Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

抜糸省いて最後の抜歯

2013-04-16 | 生活
二本目の親知らずを抜き終わった。総じて、大分状況は楽だった。抜いた左側上の歯を見て分かるように、足も生えていないので抜きやすいのだろう。何よりも虫歯の程度が違い過ぎる。これならばあと二年ほど寝かせて置けた。しかしそのような気は起こらせないのが、頬っぺたのすっきり感である。美容上以上に、都合がよいのは右側の按配で認識済みである。

先週のような全身症状は起きないだろうことは、歯医者との対話や反応でも明らかになった。私の見解である。施術以前の膿の量も違えば、施術時の喉や鼻などへの負担も全く違った ― 虫歯を親不知熟成させても何の特もないところか、大きなハンディーをもつことを身を以って思い知った。要するに縫い代以外は通常の抜糸とあまり変わらなかった。

こうして抜いたものを観察するまでもなく、抜いた後でも虫歯特有のあの炭化した味が消えずにいたものからすれば、今回は全く虫歯を感じさせない。それでも先週の時点で左が痛まないかと聞かれたことからすれば、その穴は結構深いのかもしれない。後々調べてみよう。

抗生物質を服用したことから、麻酔の効きや種類などに憂慮が行ったようだが、虫歯にハーケンを差し込んで試した。麻酔が効きにくくなる抗生物質などがあるのかどうか。兎に角ギシギシ音をさせることもなく上手く抜けた。

最初の出血量も少なかったようだから痛みもあまり出ないように期待するが、幅自体は狭くはないので、どうなるだろうか?しかし今回は同じ痛み止めも倍の数が出されているので、早めに服用しておけば良いだろう。二時間経過後の時点では麻酔がまだ効いているので、前回と同じように三時間半前が目安だろう。切れたと思った時点で服用しておこう。就寝前に更に一錠の予定だ。

土曜日には歯磨き時に糸が抜けてしまったので、抜歯の必要はなかったが、今回は歯石取りなどを最初にしたので、「期間を置くから」と嫌みを言われながら痛い思いをした。抜歯よりも痛い思いをさせるとは、殆ど嫌がらせ状態なのだ。抜歯などよりも、30分の仕事で儲かる旨い仕事だとは分かるのだが、こちらは虫歯を抜くまでに無駄な出費をするつもりもなかったのである。



参照:
第一回の抜歯を終えて止痛 2013-04-09 | 雑感
全身症状が悪化する抜歯 2013-04-10 | 生活
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試走で十日ぶりの運動

2013-04-15 | アウトドーア・環境
抜歯後初めて運動らしい運動をした。峠までの林道を駆け上がった。新しいトレイルランニングシューズを履いて、パン屋に行って、考えてみようぐらいの気持ちで出かけた。昨日からの雨で地面はぬかるんでいたが、履き心地も悪くは無く、身体が軽かったので、峠までの心算で走り出した。

紐を強めに締めて、走り出すと予想通りつま先で蹴っても、踵がしっかりとグリップされたままだ。それどころか靴下の中での足は、靴の中できっちりと納まる感じで大きめの感はしなかった。サイズに関しては小さめのサイズであったなら、足に負担が掛かっていただろうとすぐに思った。予想外は、つま先の蹴りへの反動が少なく、思っていたように蹴りが効かない。反面、足が前に出るので腕が良く触れ、腕が良く触れるとまた足が前に出る。軽さの影響でもあるだろうが、とても走る形が自然なのである。

一種狐に憑かれたような感じで、坂を上っていくと普通ならば感じる足への負担よりも心肺系へのそれを感じる。それは速度のためか病上がりのためかはわからなかったが、適当にピッチやテムポを調整して落ち着ける。こうした過程がとても容易にできるのは以前の靴ではなかったことで、如何に自在に走れるかの証明であろう。もしかするとこの健康状態でも早く走れれているかもしれないと思って通過地点まで駆け抜ける。予想に反して凡庸な記録である。しかし峠には、3200歩22分で ― ピッチを切り過ぎたかもしれない ―、昨年五月に記録した21分に続くもので、明らかに靴の効果であろう。

下りは、今一つ体力が無いので、山道を歩いてきた。ヒールが低めなので前のめりにはならずに踵に荷重されるが、走ってみるとつま先立ちしやすいので変化が付けやすい。岩場が出てくる前にピッチを短くしてリズムを変化させるとか、矢張りアルプスの荒れ地を走り下る機能は十分である。問題は林道をつま先だけで走って居り通せるかどうかであろう。次の楽しみである。

良く考えれば、我々はアシックスの鬼塚タイガーシューズで、至る所を踏破した世代である。当時はまだEBシューズを持っていない者は、それでクライミングすることは当然で、実際にソウルのインスボンのショイナードルートなどはそれで登ったのであった。それどころか現在の取り付までのシューズも出来るだけそれを使い、雪が無いところならばそれを使い切った。欧州でもマッターホルンなどでも使いこなしたので、「日本人は運動靴でどこでも行く」と話題にされたことを思い出す。

それが今また名前や目的などは変わってきているが、トレイルランニングシューズとして、底も柔らかく、荷物を担げば足に堪えそうなこうした靴でアルプスを駆け回るのが流行してきたのである。その機能はしかし大分異なる。

先ずはメッシュの部分の透水性は驚くほど高く、直ぐに足まで濡れても、乾くのが早そうで、あまり重くならない。肝心なのは、靴下などで保温や機能面を補うことだろうか。予想以上に、プロフィールへの泥詰りなどが多く、重くなりそうなので、出来る限り泥の中には踏み入らない方が良さそうである。油を底に塗るなどの工夫が必要そうである。

何はともあれ、一年前の記録を超える靴の性能と体力の回復で五月の初めごろには達成できるかどうかが、先ずは鍵だろうか。丸々一週間運動らしい運動をしていなかったが、これで幾らか新陳代謝がよくなったので、鼻から出てくる老廃物の量も減るのではなかろうか。気温急上昇で、来週から、抜歯に拘わらず、本格的の登れるようになるか?



参照:
復活祭明けのある午前中 2013-04-05 | 生活
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活
走って走って走るのが一番 2012-04-15 | 生活
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古い抗生物質錠の効果

2013-04-14 | 生活
抗生物質を500MGほど服用した。もう少し摂取する予定だ。なるほど全身状態は改善される。しかし、横になると膿が出るのか鼻から喉、頭へとの影響は止まない。鼻の感じからすると量は減って行っている様子なので、それも止むかもしれない。なるほど施術時に同じ場所の喉が焼かれるようにイガライ勝ったのは、麻酔液かなんかの関係かと思ったが、膿であったのかもしれない。

今朝初めて通常通り歯磨きが出来た。右の上はどうしても手つかずだったのだが、ツッパリ感もなくなっていたので、洗浄できた。但し縫い糸がぶらぶらして邪魔になるのと最後の歯の辺りで若干の違和感はある。しかしこれで抜糸への準備は出来つつある。

冷静に考えると、施術前から十分に化膿していたのであるから、施術時やその後の化膿のあり方は通常以上であったと思われる。虫歯臭さのようなものが最初の二日ばかりは取れなかったのもそうした影響があるのかもしれない。

そのような塩梅で完全に一週間を親知らずにとられてしまったようだが、左側は順調に抜糸さえできれば、同じような経過は踏まないで良い筈だ。

就寝前に、淡路島での地震の一報が入って気になった。夏時間と冬時間の違いはあるが、なぜか大震災の時と同じような時刻である。直ぐにその規模や被害の相違は分かったが、あの震災以前の感覚で言えば関西では珍しい規模の大地震である。大飯原発が異常無いという報道が流れると、とんでもないが、そのようなものは動かして置けないというのが中立的で常識的な見解だろう。



参照:
虫歯の最後の逆襲に備えて 2013-04-13 | 雑感
全身症状が悪化する抜歯 2013-04-10 | 生活
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虫歯の最後の逆襲に備えて

2013-04-13 | 雑感
全身症状はあまり改善されない。術後一週間後の抜糸並びに抜歯が出来るだろうか?どうも化膿していたところから、虫歯菌を含む様々なものが血中に流れたとしか思われない。あそこまで置いておいたのが悪かった。

右の鼻の調子は、副鼻腔に関わっているようで注意のために右鼻を通らすようにしていた意味が分かった。ぐずぐずしていたのはそれ以前からだったかもしれないが、状況が変わったのは確かである。

写真を撮っておく。左右不均衡になっているのは明らかである。親知らずと言っても牙のように左右に張り出しているので、その角度から見ると抜いた方はその分の張りが無くなっている。それで目の下の隈も下から押されることなく綺麗に下方へと流れるようになった。女性だとすると殆ど美容整形手術に相当する効果である。勿論期待するのは、抗体システムの強化と鼻腔などの改善である。

もう一つ影響を及ぼすのは、呂律ではないかと思っている。今までどうしても頬っぺた辺りの摩擦係数が高かったので、余裕を持った音が出せなかったのだが、素直に発音できるようになるかもしれない。語学力・発言力向上の可能性も期待したい。

それにしても頭痛が治まらない。可成りの毒素である。ここまで書いて起きていられなくなった。横になると30分ほど眠ってしまった。こうなればもはや抗生物質の投与しかない。歯医者もあの状況を観れば出して置くべきだったと思うが、その辺りに古い錠剤が転がっているので服用した。これで改善しないようならば入院ものである。何にしろ虫歯全滅に動く中で、虫歯も最後の逆襲に出てきているとしか思われない。



参照:
第一回の抜歯を終えて止痛 2013-04-09 | 雑感
塩水の対炎症の大効力 2013-04-07 | 雑感
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新製品試着の歯痒い気持ち

2013-04-12 | アウトドーア・環境
傷は想定外に長患いとなっている。歯痒さが、歯磨きの影響か完治への段階か、さらに増してきている。頭痛は、横になるとその血流ゆえか、再発して、寝苦しさへと体温の調整を難しくする。同じように施術側の鼻の詰まりや調子が治らず、麻酔や腫れなどの影響が認知される。喉の傷みも寝起きすると再発していた。縫い糸が邪魔になるのは致し方ないとしても、米噛みまでのツッパリ感は何とも不愉快である。腕や膝まで痛む。

発注した二つ目のトレイルランニングシューズが届いた。同じシナ製でも明らかに仕上げは良かった、半分ぐらいに縫製ミスが減っている。小さい方に偶々悪い職工が当たったのではなくて、何かの理由があるのだろう。重量では一サイズの違いで片足24グラムも増えて、334グラムとなっている。両足で668グラムとカタログの中ぐらいサイズの公称よりも56グラムも重くなっている。

大きなUK8でなければ指が当たるので、UK7.5を送り返すことにした。さて問題は靴の性能と使い方であろう。なるほど小さな方でも近所で走る場合は問題なく使えて、フィット感があるだけにスピードが出ることには間違いない。そこで再びマムートの他の商品と比較することになる。

MTR141は春のISPOでゴアテックス版がモデルチェンジされているようだが、最大の問題点は店頭で試着した限り、蹴りの回転点の設定にある。要するに土踏まずに近い場所で曲がるので、昔のスニーカータイプになっている。そこがラスポルティヴァのヴァーティカルKと比較される。なるほどゆっくりと歩く場合履き心地も悪くなく理に適っているが、つま先立ちで走る場合は若干設置面積が多くなって地下足袋のように反発力を感じにくい。なによりも大きく先端が曲がるのは、我々の感覚からすると岩場での立ち上がりがやりにくくなるので不利である。

MTR71は試着したことが無いが、底も薄くサロモンクロスマックスXRに似ているらしい。敢えて固めに作ってあるようだが、あまり固くなると今度は上部にもそれだけのものを求めなければいけないので今使っているローヴァの方が倍の価格だが価値がありそうだ。

新規参入に近くスイスの伝統的な靴メーカーライヘルのブランドとしても、シナ製であることも含めて、試行錯誤の真った中にある感じは否めない。こちらとしても使ってみなければ自らの用途に使いこなせるのかどうかも分からない。

先ずは、近所でのトレーニングに快適に走りやすいこと、岩場への登りで一時間ほど荷物を担いでも足があまり疲れないこと、可能ならば20KMほど軽荷で歩けることぐらいだろうか。

第一点に関しては、ゴアテックスでもないので雪道などではとても使えないだろうが、そもそも雪道では同じように走れないので古いものを使える。

第二点に関しては、同じように雪の上の歩行の冷たさと足が濡れることを考えることと、そもときの荷物の重さが考察点になるだろうか。

第三点に関しては、大きめの靴で爪先が当たっていなければ、足の裏が痛くなるだけだが、ウレタンクッションが入っているから何とかなるのではないだろうか?

先ずは使ってみよう。価格は中庸であるが、アルプス向きとなっているのである程度の機能は期待している。



参照:
Mammut 2013 Trail Running Shoe Preview (Dromeus)
トレイルランニングに使える靴 2010-10-29 | アウトドーア・環境
急激な回復と復活の印象 2013-04-11 | 生活
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急激な回復と復活の印象

2013-04-11 | 生活
ようやく全身状態が回復してきた。部分的にはまだまだ問題があるが、口も十分に開くようになり、何とか動けるようになった。そうなると食欲も出てきて、健康にぐっと近づいてくるだろうか。そのように感じるほどに、先晩までの全身症状が解決されていた。なるほど早朝に小用に立つときは足元が覚束なく、朝の予定が遂行できるかどうか危ぶまれたが、実際に起きて身の回りを整えているうちに平常時のように動けることが分かってきた。

不思議なもので、それなりの理由があるのだろうが、大怪我や手術や入院などの経験が無い者にとっては、なるほど病院に追い出されるという感じに似て、回復力とかそうしたものに準拠するものなのだろう。一般の疲れや風邪ひきなどは、直接の症状が取れないことには回復した感じを覚えないのだろうが、やはりメスを入れたり縫ったりする異物反応は全く異なる全身症状の原因となるようだ。要するに、もともとが健康であるから、長引かないのだ。

もう一つ気が付いたことがある。ここ一年ほど目の下の隈が消えずに ― 継続的に隈が表れるようになったのは今の眼鏡を購入した2009年以降のことである、ただ単に加齢の現象かと思っていたが、抜いた方が薄くなって消えるような雰囲気である。抜いていない方はそのままであるから余計に目立つ。関連して、角度を変えると明らかに親知らずの生えている方の抜いた方では輪郭が変わっている。小さな角度のことではあるが、抜いてしまうと明らかに印象が変わりそうだ。敢えて言うとその昔ティーンエイジャーの頃に見慣れたシルエットが浮き上がってきた。こうなると、またまた女性関係で、そのティーンに自らの気持ちが近づいてきてしまって、これまた煩わしいことになりそうだ。

注文したトレールランニングシューズが届いた。足が丁度収まるサイズで、つま先が詰まって人差し指が当たる。そのあとの指も当るところがあって、更にそのそこの柔らかさから、明らかに長距離の歩行には適さない。しかし走るにはかなりのものであることが確認されたので、一つ大きなサイズを発注した。

大分むずむずしてきたのだ。回顧すれば十年ほどの失われた時期を超えて、運動量を上げてかなり回復していたと思っていたのだが、ここ数年はその反面虫歯に侵されていて消耗していたとすれば、もう一本抜歯して暫くすると、可成り状況が好転する可能性も出てきた。そのように考えれば、合わせて十五年ほどの差異が生じてくる。なるほど十五年前のあの爆発力は未だに戻っていないことを考えれば、そこまで戻すのは不可能とは言えないのかもしれない。



参照:
疲労困憊した朝飯前の一万歩 2010-08-29 | 料理
匙ならず賽を投げたその時 2013-03-10 | 女
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全身症状が悪化する抜歯

2013-04-10 | 生活
術後二十四時間過ぎた。服薬後、裂傷の痛さは完全になかったが、就寝前にツッパリ感や違和感とともに若干の鈍痛のようなものを感じたので急いで寝付いた。結局朝まで同じような状態で、出来る限り右の頬に負担が掛からないように、心臓より上にして寝た。

朝起きも殆ど状況は変わらなかったが、流石に歯磨きしたりする勇気はない。唾には血が混じることは無くなったので出血はもはやしていないようである。髭剃りも慎重に行わないと歯の無いところが歯痒くなる可能性がある。なによりも食事量が減って、疲れが出たので全身症状が悪化した。

パン屋に行ってそれを頬張る意欲も走るなどは論外で、痛さが酷くならないようにコーヒーも控えた。鎮静剤をもう一錠飲むと買わなければいけなくなるので面倒だ。できれば来週に取っておきたい。

痛みは問題なかったが、予想以上に全身症状が悪化して、頭痛や悪寒などはなかなか収まらないので、ほとんど仕事にならない。来週も同じように前半が潰れるとなると気が重い。

虫歯が完全に消え失せて、免疫システムが強化されるのにどれぐらいかかるものだろうか?新しいトレールランニングシューズを注文したが、二週間のクーリングオフ期間のうちに正しい判定が出来るだろうか?

ストローを止めてごっくりとカフェーオーレを飲んで、次の半日の様子を見てみたい。術後三日も影響が出るとすれば、想定以上で、容易に決断できなかったのが正しいとなるだろう。



参照:
第一回の抜歯を終えて止痛 2013-04-09 | 雑感
最も人間工学的な考察 2006-04-24 | 雑感
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第一回の抜歯を終えて止痛

2013-04-09 | 雑感
抜歯は終わった。その抜いた親知らずの穿孔の深さ大きさに驚いた。自分では見えないので放っておいたのだが、なるほど専門家でなくともこんなのを見れば、だれでの早く抜いてしまえと言うに違いない。

良くここまで置いとけたのは知らぬが仏だからだろう。恐らく反対側の左側も同じように穿孔しているに違いない。歯医者が、「両方とも痛む」と訊ねるので、「奥歯のことか?」と聞いたら、反対側だと言うのである。なるほどである。

さて抜歯のクライマックスは、力を入れて押し込むときのぎしぎしと言う音で耳でしっかり聞こえた感じがしたから、中々の迫力であった。注射の前のフェイントのハーケンの押さえが分からずに、「一体何すんの」と言いたくなったのである。

そのあとに糸を扱っているんが分かった時にはもはや面倒なことにならないのは分かったのだが、やはりそれなりの出血は続いている。麻酔が顔面半分に十分効いているので痛みは分からないが、痛み止めだけは貰ってある。

前日熟睡は出来た。早めに床に就いたが問題なく朝まで眠れた。あれだけの炎症を起こしていればかなり疲れているのは感じる。歯が痛まなくとも顎からこめかみまでの当りにツッパリ感がある。如何にも痛みだけが塩水で収まっているという感じだ。痛みが治まっている分怖いぐらいの感じである。

耳や喉、肩の傷みや腰の張り、膝まで痛んでくる感じなのだが、これもあれも全て歯の炎症の影響が出ていると考えた方が良さそうである。兎に角、がたがたである。普段健康のような生活をしていても、これだけのことで全身症状が出てくるのであるから病気と言うのは気が付かないということはあり得ない。寧ろ早期の癌などの方が特殊な症状であって、症状が出てきたときには進行しているというのが不思議なのである。

抜歯後の痛みどめは、どうしてもモーツァルトとなる。ハイドンやその他では矢張り駄目である。その中から、四重奏曲を考えたが高弦が耳に触りそうなので、ザビーネ・マイヤーのクラリネットにしたが丁度頭蓋骨と波長が合って痛んできた。早速弦に変えてみよう。



参照:
一晩ゆっくりと眠れれば 2013-04-08 | 生活
なんとも言えぬ歯痒さ 2013-04-06 | 生活
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一晩ゆっくりと眠れれば

2013-04-08 | 生活
夕食後、歯痛は収まっていたが、就寝前に歯磨きが物理的に炎症を再燃させたようだ。金曜日の就寝前のような状況になってきたが、懲りずに塩水で引き締める。薄ら薄らして消灯するころには大分楽になってきた。

期待通り、朝までぐっすりと就寝することが出来て、ほとんど形跡を感じないぐらい改善されていた。負担を掛けないように歯磨きをして朝食をとりに行くが、走るだけの体力は無く、寝付いているので腰も痛む。

パン屋で塩水療法を話して帰ってきて、固い新鮮なドッペルブロットヘンを食した。負担を掛けないように左側で食したので悪影響は出なかった。食後はイチゴを頬張ってから塩水で再び消毒する。状況は起きがけの感じと殆ど変らない。

昼頃に相棒の医者から電話が掛かってきて、序に歯痛の話をした。彼に言わせるとアスピリンなら効力が短いので私が言っているような悪さはしないだろうということだった。寝るまでは分からないが、今のところは何とかなっているので、今晩さえしっかり就寝できれば良いのだ。



参照:
塩水の対炎症の大効力 2013-04-07 | 雑感
なんとも言えぬ歯痒さ 2013-04-06 | 生活
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塩水の対炎症の大効力

2013-04-07 | 雑感
買い物から帰って寒気がして横になった。買い物中、歯が痛むのを顔を顰めて堪えていたが、熱が出てきたようだ。昼飯時だったがとても食欲どころの話ではない。

ベットに横になるが寒気だけではなく、歯がずきずきして肩から頭の先まで痛むのだ。ネットなどを見ると指圧のツボなども書いてあるが、全然効かない。その他の鎮静剤なども古いのが残っているが、月曜日の抜歯とその後のことを考えると使いたくない。

ひと眠りするが痛みが続いていて、とっても起き上がれない。痛みの原因は炎症であることは分かっているので、炎症を抑えるにはどうすればよいかと考える。そのために悪寒までしているのだ。このまま食事もせずに月曜日まで頑張っていても体力を消耗するだけで息も絶え絶えに歯医者に参上することになる。

そこで、塩水を試すことにした。歯茎を締めて、炎症も抑えるのが目的だ。歯医者でも結局うがいすることで歯茎を締めていくしかないのである。塩分の悪影響も考えたが、飲むのではなく直ぐに吐き出すので良いだろうと、試してみた。

ものの十五分もしないうちに痛みが和らいでいく。更に何回か口を塩水で濯いで、イチゴを齧ってみた。そしてまた塩水で引き締める。すると急にお腹が鳴ってきて食欲が出てきた。

しめた。急いで着替えをして、作り置きのチャーシューと買ってきたネギで、ラーメンとする。腹いっぱい食して、急いで塩水で口を濯ぐ。これで体力の消耗は防げた。そして痛みも和らいだままである。もう少し回復すれば金曜日以前の状況に戻るが、さてどうだろうか?月曜日までは、鎮静剤を投与しないでも何とかなりそうだ。



参照:
なんとも言えぬ歯痒さ 2013-04-06 | 生活
春らしい貝の観察 2013-03-07 | 料理
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なんとも言えぬ歯痒さ

2013-04-06 | 生活
熟睡できなかった。親知らずが痛むようになったからだ。月曜日の約束まで、もう二晩ほどはこれが続く。ボルダーリングで歯を食いしばって練習しているときに、件の親知らずの炎症部分に負担をかけていることが感じられた。帰宅して食事をして、床に就くごろになると余計に違和感が増えた。

初めての親知らず抜歯なので恐怖心からそこを触っているうちに、ぐらぐらしだしていることに気が付いた。最後の歯はぐらぐらしていたことは歯科予約時に伝えていたのだが、十日ばかりでそのものがぐらぐらしだすほど炎症しているとは驚きだ。

もうこうなれば縋るしかないのである。一刻も早く引っこ抜いて貰いたいと願うばかりだ。少し工夫すれば自分で抜いてしまえそうだが、流石に通常の歯とは違うのでそこまではやらない。それに奥歯をしっかりと残すことが肝心なので、嗽にも気を遣う。

それにしても神経へとくる痛みではなくて、まさにむず痒く歯痒い痛みなので我慢できるのだが、徐々に肩こりや首の張りのような雰囲気になってきて良くない。二日二晩、小休止があるのかどうか?

抜歯の後の状態も分からないので、固い肉でも先に食しておこうかとも思うが、左ばかりを使うのでそちらも徐々に調子が悪くなってきている。



参照:
ゴムの柔らかさを変えてみる 2013-03-27 | 生活
疲労困憊するアポイントメント  2011-10-28 | 生活
最も人間工学的な考察 2006-04-24 | 雑感
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復活祭明けのある午前中

2013-04-05 | 生活
この一週間、どれほど体を動かしたか?走りながら思い起こした。復活祭月曜日には数時間石切り場で攀じった。その前は日曜日に20分弱走った。聖金曜日は午後に石切り場とクライミングホールで登った。その前は木曜日あたりで走ったのだった。一週間で四日の運動は冬シーズンに三回登っているときと殆ど変らないが、走る、登るとも距離も高度差も増えているので運動量は多くなっている筈だ。

そのためか走り出しは、足が冷えていてコールドスタートでアキレス腱からつま先までの筋が切れるかと思うほど張力が掛かったが、走っているうちに緩んできた。丁度登りの第一関門を過ぎたところぐらいである。そのためか意外に峠到達時間は一週間前よりも一分短縮できていた。その勢いで頑張って走り下りたが、下りは15分掛かって〆て38分で駐車場へと戻った。これ以上は新しい靴を買わないとあまり変わらないかに思える。それでも林道から峠そして駐車場へのコースの完走は数回もしていないので、この記録が今までのベストに近いのかもしれない。30分を切るのはいつの日か?

週末にはマルゴーの一流シャトーの1996年物を開けて、ビーフの煮物に合わせた。一晩立てておいただけで澱も問題なく、澱さえなければ透明感のある本格的なマルゴーが楽しめた。何よりもその透明度と芯の通った味筋はメドックを代表する最高級品のものである。シャトーマルゴーほどは高価ではなかったが、1996年の高品質が今でも熟成したワインとして楽しめるのが嬉しい。そこで、ボルドーの一流シャトーを網羅して照会した立派な本を貰ったのを思い出す。是非次の機会にも訪ねてみたい。

出かけるときは肌寒く、摂氏4度しかなかったが、降りてくると汗でTシャツが濡れていた。陽射しも道中しっかりさしてきたが、それでもフリースを脱いで走るような状況ではなかった。午前中はそのように運動をして過ごしたのだった。



参照:
早く走ってみる意味合い 2013-03-29 | 生活
欠ける夾雑の自然さ 2013-02-13 | ワイン
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遅咲きでもそれなりに試す

2013-04-04 | ワイン
2011年産リースリングは遅咲きであった。しかし、所詮単純なワインは飲み頃も限られていて、酸が足りないことから偉大なワインともならない。ファン・フォルクセム醸造所のPCクラス「シャルツホーフべルガ―」を開けてみた。

なるほど皆が語るペトロールな香りと言うのはコルクを抜けた瞬間に感じたがこれはワイン蔵に充満しているあれなのですぐに意識から消え去ってしまう。

本質的なところは、開く前には圧倒的な酸の量感があることで、醸造所の試飲では残糖成分との分離でほとんど感じなかった性質である。それでも2011年の酸の特徴である量感の割に酢酸的なそれが混じっているのはここでも感じる。要するにまだまだ熟れてきていないのである。寧ろ、瓶詰め直後に比較すると分離していない分ミネラルの構築感は分かりにくくなっている。その反面時間経過による様々な要素が出入りしてくるので、その潜在力は明らかになってきている。

その液の色が示すような濃い出しの傾向は、十分に分解した酸とバランスが取れていて、現時点では濃口のリースリングとなっているが十分な瓶熟成が期待できる高級リースリングとして説明される。果実風味は、熟れていない白桃かマルメロを丸齧りした感じで、これも若いのは明白だ。

高級ワインを知らない者はこの時点では何も判断できないかもしれないが、私のようにグローセスゲヴェックス評論家となると、概ねの将来性は予見することが出来る。なるほど2011年産の限界も見える一方、アルコール13%も糖分も酸も十分なので、少なくとも瓶詰め二年ほどは待たなければ開いてこないだろう。あと一年以上は待てである ― こうしたワインを二三ヶ月の内に飲み干してしまう馬鹿者は一生其の儘である。

こうなれば予約発注しなければいけないワインは明白だ。なるほど2012年産はそれほど期待できないとしても、若干若飲みには適しているかもしれない。逆に今まで試していないグローセスゲヴェックスも早めに開けてしまうことも出来るだろう。2013年に期待できるのだ。



参照:
聖土曜日から復活祭にかけて 2013-04-01 | 暦
大量生産ビオ商品市場で 2012-08-26 | 試飲百景
ScharzhofbergのRieslingについてです。
Saarとリストラック・メドックの2種類を楽しみました。
かなり濃厚なエキス感のあるScharzhofbergerです。
このScharzhofbergerをお土産にする事にしました。 (saarweineのワインなどに関してあれこれ)
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交響する満載の知的芸術性

2013-04-03 | 
サイモン・ラトル卿の指揮はどうして立派だった。室内編成のオペラとは異なり四管編成の大交響楽団では全く異なった指揮をする。そしてこの初期のマーラーの交響曲では決して曲の弱点を隠すことなくありのままにそれを曝け出すことで大成功していた。あれほど弛緩した終楽章などもマーラーの交響曲にもほかにはないと思われるが、通常の指揮者ならばなんとか聞かせどころを用意して飽きさせない。その最たる例がロリン・マゼールなどで、ややもするとマーラーの交響曲を演奏しているのか、自作の指揮ぶりをアピールしながら管弦楽曲を演奏しているのかわからなくなる。レナード・バーンスタインのマーラールネッサンスのそれを批判する以前の問題である。

当日のプログラムにベルリンのフィルハーモニカ―とこの復活交響曲の関係が詳しく触れられているが、1895年11月のベルリンでの初演以降の大成功で各地で再演されたにも拘らずそこでの再演は戦後1948年9月占領下の放送局ホールにおけるクレムペラーの指揮を待たなければいけなかったとある。その後は1963年マゼール指揮、バルビローリ、メータ、1977年のアバド、1995年のこの曲での日本旅行などが続いているようだ。ラトル指揮では1991年、2010年と演奏されているらしいが、全く関心が無かったので知らない。

初日の「魔笛」の上演とは当然のことながらその規模も精度も異なるので、管弦楽団の能力の限界も一目瞭然で、シカゴなどの超一流オーケストラとはそのアンサムブルで比較の仕様が無く、音色やその独自性でヴィーンやドレスデンなどの美しさもなく、コンセルトヘボー管弦楽団のような見事さもない。それどころか嘗ての特徴だった発止と発止の演奏ぶりも影を潜めた。まさしくラトル卿の影響はこうしたところに出ているのだろう。前任者のアバドがそうしたものを一回限りのものとしてルツェルンで未だにやっているのと対照的なのである。

そこから生じるものは、本当に文化的な音楽芸術とはなにかと言うベルリンにある文化団体が担っているものなのである。なるほどフォンカラヤン時代のように経済成長に恩恵するようなショービジネス産業での大成功も世界的な名声というのも過去のものであるのは周知であり、交響楽団活動の終焉を文化的なパラグラムで実践しているのである。ラトル卿のプログラムで最も興味深いものは決して大編成の普通のプログラムではないのである。まさにそこがベルリンのフィルハーモニカ―が世界の先端を行く文化活動でありえることを示している。

具体的にその演奏実践を見ていくと、特に一楽章のハ短調のぎこぎこした悲劇の動機とホ長調の癒しの主題との直截な連結こそがこの交響曲の味噌と言っていいのかもしれない。お馴染みの演奏前のガイダンスによると、それに加えてコラールの克服の主題を含めて、その突発的な裏返しこそが、十九世紀に盛んになったメロドラマのレトリックの手法だというのである。つまり、最近の日本人が熱心と聞き及ぶ韓流ドラマのそれと同じなのだろう、既にその倒立する関係はそれ以前に予感として準備されるのは繰り返されるからであり ― まさしくTVの連続ドラマとしての米国のそれが確立した手法なのだろう ―、繰り返されるからこそ予測できるともいえるだろう。これをしてしつこく嫌味な手法とも受け取られるのだが、例えばアルテュール・シュニッツラーのそれが珍奇だとは思われなく、ヒッチコックの映画などもその手法は見事なのである。

つまりここでも指揮者マーラーの作曲家としての出世作であるこの交響曲は、メロドラマとして読み込めば決して複雑な構成ではなく、最も分かりやすい交響曲の一つであったから大成功した歴史があるのだとすることもなるほどとなるのだ ― その後の交響曲六番の連結などを考察する時にも、全く異なるこの交響曲を理解することは大変有意義だ。

ラトル卿の第一楽章における演奏解釈は、まさにそのコントラストと短縮などの基本技法の聞かせ方と、「ペザンテ」へと特に展開部終了時の最強音部への追い込みに全てが集中する。その点だけを、レナード・バーンスタインの最初の録音と比較すると、若き巨匠は既に動機や主題の提示から独自にメリハリのある明晰な奏法を要求していて、なるほどマーラーの曲に慣れていなかった聴衆には印象的に教育効果があったに違いないが、そうしたあまりにもの意味づけや動機付けが、逆に展開部などでの瞑想や解脱効果を強くしている一方、ここぞの「モルトぺザンテ」が効果を生まない。要するに、バーンスタインがほとんど演奏実践を超えていると言われるゆえんはまさにそこにあって、今回の演奏が示すような音楽構造的即ち叙述法の明晰な提出からは程遠いということになる。

それ以外にも、ベルリンの交響楽団の優秀な演奏能力を揃った清潔なグリッサンドが演奏効果としてだけでなく ― 個人個人の技術力は吹き口を上げたい奏法などの端々に効果として生きているのを聞き逃せない ―、二楽章のレントナーなどへの連結性を示していて、それを十分に表現できていないニューヨークでのバーンスタインとの解釈の差が明白になっている。そして殆どヴィーナーヴァルツァーのノイヤーコンツェルトをパロディー化しているラトル卿の解釈と ― 全曲を通してのテムポ設定は見事であり、フィルハーモニカ―の内声部の演奏は楽器配置云々以前に金輪際NHKの交響楽団などでは弾けない質のものである ―、どこまで行っても表現主義的な音楽を真面目に聞かせるバーンスタインの解釈とは全く異なるのである。どちらが現代的で知的なあり方かは断るまでもないだろう。

つまり、終楽章で大活躍する舞台裏の管弦楽団こそが劇場外劇場を表現する劇場表現そのもので殆どピーター・セラーズの演出を思い出す ― 来年は聖金曜日にヨハネス受難曲演出上演である。その終楽章の前半こそは、恐らくマーラーが作曲した最低の創作に違いないが、その凡庸さゆえに復活への大きな止揚がなされることに他ならない。形而下から形而上への、日常から非日常へのこの大きな止揚こそが真ん中の三つの楽章を挟んだこの交響曲の設計図そのものである。

最近は古楽合奏団の合唱に接することが多く、現代的なそれの実力をベルリンの放送合唱団が示したが、交響楽団以上の喝采を浴びたのは無理もなく、オペラでの出演から疲れているとはいいながらソリスト陣の非力はどうしようもない。しかし、コチェーナとかと称するチェコのアルト歌手がなぜこれほど重宝されているのか全く理解できなかった。会場も広すぎるのかもしれないが、オペラにおいては歌手陣は居ても居なくてもよいような裏方に徹していたが、せめてコンサートのソロぐらいは 聞 か せ て 欲しかった。

それ程に合唱の精緻さは復活への止揚への原動力となっており、指揮者の設計図読みのその通り、図星の成果を上げて、その始まりの下らなさゆえに会場の皆は大きく満足したのであった。主役は、歌手でも、立派なソロを奏でた管弦楽団でもなく、ラトル卿そのものだったのだ。

勿論そこで書き忘れてはならないのは三楽章のペルペトィゥムモビールで、なにも難しく考える必要なく、そのエッシャーの絵のような設計図が示されるだけで、その音色旋律や無限音階のような技巧によって輪廻する、この交響曲における位置づけが初めて理解されるのではないか。寧ろ、一楽章のそのメロドラマ形式が認識されることで、初めてこの楽章の意味が分かるのだ。そしてアタックで間髪を入れずに始まる四楽章こそが子供の死のイメージとしての「子供の角笛」であって、潜在的意識が定義される以前のまるで「かもめかもめ」の童歌のような深層が開かれることになる。勿論それが最終楽章で日常の夾雑な意識へと開かれるのだ。ここにマーラーの交響曲が20世紀の中盤になって本格的に意識され、バーンスタインの注釈によって一般化した背景と、21世紀の今最早そのような注釈以上に寧ろ初演当時の状況を追体験する形で歴史化した古典としての交響曲が演奏されるようになっている状況がある。その意味からも第八交響曲の演奏解釈に興味を示さなかったクラウディオ・アバドが如何に過去の音楽家であるかが分かるだろう。

聴衆の質は、スイスのマーラーの交響曲に感応するそれとは異なり、如何にもドイツらしいそれではあるのだが、車のナムバープレートが示すようなハイデカーの親類のような人たちの知的な理解や文化的な背景は可成りのもので、そうした演奏実践を十分に消化するだけの一種独特の優れたものであったように感じた。恐らくベルリンのそれとも違うのは少なくともこの復活の交響曲での反応で明らかだろう。



参照:
交響詩「彼岸の入り」 2006-10-05 | 音
ドイツ鯉に説教すると 2005-03-14 | 文学・思想
ゆく河の流れは絶えずして 2005-08-01 | 音
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アーモンド開花祭りは未定

2013-04-02 | 
アーモンド開花祭りはまだだ。四月中に開かれるのだが今年は寒さが続くと末になってしまうこともあり得る。それでも我々はその上にある石切り場でアーモンド開花ルートを登った。陽は強いが、朝晩は零下なので、その岩は冷たくて、北壁登攀を思い起こさせた。気温は先週の金曜日よりも二度ほど低い。

決して難しいルートでもないのだが三人ともそれなりに苦しんだ。核心部の凹角ハングを過ぎると手の感覚が無くなっていた。

その次に五級プラスの長目のルートを登り、体を温めたが、ヤッケではなくフリースだけの私は全く汗を掻かない。

三本目は黄金の十月と称するルートで秋ぐらいには気持ちよく登れるのだが、まだまだ陽当たりが悪く、石切り場に上から何かが落ちてくる音などがどこからともなくしてきて少々不気味であった。それでも新しい靴を存分に試すことが出来て、明らかに今年は上のグレートから始められることを再確認した。まさに、秋に室内でシーズンを始めたときに感じたあの確信である。

兎に角、最適の姿勢をどこにいてもとることが出来るので、安定度だけでなく体力を使わないで登ることが出来る。その反面、その体勢に持ち込むときに気合を入れてと言った塩梅で、全く体力配分や、瞬発力と持久力の関係が変わってきている。

こうなれば、事故を起こさない細心の注意と、落ちた時の状況まで予想しての一クラス上の安全基準で登ることが大成功につながると確信している。何事もそうだが、余裕が出来て慢心するか、より注意を払うかで大きな差が出るのは当然だろう。



参照:
花冷えから新緑の季節へ 2012-04-02 | 暦
屈曲した懺悔のデリカット 2012-03-21 | 音
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