Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

西風に乗ってくる琥珀

2022-05-02 | 歴史・時事
ヨーロッパコンサートを観た。ベルリナーフィルハ―モニカーの、大晦日のジルヴェスター、野外のヴァルトビューネの演奏会と並んで、広く世界に映像を流すメインイヴェントである。コロナ禍で昨年一昨年は本拠地で二年間無聴衆で中継されて、2019年のパリのオルセー美術館以来の普段は公演しない欧州の文化都市の聴衆の前で演奏した。都合2019年に就任したキリル・ペトレンコにとっては初めての本拠地以外での通常のヨーロッパコンサート指揮となった。

最も興味深かったのは、指揮のペトレンコとラトヴィアのリガ出身のメゾソプラノ歌手エレーナ・ガランチャとの共演だ。初共演ではないかと思うが、ベリオの曲をしっかり歌っていて、更に曲の内容を出していたので、良かった。生ではこの歌手を復活祭のラトル指揮コンサートで二曲聴いたのだが、伴奏が悪かったのかその歌声以上のものは伝わらなかったのだった。

この曲は、作曲家の奥さんのキャシー。バーべリアンの録音等で有名であるが、それ以外の歌手で初めて楽しめた。こうした共演を観るとどうしても復活祭への出演も期待してしまう。この歌手が今回の侵攻に対して早くからステートメントを出していたのは知っていた。ラトヴィアの立場を代弁していたものと感じていた。

今回もベルリナーフィルハーモニカーは政治的なステートメントとしての演奏会ではないと明白にステートメントを出していた。そこに登場した歌手は、青いドレス、黄色いコートを羽織った形で上手にしかし明白に意思を表明していた。

そして当初オデッサで予定されていたプログラムの中にはリヒャルト・シュトラウス作曲「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」が入っていたのだが、流石にこの時期には相応しくないという事で、フィンランドの独立へのシベリウス作「フィンランディア」に差し替えられた。復活祭でユース管弦楽団をペトレンコが指揮したコンサートでも同じように差し替えられていたのであった。

休憩後にはヤナーチェックの「タラスブラーバ」が演奏された。ポーランド治世下にあるウクライナのコサック親子を描いたゴゴールの物語で、木曜日にも他のウクライナ作曲家の作品でアンコールとして演奏された。また、ユル・ブリナーとトニー・カーティスの演じた映画のサウンドトラックは2019年のジルフェスタ―コンサートで演奏されいた。こうしたヤナ―チェックを聴くと、復活祭でもオペラ作品を取り上げて貰いたいと思う。

TV放送では御国紹介で、琥珀の色と形のコンサート会場のある第三の規模のリエパヤのある西海岸の海の風景が映され、そこでの琥珀漁風景を垣間見て吃驚した。だからザクセンの風と呼ばれる西風で琥珀が取れるという意味が全く理解できていなかった。

週明けからの幾つかを纏めておく。同時に五月の試飲会の日程も定かにしておかないと間に合わないかもしれない。要するに、秋のオクトーバーフェストのように社会が制限なしに動いて来ると、こちらも準備をしておかないと全てが流れて行ってしまう。コロナ期間のように数少ない可能性をついて機動的に動くだけでは捕捉出来なくなってきたからだ。



参照:
音楽を以て示すモラール 2022-05-01 | 暦
ギュンターの玉葱を剥く 2006-08-28 | 文学・思想
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音楽を以て示すモラール

2022-05-01 | 
日曜日11時からヨーロッパコンサートが生中継される。EUの文化都市としてオデッサの歌劇場から中継される予定だった。しかしウクライナ侵攻から一時は歌劇場前に土嚢が積まれていた程に危なかった。既にドイツ国内でも復興に向けての寄付演奏会なども行われている。

戦況は好転して南部の主要都市はロシア軍の侵略を防衛しているようだが、流石にベルリナーフィルハーモニカーが演奏会をするまでには至らなかった。そこで同じ東欧のそしてロシアの進軍に備えなければいけないバルティック三か国のラトヴィアに公演先を変えた。通常ならばヴァ―クナーも活躍した首都リガなのだろうが、生憎大きなコンサートホールがないという事で、西海岸のリエパヤの琥珀と呼ばれる近代的で1000人規模の大きなホールが公演地として急遽選ばれた。

生中継するベルリンの放送局の番組ではその準備の様子なども紹介されているが、ラトヴィアの文化ジャーナリストが市民は戦争からの逃避に劇場などに足を運ぶとしていて面白かった。前日のリハーサルにも市民は呼ばれるらしい。

木曜日のキーフ交響楽団演奏会前のEU副代表の話しでは、音楽を以てそのEUが根拠としている精神をデモンストレーションするのだというところに力点が置かれていた。それはバルト海の小国での現実逃避とは全く正反対のものなのである。

モラールと言い換えてもいいのだが、如何に音楽芸術がその社会の精神と結びつくことが可能か。そこでは、「あれほど残虐な行為が行われている戦時下にそこから離れて音楽など奏でていることがおかしいのではないかという」定義が出されたそのアンチテーゼとして言葉だった。そしてそうした文化の在り方が、喜びの歌を憲章歌とするEUの精神であり、誇示するべき精神であるとする考え方である。

その意味においてウクライナは我々の側にあるという事だった。それをするならばやはりロシア音楽を拒絶するポーランドもそれに反することになる。

侵攻直後早々にプーティンの蛮行に対して最も厳しい糾弾声明を出したキリル・ペトレンコとベルリナーフィルハーモニカーであるが、当初はオデッサへの連帯の意思が最も強いと思っていた。しかし復活祭フェストシュピーレを通して、そしてキーウ交響楽団ドイツツアー演奏会に出かけて、やはりそれ程強い表明が必要だったことを納得した。あれだけのロシア人歌手陣やロシア音楽をテーマにするにはそれだけの声明が必要だったのだ。当然の事乍ら、バーデンバーデン復活祭の方では必要最小限のプーティンの協力者ゲルギーエフ切りへと動いた。

ヴィ―スバーデンでのTVインタヴュー報道を観ると、メーデーでツアーが終わると男性団員には帰国命令が出ているとあった。それを阻止する為には戦争が終わるまでの更なる演奏会のオファーが必要となる。イタリア人指揮者は出来る限り大編成の曲を入れるように尽力していると感じた。バーデンバーデンに相応しいプログラミングも見つかった。近くで演奏会があれば、出来る限り出かけたいと思っている。



参照:
青と黄色のこちら側 2022-04-30 | 文化一般
響くやり場のない怒り  2020-11-05 | 音
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