Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

語る価値のあるもの

2018-08-02 | 
ドミンゴ指揮の「ヴァルキューレ」については語る価値が無い。それでも休憩時間のアニャ・カムペの話しは面白かった。面白いのは彼女が完全にゲラ症状を示していたからではない ― 暑さのためか、緊張と緩和で完全に交感神経が逝かれてしまっていたのかは分らないが、その谷間でそのようになる傾向のある人のようだ。役者なんてそうした空気抜きが付いていないとやれない仕事なのだろう。しかし笑い上戸の酔っぱらいでないので、話の内容は情報的だった。一つは、ドミンゴによって相手役のジークリンデとしてメト登場の機会を与えられたことで、キャリアのブレークスルーとなったこと、そしてその恩返しで今回もお手伝いをしたことが語られた。その前の他の歌手の話しにもあったが、リハーサルでもボロボロになっていたようで、何とか本番では破綻を生じないという援護体制だったのだろう。

だから、一緒に歌う歌手仲間との舞台上でのあんうんの呼吸の話しも中心となっていた。それでも有名なプロ野球選手の言葉ではないが「ベンチがアホやから野球できへん」ならず「指揮者があれでは舞台が崩壊する」のを避けるための協調作業にも限界がある。それでも管弦楽ですら如何に指揮者無しでは合わせられないかが良く分かる放送だった。更にあの特殊な蓋付きのピットと舞台の関係を考えるまでも無く、先週ミュンヘンで目撃した指揮者の役割は途轍もなく大きい。だからその指揮棒に合わせるしか大事故を避ける方法は無い。それはただ単に職人的な現場の技術の問題だと無視などできないのが音楽劇場の現実である。

もう一つ、ミュンヘンのオペルンフェストシュピーレでの反響の話題を振られていたが、まさしくそのことが語られた。その賞賛に対して、「実際には至る所に傷があったのだが、それは平素とは異なり、練習を重ねるのが難しいというこのフェストシュピーレの特徴」と明言していた。これも興味深い。ネットでの「ヴァルキューレ」への反響を見ても一月の出来とは明らかに違ったことは分かっていたが、それ程傷があったとは思わなかった。

それにも関係するもう一人のヴォータンのルンデゥグレンがコッホのそれとの差異を語っていた。つまり二人の歌手としてのキャラクターの相違であり、声質がヘルデンか、リリックか、という事になる。確かに彼の言葉を待つまでも無くヴォータンはこの人の方が良かったのだろう、一方でコッホのさすらい人はハマり役だと今回再確認した。

オペルンフェストシュピーレが火曜日で終了した。最後の様子が報じられているが、その興行成績と共に素晴らしい。「パルシファル」で華やかに開催を飾り最後を締めた。その様子が公式ヴィデオで流れている。ピットから楽員一人一人が花を投げ込む様子だ。まるで夏休みを前にするセメスター終了の趣で、練習時間の制約のある過密スケデュールの中でよくやったなという感じがする。以前から「ペトレンコの棒の下では楽員が何とか意志に適うような演奏をしたいという気持ちになる」と語っていたが、終りが見えてくるようになって、それとは変わって得られるものを出来るだけ得たいというような貪欲な気持ちが各々の楽員に見えるようになってきた。それは技術的なものだけではなく、ムジツィーレンの喜びのような音楽的能力のある人がプロの音楽家を目指す根源的な欲求に近いものだろう。それを引き継ぐとすれば、次期音楽監督がとても通常の能力の持ち主では勤まらない所以だ。

この夏初めて蒸し暑い夜中を越した。バルコンで裸で寝転んでいる方が気持ちよさそうだったが、流石にそれでは風邪をひくので布団で寝たが布団を掛けると少し汗ばんだ。それでも暑い夏と比べると過ごしやすく、ここ数日だけだろう。来週になるとまたカラッとして放射冷却で夜が冷える。湿度が高いと言ってもシャワーの上の温度計で28度、40%程度だから知れている。それでも早く雷雨がやってきて欲しい。

コンセルトヘボーからのお知らせに2011年にブーレーズが振ったマーラーの七番があった。残念ながらMP4でAACの128kBtなので音響は期待できない。監督のガッティーのMeToo問題が出たところであり、さて収まるのだろうか?ガッティーに何かあると来年のバーデンバーデンの「オテロ」指揮が変わる。変わるとなると俄然興味が出て来る。



参照:
就寝不可能な昂り 2018-07-26 | 女
入念な指揮指導の大成果 2018-07-27 | 音
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干ばつの毎日の驚愕

2018-08-01 | 
「ドンファン」のバーデンバーデンでの演奏を聴いた。サイモン・ラトル時代のフィルハーモニカーの演奏の特徴が良く表れていて、聴かせるようにはなっているが、ネゼサガン指揮のフィラデルフィアと比較すると指揮も荒く、演奏もその通りでしかない。フィラデルフィアも楽譜を見ながらだと、ここはそこはと解決しなければいけないところが次々と出て来る。所謂キリル・ペトレンコの眼鏡を通した楽譜の読み方をするとチェックポイントが沢山出て来る。

それでも最後のところで木管がハーモニーを重ねるところの響きは驚愕以外のなにものでもない。管弦楽を称してオルガンの響きとか比喩的に評することは多々あるが ― 先日のローエングリンの響きを称してアマルガムと称するのと違うのか? ―、ここでのように本当にオルガンの響きを聞いたことは無い、今まで世界中の数多くの管弦楽団を聞いてきたがこんなのは初めてだ。一体どのようにして音程を合わしているのだろう。

クリーヴランドからの「トリスタン」放送後、タイマー録音でシカゴからのそれを録音したが、残念ながら時差を一時間読み違えていて3時始まりを2時として二時間後に終えたので、バーデンバーデンで聞いた「展覧会の絵」を録り損ねた。それでもドヴォルジャークなどがあって演奏程度はよく分かった。正しく評価するとベルリンのフィルハーモニー以下でも以上の交響楽団ではない。つまり今や頂点とは大分離れている。来年日本でヴェルディのレクイエムを演奏するようだが、バーデンバーデンでのフィルハーモニカーを指揮するよりもいい演奏するとは全く限らない。寧ろいつもの最高品質のエンターティメントの域を出ないことは分かっている。なにかこの二つの交響団が結構似て来ていて、今の状況から抜けるには指揮者の指導しかない。ムーティーには求めようが無いもので、ペトレンコにしかない。

ドイツは干ばつと言われている。その被害が農作物に出ていて、朝のニュースも農林大臣のクロックナー女史が先ずはEUを待たずに連邦共和国内での農業補償を八月末までに出すと声明した。三分の二減ほどの不作が予想されていて、未だ嘗てなさそうである。少なくとも室内で過ごしている限りはとても気持ち良い夏で、夜中の冷え込みが気持ち良い、しかしここ二週間ほどは窓を開けないと眠れない。そして冷えて来るのか昼間に補給した二リットル以上の排水が必要になる。それでも布団の中で汗を掻くよりは気持ち良く眠れる。

干ばつの被害は農業だけでなく、原子力発電所にも出ていて、ご近所のフィリップスブルクの最後の一機もラインの水温が上昇して冷却水の温度が上がり、一割方の操業制限がなされるとあった。どのように調整するのか知らないが、制御棒を一部に下ろすという事なのだろうか。そんなに器用なことが出来たのだろうか。その他の稼働中の原子力発電所にも操業規制が掛かったという。



参照:
行きたくない火星が光る 2018-07-29 | 生活
「ドンファン」の新録音資料 2018-07-28 | 音
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