。

一時間ほど歩いて九時半前に戻ってくると薄っすらと汗をかいていて、温めのシャワーをさっと浴びた。しかし、本日は対象的に上着を羽織らないとTシャツ半ズボンでは肌寒い。

PCにモニタースピーカーを接続するように、音響増幅器のボードを注文した。振り込み先をみると、当方と同じ銀行の同じ支店の口座であった。近々、商品は届くだろう。

接続などには問題は起らない筈だが、スピーカーをデスクの上に位置を定め、スピーカーコードなどの準備をしておいた。技術的な問題がなければ、配送から二十分もすれば音出しができるだろう。

LPを片付け、楽譜類も整理した。しかし数は少ないとは言いながら書籍は中身を改めて流し読まないと、置き場所が定まらないものが多い。
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脳冷却利かず思わず暴発

2008-06-11 | 生活
三十度を優に越える真夏日である。昨日は湿気が高く蒸し暑かったが、本日は乾燥していて室内にいると気持ちが良い。

元々日本の夏の生活が耐えられなくて移住した欧州であるが、やはり温度が上がると脳の冷却があまり利かない体質が暴露される。

朝から二回ほど頭の線を切った。そう云えば先週にも一つ苦情をした。嘗て、共同場所の掃除婦を、顔見知りと言う理由で直接叱ったことから、掃除会社が契約解消したので、それ以後は自分では直接苦情をしてくれるなといわれて今回も管理組合会社に苦情しておいた。

今朝は薄っすら予想していた日本からの船便が到着して、都合悪く二度寝の床を起こされた。その重量は、〆て五十五キログラムを越えていた。若い女性の体重ほどもある。これを高度差十メートル近く挙げるには興奮する必要があるのだ。

このての宅配で一番問題となるのが、集合住宅の場合何処まで運ばせるかである。確か、住宅の入口までは運ばせる必要があった。よろしい、上の階までは自分で運ぶ。しかし、本日のDHLの配達は若い女性で、入口のしたの階段の途中までしか持ってこなかった。

「分かってるよ、重いのは、でも持って来ない限りは受け取りの書名はしない。持ってきなさい」とぶちかましておいて、

「手伝ってあげるから」とせっせと荷物を運んだ。そして息を弾ませ、「受け取れんよ」と叫びながら、

「なんで署名しなんですか?、訳分からない」と言う声を無視して運びあげる。

最後に階段の中間まで持ってきたのを受け取り、署名をする。こういう場合、先に署名をしてはいけないのである。

さて、それから約束をしていた銀行に行き、昨日誤った送金の調査依頼をしていた件などを本筋の話の後に改めて苦情する。過去にも何度か誤りの送金などがあり、叱ったことがあったのだが今回は銀行側の誤りの証明があるので厳しく叱る。それでも、まるで異なる支店の誤りは役所からの文章を受け取っていなかったからとか、単純な誤りを認めようとしないので、銀行ジャックを試みる。

「それは、あなたがたが理屈をつけるだけで、エラーはお宅にあるのは明白じゃないですか。そもそも公文書を受け取っていないとは何事か」

「受け取っていないのではなくて、見落としたといえんのか」と大声を張り上げて、店頭の客達を驚かす。

「報告させていただきますから」と驚いた顔のおばさんのことばに被せて「報告は良いから直ぐに400ユーロを返済してくれ」と突っぱねる。

「サーヴィスというなら、正確な仕事をしてくださいよ」と叱咤激励して店を出る。

これ以上嘘の報告やいい訳がなされたならば、金融機関としては信用問題であると考えて、更に公に圧力を加えなければいけないと思っている。

それにしても上まで担ぎ上げた六月のインターナショナルな花嫁さんは予想通り重かった。



参照:
秋葉原で (たるブログ)
事件 (ライン河のほとりで)
春雨じゃ,濡れて参ろう [ 雑感 ] / 2008-04-11
音響増幅ボードへの期待 [ テクニック ] / 2008-06-02
クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22
問題児対策にみる成熟度 [ 生活 ] / 2008-05-22
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外人権利と依存する大衆

2008-06-10 | 生活
地元外国人の会が新たな外国人法の説明会をするので覗いて来た。直接関心があった訳ではないが、友人の帰化問題や国籍問題などに触れるにつけ、また世界の趨勢をEUのガイドラインの中で探るために話を聞いた。

長く名前を忘れていた地元の外人局の担当者で現場の声と、州から使命を受けている外国人権利を訴えているスペイン人の話は、それらに対する質問ともども興味深かった。

前者の話では、EUガイドラインに則って新設された外国人待遇として、EU全域で有効な資格への変更の勧めが注目を引いた。

また、家族呼び寄せの規制は2005年度から厳しくなった外国人法によるのだが、その前提条件であるドイツ語力や呼び寄せるドイツ人の立場の相違への規制は、ドイツの基本人権法に抵触する可能性がある事が示された。

具体的には失業者の生まれつきのドイツ人が、アジアから子供を養子縁組する場合と、帰化してなったドイツ人が失業して、本来の故郷から妻を迎えたりする場合との差が示された。つまり後者は呼び寄せの結婚などが承諾されないのである。

要するにドイツ人の中に二通りのドイツ人が存在して、一方は生まれつきのドイツ人で、一方は移民したドイツ人となる。これは、基本的人権に抵触する恐れが強いが、実際にはこれはトルコ防御壁として機能している。

おかしなことにそうした新ドイツ人が第三国の異性と結婚する場合や結婚相手が然るべき教育を受けたキャリアーを持っていたり、研究者やグリーンカード対象者の場合は結婚が許可される。

実際にトルコ人が殆ど強制的に故郷から妻を迎えようとすると、まずトルコにてドイツ語の基礎を学び試験を受け、尚且つ迎えるトルコ人男性の所に自由意思で来ることが求められている。

このEUのガイドラインを逸脱する処置は批判を受けて大きく改正されて2007年7月以降に施行された。すると、外国人妻のヴィザ申請は三分の一に減少し、トルコ人妻のヴィザ申請は半数以下になったとされる。つまりこの新法は成果を挙げている。

同時にドイツ国民のこうした出所によるセレクションは、アーリア人種と非アーリア人種との差別を行なったナチの政策にも相通ずる可能性があるとの指摘は当然であり、法案作成に関与した連立与党SPDでさえその改正の必要を認めている。

大きな流れとしては緑の党との連立政権時に二重国籍を前提とする案が出されて、ローラント・コッホが反撃に出て以降、現在のショイブレ内相の些か病的な外国人への扱いへと連なっている。

EU内においては二重国籍が前提となってきていることから、実際にドイツ国籍が価値を持ったりはしないのだが、EU外の特に不都合な国籍を所持する自らが考える東欧からの移住者にとってはドイツ国籍は今でも喉から手が出るほど価値があるようだ。

しかし、ここでの大問題は、ドイツ人内でのセレクションであり、憲法判断を仰ぐ必要がある聳え立つトルコ防御壁の異様さである。外国人がその母国から家族を迎え、家庭にてその母国語を一義的に使うような状況は認め難いが、それは移住先の外国から再び迎え入れられる帰国ドイツ人家庭にも当てはまり、英語しか、ロシア語しか出来ないもしくはポーランド語しか使わないドイツ人家庭は認めるべきではなかろう。

そしてここで再び、二種類のドイツ人が存在して、一方では失業者でもアジアなどから適当に妻を迎え、英語などで日常を暮らすドイツ人家庭が存在することになる。実際に、それに近い家庭が独日協会の会員にも存在することを考えると、上の前提を強く主張することは出来ない。

外国人の権利はひいてはその国民の権利でもあり、ドイツ文化の規定が困難を極めた状況と相似していて、嘗てのようにもしくはアメリカ合衆国のように、国に対する忠誠と寄与を宣誓するような国籍は益々現実の社会から遠ざかっていくことが感じられる。

もしそのような愛国心に縋り付き社会に依存する国民や帰化人は俗に一般大衆と呼ばれるものではあるかも知れないが、その実は精神的もしくは経済的に恩恵を受ける社会に加護や庇護を求める人種であり、それらは社会の中での頭数でしかありえないことがそこに語られる。
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ロリータな感覚の体験

2008-06-09 | SNS・BLOG研究
ここ暫らく「思春期」と言う言葉をよく耳にした。男性によって使われたのは、「若いワイン」との比較、また女性によっては「自己の体験」として語られた。

何故そうした発想が集中したかは分からないが、やはり今年の春から夏の環境に関係があったのだろうか?

週末同行した19人のメンバーの中に一人のローティーンエイジャーの娘が居た。年齢は聞いていないが、参加者一人の娘のような若い奥さんの継ぎ子である。誰もが少し年の離れた姉妹としか見ないほど服装派当然のこと、体つきまで雰囲気が似ていた。

平均年齢が五十に近いグループの中では異色な存在であったので、そのなかなかロリータな雰囲気と自分を含めた周りの様子を観察していた。

特に気がついたのは母親世代以上の女性が、こうした若い娘に接する雰囲気で、予想すると母親が祖母のような接し方になるかと遠くから見ていると、意外にも若い娘に肩を並べる彼女らの方がどこか思春期の娘のような雰囲気を醸し出してくるのである。

つまり、どちらかと言えば大人の方がなんらかの影響を受ける割合が多いのである。その時点では親子関係などよりも、大人の方に時間を遡らせるような効果が認められる。

ハイロマン趣味の絵の描かれた壁やワインのクラッシックな絵のエチケットの瓶を話題にしていたら、道中の畑の中に幾多のステンレスの骨で丸く人間型の案山子が設置されていて、上記の娘がそれを叩いてみたい衝動に駆られていたことが継ぎ母から語られた。なるほど、現代芸術の価値にはそうしたインターアクティヴな面が付け加わっていることを明示しても構わない。

運動性を持った殻を破る好奇心に溢れ経験や知識に囚われないからこそ時代は進む。

それで自らはと言うと、丁度ローレライを上から望む対岸で、この娘をローレライにし立てて写真を撮影した。リュックサックに体をねじって懸ける手元が、魔法の竪琴を奏でるかのように自然に仕草を作って呉れた。こちらの意図を余すことなく感づいて対応できる機敏さが、こちらの如何にも古ぼけたアイデア以上にこの一葉の写真に新鮮さを齎してくれている。



参照:『ロリータ LOLITA』 (クララの森・少女愛惜)
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浮かぶ、あり得るべき姿

2008-06-08 | 歴史・時事
ドイツ社会は情報の権力構造で揺れている。ドイツェテレコム幹部による諜報活動指示は、情報の保護の面から、先日連立政権で可決した政府への情報の啓示と管理のための電話等の情報の記録保持の義務延長の法案のその廃案へとの論議を過熱させている。

会社幹部が従業員の会話等を盗聴したりスーパーの従業員更衣室をヴィデオで管理したりしていたスキャンダル以上に、旧東独シュタジ専門家の会社へと業務を指示していた旧公社であり現在も政府が大株主であるこの企業のあり方が問題となっている。

ジーメンスなどが海外で行なった使途不明金の裁量を持つ幹部やESDA社の元代表のインサイダー取引疑惑逮捕などをみても、こうした大企業の幹部の倫理問題が問われているのだが、それ以上に今回のスキャンダルは国の内務機能と一体化した金の動かない大疑獄として、情報が権力と直結する実際と今後の社会のあり方に警鐘を鳴らしている。

ベルリンの内務大臣であるショイブレ博士が進める管理体制は、角度を変えれば特定政治家や特定企業人への権力の集中と掌握を進めることであり、それは保護されるべき個人情報の政府管理に他ならない。社会秩序の安定のための寄与は、嘗て今までにない情報の管理者である大権力者を生み出そうとしている。

これほど複雑化した社会において、カオスとならない情報管理が超高速の電算機によって可能となっているが、同時にまだそうした電子情報化されない差異にこそ、各々の市民が価値を見出すことが権力の集中への最大の防御策であるように思われる。

社会によるできるだけ少ない情報の掌握を保障する憲法の必要性が緑の党などによってベルリンで訴えられている。情報の開示を進める事は同時に個人情報の保護を意味するとすれば、そうした憲法上の保護は必要と思われる。

現在、情報漏洩による罰則がただの30万ユーロでしかない事からそれを千倍ほどにする必要が囁かれる一方、企業幹部の倫理の確立が保守党から叫ばれる。しかし、この恵まれた時代においてああした組織エリートのキャリアー自体がそのもの権力欲に根ざしたもの以外ではないことを考慮すれば、大組織の頂点に立つ者に倫理を求める事そのものが誤りに違いない。

つまり、現在社会において最もエリートと称される輩が持つ価値観を真っ向から否定して、市場捜査によって消費と市場が動かされる消費社会を破棄し、従来型の市場や権力者には経済的恩恵が行き渡らないような社会作りが急務とされている。

それは現在の原油高騰の責任が追及されるOPEC等への国際的な制裁への動きにも共通していて、あり得るべき社会秩序は、資本主義社会の終焉へと向って、その像がぼんやりと見えてきているような様子である。



参照:ケーラー連邦大統領の目 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-02
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香りの文化・味の文化

2008-06-07 | ワイン
シュロース・ザールシュタインのワインを12本受け取った。特別な試飲会であったので送料無料になるどころか、即支払えば少し廉くなる。嬉しい限りである。

ここのワインをこうして即決購入したのも、既に八百本もの様々なリースリングを飲み、更に同数の貯蔵のある緑家さんの高評価と奥さんのなかなか説得力のある販促を鵜呑みにしただけでなく、試飲した印象が大変良かったからに違いない。

さて早速、キャビネットを開けて試してみる。試飲の場で感じたのと同じような比較的簡易なリースリングであるが、その豊かなフルーティーさはお友達のゲオルク・モスバッハー醸造所のそれに変わらない。

この二つを比較すると、ザール・ヴァインとプファルツ・ヴァインの特徴がよく見えてくるだろう。

ザールのそれは、やはりスレートの味が旨く、独特の酸が強く出ている。地元の店先でも話していたのだが、酸の質がプファルツのそれとは異なるというのである。確かに、量感と言うか重さがある酸で、大目の糖と均衡させてある。

数値的には、それほど酸の量には差がないと思われるが、残糖に拮抗する酸とフルーティーな味に隠れる酸とは官能の仕方が異なる。

なによりもプファルツのそれに比べて、香りが少なく単純なのが確認できる。プファルツの半辛口程度の香りしかない。逆に、プファルツのそれは比較的高いアルコールで香りが発散して、大変動的な印象を与えるのが特徴だろうか。

シュロース・ザールシュタインよりも明らかに素晴らしい2007年産ザールヴァインが話題となっているが、現在までの限られた経験から言えるのは、モーゼル・ザール・ルーヴァーヴァインの特徴は、一にも二にもその味であって香りではないようだ。

それに引き換え、プファルツ・ヴァインの特徴として、沸き立つ香りと淡白な雑食砂岩にいろいろな土壌の要素の交じった味の複雑さにあるだろう。その点からすればラインガウにも動的な軽やかな芳香が香る。

モーゼルワインが日本で人気を集めている理由に、そのスレートの味の強さと静的な穏やかさが挙げられる。同時に低めのアルコール度数と十分な残糖は日本の食生活に合致しているようだ。

確かに日本の食生活に慣れている者は塩味の強さなどの味についてはよくコメントするが、香りについてはあまり言及しない。気候風土からこうした感覚が身についたのだろうか?しかし同じ湿気の高い地方でもコリアンダーを楽しみ、タイの薫り高い米などを食する文化も存在して、一様にはなんとも言えない。



参照:スパイシーな相互感応 [ ワイン ] / 2008-05-26
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バイオ燃料による値上げ

2008-06-07 | 生活
ミルクを買おうとしたら、いつもの格安のJA商品はなかった。既に九日続いた酪農家の配給停止ストライキは終わったが、明日にでも並ぶ商品は値上げされている筈である。

仕方がないので、暑い折であり高価な生ミルクを諦め、保存の利くミルクをそれでもいつもより二十セントほど余計に出して購入した。

ミルクが中国人の乳製品消費で需要不足などといわれたが、今回は酪農の飼料が高騰した理由で、ミルクの買い取り価格の値上げを実力行使で訴えた。出荷停止した搾り立ての生ミルクが畑に肥料として捲かれている風景が報道されていた。

先日から切れかかっているひまわり油を買おうとしたがいつもの廉いJA商品がない。なにやらその植物油も値上がりしているようで、暫らく待っていたがまだ入荷しない。仕方なく、通常の植物油を購入した。

バイオ燃料の可能性は良しとして、米国やその同盟国が図った市場戦略は一体何だったのだろうか?急激な価格変動や経済的影響と問題は十分に予知されていた筈だが、敢えて食糧供給問題を引き起こした。

インフレ圧力が強まり欧州銀行の利上げが語られる。



参照:
特徴 (☆ ドイツに憧れて ~ in Japan ☆)
ミルク缶が冷やされる時 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-05-29
保護観察下にある休耕地 [ マスメディア批評 ] / 2007-08-01
不毛の土地の三つの星 [ テクニック ] / 2005-02-13
ラインを望む牧草の鳥居 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-06-04
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非公認ガイド修行の午後

2008-06-06 | アウトドーア・環境
日本から訪ねて来た人を二日間案内した。こうした時に限って予定外の仕事が入るもので急いで午前中に片付けたりと忙しい朝を過ごした。

その分、午後は殆どホリデェー感覚でワインの地所を合わせて十キロほど歩いた。初日はダイデスハイムの斜面を全て観察して、二日目はヴァッヘンハイムから昨日通った附近までフォルストを通って往復した。

初日には、用意していたフォン・ブールの2007年産ヘアゴットザッカーとシュヴァルテンマーゲンをパンに挟んで楽しみ。二日目にはザウマーゲン・ハンバーグライスに焼きレヴァー団子を添えた。ワインは、炎天下ではなくいつでも降りそうな雷がなる中でより冷えたビュルックリン・ヴォルフのグーツリースリングを楽しむ。

やはり食事には後者のワインが素晴らしく、高級レストランではべらぼうに高価な味覚をこうして簡単に味わう。

さて今回の案内は略VDPの現在のコンセプトに沿った土壌の相違を体験してもらうものであった。初日のダイデスハイムからフォルストにかけての五種類の地所 ― ヘアゴットザッカー・キーセルベルク・ラインヘーレ・グラインヒューベル・ウンゲホイヤー ― つまり試飲したワインの地所をピクニックを交えて二時間ほど、グラインヒューベルからパラディースガルテンを通り、ランゲンモルゲンからルッパーツブルクの地所を遠目に確認して、キーセルベルク、ホーヘモルゲン、モイスヘーレとカルクオーフェンからヘアゴットザッカーなどを遠くに見て戻って来た。

二日目は、ヴァッヘンハイムのベーリック、ルッパーツベルクのホーヘブルク、ヴァッヘンハイムのアルテンブルクやゲリュンペルなどを試飲 ― アルテンブルクのムーゼンハングに匹敵する酸は素晴らしく、2007年産のゲリュンペルはよくなってきている ― して、フォルストに向って行進する。

雷鳴が轟き雨の降りそうな天候ながら、ウンゲホイヤーの上っ面でのピクニックは、終りに数滴の雨を感じた以外は落ち着いてグーツヴァインを食事と楽しめた。そこからの眺望は格別で、天気こそ優れないがフォルストのキルヘンシュトックを真下に望む気持ちは豊かである。

ヘアゴットザッカーからモイスヘーレの新たに建造されているトロッケンマウワーを過ぎる頃には明るくなって気温が上昇して来た。折から元旦にTVで観た、見るからに失業者風のオヤジが仕事をしていたので声を掛けた。

これが所謂「乾いた壁」と言うやつかと「TVで観たから」と尋ねると、「セメントもなにも使わないんだ」と少し自慢げに端的に教えてくれた。これでまた非公認ワイン地所ガイドとしてよい経験をした。それにしても新調したロゴ付きの帽子が人の視線を引くのを感じる。

エルスターからフロイントシュトュックを通ってフォルストの村に出て醸造所ゲオルク・モスバッハー・エルベンの前を通ってシュピンドラーのガーデン・レストランで腰を降ろす。一休み後には、今度はキルヘンシュトュックからウンゲホイヤー、イエズィーテンガルテンをへてペッヒシュタイン、ゲリュンペルへ戻りルーギンスランドを通って三時間半ほどをかけて、ワイン地所ツアーガイドを終えた。



参照:文化的土壌の唯一性 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-03
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環境ゾーン設置の大都会

2008-06-05 | アウトドーア・環境
マンハイムでも環境ゾーン自動車乗り入れ規制が始まっている。ベルリンなどに少し遅れて今年一月から導入されたようだ。

環境保護のためにフィルターのついていないディーゼル車などが乗り入れを拒否される。先ずは導入のためにその車の環境基準を示すステッカーを貼ることで乗り入れが許可される。ステッカーは有料で支給される。

比較的新しいガソリン車はEU4相当のグリーンのステッカーを貰えるが、ドイツで過去十年ほど爆発的に売れたディーゼルは最近のチリフィルターが標準装備されたもの以外は、黄色とか赤色のそれしか配布されなくて、いづれ市内には入れなくなる。

ディーゼルエンジンの特徴がその廉い燃料だけでなく、長持ちするエンジンとすると、フィルター装着の遅れたドイツ車を買わされた国民は、今後買い替えや装着を迫られて、折からのディーゼル燃料の高騰と共に馬鹿をみる。

特にまだ数年しか乗っていない新車を購入した者は腹立たしいに違いない。ドイツにおいては如何にも賢い選択のような判断が、社会の趨勢で一転して否定されてしまうようなことが多いように思える。

勿論、多くの懸命な消費者は、後装着のフィルターの価格などを計算して、自らの過ちを自己欺瞞を含めて納得するのだが、現在のディーゼル価格の高騰を考えると全く嫌気がさすに違いない。

因みに、ステッカーが無く市街地の環境ゾーンに乗り入れると、40ユーロの罰金とフスレンスブルクの罰則センターでの減点一を覚悟しなければいけない。

マンハイムは、それほど先立つような都会であったろうか?そんな大都会の衛星都市に住んでいたとは少しも気がつかなかった。郊外に住む者にステッカーを売り、さもなくば市内の公共交通機関の使用を強制して、もしくは罰金を摂取する。環境への効果はまだ分からない。
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ラインを望む牧草の鳥居

2008-06-04 | アウトドーア・環境
ミッテルラインでの初めての大休止を崖の上で取った。バーベキューなどができるような小さな場所がある。

そこで昼食を採る。濡れた上着を着替える、初めてジーンズから半ズボンに着替える。

放建て小屋の周りにあるベンチを長机に寄せて食事とする。まだ新鮮な食事は進む。パンに挟んだスライスチーズが予想以上に蕩けていて、挟んだ野菜の水気と流れて具合が悪い。

それでも手を汚しながら大分を平らげる。ラインを望む崖の上に立って、戻ってくると先ほどから見えていた木の干し台が鳥居に見えてくる。牧草を干すのだろう。そう云えば屋根のついた干し台の下で女性達も着替えをしていた。

二つ建っている。向きは異なっているが形は殆ど同じである。鳥居の奥に教会の塔が見えて面白い。
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