Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

幕が掛かって湯煙

2019-12-01 | 文化一般
新しいシャワーの幕が届いた。前日からシャワー周りをカビ落としなどを使って準備しておいた。特に吊るパイプは洗ったことが無いので、改めて水洗いした。高さ調整も一番高いようにしておいたが、実際に吊ってみると、今までのよりも心持ち長い感じがする。とは言っても丁度良い長さで通常に水が流れている限り水没しない。

吊って使ってみて気に入ったのは生地の分厚さとゴワゴワ感だ。洗濯を何回もしているので初めは少しは違ったかもしれないが、今まではフナフナで蒸気で揺れていた。今度のは壁のような感じになって、同じポリエステルでも風合いが異なるほど分厚い。更に新しいので折り目がついていて壁の様な立体感がある。屏風のようになって使いやすい。そして表面の張力があって水を弾く。コーティングでなくてもワックスがついているのかもしれない。

掃除した時にシャワーのノブを弄ったので水の出方がよくなった。出口の穴は平素からカルキ落としが出来るのだが、中のフィルターか何かが上手く掃除できたのかもしれない。シャワーを新しくしてから三年以上経っている。兎に角先日の手洗いに続いてシャワーの水の出も快調になった。てっきり来年ぐらいに新規しなければいけないボイラーの疲れゆえと認識していた。やはり出がいい方が温度も安定していて健康にいい。

ヤンソンスが亡くなった情報が入ったのが日曜日の朝九時頃、そこから故人がキャンセルしたヴィーナ―フィルハーモニカ―マティネー中継まで二時間ほどしかなかった。亡くなったのは未明のようだが、自宅のペテルスブルクの地元放送局が報じてから海外に届くまで時間が掛かっていた。日曜日早朝の事だからどうしても遅くなる。それでもタスなどが伝えるようになって信憑性が増してきた。

この指揮者は結局最初に名前を聞いた時から亡くなるまで幻の様な影の薄い指揮者だった。最初は父親の名前に隠れていて、どちらがどちらか分からなかった。そして亡くなるときも、最後の過酷なツアーを圧してカーネーギーホールで指揮してから亡くなった。キセルツアーの読み込んだ通りの登場だった。要するに時間の問題か、それとも長生きの為にも引退は既に避けられなかった。親組織のバイエルン放送協会の中でも責任論は強かったので、どうやって引導を渡すかどうかの時期の話しだけだった。最後の一年間ほどは様子見で放送などにも耳を傾けていたが、生きているのか死んでいるのか分からないぐらいに嘗ての精彩は全くなかった。殆ど亡霊のような感じだった。

大管弦楽団を指揮する音楽家という存在は全く関心がないのだが、その中で故人は世界的にも人気があったようで、明らかに我々とは違った世界の人だったという印象だ。故人の言葉として、九十歳を超えて未だに新人の様な活躍をしているブロムシュテット爺が、「六十を超えてから本当の指揮者の芸術」とする肝心のものが全く感じられなかった晩年だった。ここ数年で急いで生演奏を体験したブロムシュテット、ハイティンク、フォンドホナーニに比べれば世代も異なり子供のようなものでその音楽は幼かった。同じ年齢でもペトレンコとクレンツィスが大人と子供のような差があるのと同じで、その人物の頭脳によるものなのだろう。IQの低い芸術家の芸術らしきはやはり大衆受けする。ある年齢になって大化けする人もいるかもしれないが、その可能性があるかどうかはあらかじめ判断できる。その人物の頭脳程度は向上しないからである。その逆ばかりである。

そうした故人を端的に表すのが氏の変わらずのソヴィエトの教育システムへの賛辞だった。まさしく彼こそがソヴィエトのプロレタリアート独裁の社会主義レアリズムを実践した芸術家だったのだ。その指揮者の音楽がアジアなどを中心としてポピュラリティーを獲得したことは何かを意味しないか?故人の業績を考える場合最も主要な点であると思う。



参照:
己を映す馬鹿の鏡 2016-06-12 | 雑感
貧相なエンタメを嘆く 2019-01-03 | マスメディア批評
コメント
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