Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

若干残る未知の要素

2022-12-16 | 雑感
咽喉の痛みが引かない。ウイルスには抗生物質などが効かないので投薬は考えなかった。しかし、痛みがあるから咳も出来ない。炎症が起こっている咽喉の周りに負担を掛けないようにそっとしていた。すると痰すら出ない。咳が出来ることは代謝でウイルスを放出する事でもある。そこで此の侭ならな週末まで長引きそうなので炎症を抑えることを考えた。手元に日本からのヴィンテージ物のロキソニンが沢山あった。鎮静剤はあまり使わないので古いものが余っているのだ。先ずは一錠試してみたが、二時間程で効果が表れ、副作用もあまりなさそうだ。

お陰で買い物にも出かけれてのど飴等も補給、更に週末の準備も済まして、燃料を満タンにした。リットルで一時は270セントに近づいていたのが155セントで入れれた。物価は落ち着きつつある。ミュンヘン往復110ユーロとして宿を入れても200ユーロで収まるようになってきた。

化学成分変化もそれ程悪い方には進んでいないようで、少なくともロキソニン本来の効用は現れた。知らなかったのは上咽喉への効果が明記されていることで、何故生理痛と同じなのかなと、ホルモン系で効きやすいのか、兎に角炎症を押さえてくれた。これでもう一錠投与して、夜中も熟睡可能となれば、それで正解だ。対症療法というのが嫌いな人間からすると、なにか死の直前のようにしか感じないのだが、痛みなどを取ることで源泉にアタックする。如何にオミクロンが巧妙なところに宿っているか。此の侭では決着が中々つかなかったと思う。

これぐらいに体調が回復すると無理してショック療法で対峙する必要もなくなってきた。この凍てついた時に態々怪我を恐れながら運動をする必要もなくなる。ミュンヘンの宿泊先も5ユーロでガレージに駐車可能な様で、そこを使えると予定されている零下15度で不凍液以外にもそれほど負荷を与える事にならないだろう。エンジンオイルはいつもより少しだけ多めに補充しておきたい。

やはりこれほど冷えるとなると、お惣菜を購入してアパートメントで飲む方が愉しいかもしれない。精々ビール一杯ぐらいを劇場で引っかけていくべきか。先ずは早めにチェックインするので様子を見よう。少なくともアイスボックスの意味は定温を保つのみで、こちらに戻って来ても零下の可能性が強い。

その他では、往路と夜までのピクニックの準備。また翌朝の朝食を計画。昼食はどこかでゆっくりと摂りたいので、店を調べておきたい。旧市街から歩いて行けないところでいい場所が何処にあるのか。

イザールフィルハーモニーに行くのは初めてで、駐車所との距離感なども少し不明なところもある。当日は乾いている予定ではあるけれども、道の状況は分からない。そうした細かなところで不安要素があるのは、常連ではない所ではいつもの事である。そもそも今回の旅行の衣装もそれにも影響される。ミュンヘンのオペラの大劇場に通うだけならば何ら未知の要素はない。

泊りで行くので、滞在地で着替えることには変わりないので、そこでのコーディネートの問題となる。兎に角寒いので重量も考える。



参照:
回答が出される週末 2022-12-14 | 生活
なによりも良かった沈黙 2022-12-12 | アウトドーア・環境
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11歳クララに教えて貰う

2022-12-15 | マスメディア批評
「ヘンゼルとグレーテル」の楽譜を初めてみた。否抑々全曲をも共に聴いたことがなかった。起承のところだけの印象では、有名なプロローグからややもすると映画音楽へと傾いてしまうところもあるのだが、二人の民謡風の掛け合いや母親のモノローグも短い間に場面を作っている。演出にもよるのだろうが、音楽的につまり全体のフォームとして、続く父親との景との流れがどうなるか。要するに芸術的に云々というのも演出と音楽の運び方で程度が決まってしまうという事だ。勿論子供たち又は家族がそれを体験してどのような芸術的感興を引き起こすか、やはり演出も重要だ。

11歳の女の子クララがそこで何を感じたか。この制作が初日を迎えたころに訪れたミュンヘンの女の子の感想が為になる。

(引用始まり)舞台は音楽にとてもあってたと思う。歌も皆よく歌ってた。でも時々よく理解できなかった。あまりにドラマティックであったり、楽団が喧し過ぎたからだったと思う。テキストが少し難しいところもあって、例えばグレーテルはとてもよく分かるけど、お母さんはその反対。

問題は、よく理解できないと、考えが行ったり来たりしてしまって、次の情景を考えたりしてい仕舞う事。だから一幕の終わりはとても緊張感があって、魔女を思い浮かべたりしたけど、退屈なんてことはなかった。

(引用中断)まさしく、オペラとしては父親と森へと子供を追いやってしまう母親の会話、それから、実際にそして魔女の序奏となるのだが、ここまで来てようやくファンタジーから形而上の面へとの繋がりである。(引用再開)

一幕の終わりの情景は、きっと現実ではなくて眠りに就いている二人の夢物語だと思う。そうでなければ可笑しなマスクをしたコックが食事を用意してくれて、二人も違う服装でいるのが話しが合わなくなるから。そしてこの服装はそこだけだから、つまりこの景は夢でしかありえない。そして魔女の景になるとまた現実に戻るの。

魔女はとても面白かったが、よく分からなかったが、とてもよく演じていた。それが男性であったことは特別に珍しとも思わなかった。男でもどうでもどちらでもいい。

でも不思議だったのは、全てが室内で進んでいて、森の中に机や箪笥や洗面台、これはよく分からなかった。タンスの中から子供が落ちて着たり、一本の手とか足とかを冷蔵庫にぶら下がたりして、ここは少し恐ろしい。

お母さんは、インターネットから、三幕から説明とかを印字して呉れて、魔女は最後に食べられてしまうことは教えてくれたけど、楽しみにしたおきたかったから、それ以上は話さなかった。(引用続く)

この子の御詳解で、この制作のお膳立てのようなものは見えてきた。気になるのはやはり冒頭からのホルン四重奏などの、所謂ドイツの森のそれが九月の「魔弾の射手」と同じくどのように解決されているかがこちらはとても気になってくるのである。



参照:
In den Abgründen des Familienlebens, Markus Thiel Merkur.de vom 26.3.2013
回答が出される週末 2022-12-14 | 生活
光背を負うたその芸術 2022-12-11 | 暦
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回答が出される週末

2022-12-14 | 生活
漸く音を出せるだけの元気が出てきた。喉は相変わらずだが、こうなれば陽が落ちる前に一走りして、のど飴の強いのを購入してこよう。寒いところで走るのには不安もあるのだが、ネックウォーマーを使ってみよう。手袋も重要だ。喉の調子が悪くなったのも寒いところで走ってから。此の侭ずるずると週末まで痛みが続くのは叶わないので再びショック療法となる。成功するかどうかは分からないが、チャンスは出てきた。代謝を促すのは重要である。未だワインは飲んでも味が分からないがビールの楽しめる。

散髪したので、どうせじっとしていても寒気が押し寄せる。その前に自ら炎を燃やしてと、まるでおしくら饅頭の日本の小学生である。でも、筋肉を使っているかどうかで耐寒は異なるのは自明であり、若干筋肉痛ぐらいの方が寒さは訪れない。要は栄養を十二分に補給できるかどうかに掛かっているのである。

序に空き瓶もコンテナに投げ込んでおいた。年末年始の本格的抜栓の前に片付けておきたかった。意外にワイン瓶以外のキュウリの酢付けやその他の瓶もあるのだ。しかし主はワイン瓶であることには変わりない。

初めて走る時にウォーマーを使ってみた、以前はマスクが義務化になって結局使うこともなく、特に走る時は邪魔になるので使わなかった。しかし、ルートが急坂になってスピードも落ちて、零下二度の谷を上がる時は助かった。それでも直ぐに息で眼鏡が曇り出して下げた。それでも首に巻いてあるだけ温かく、手袋と大きな効果を感じた。結構厳しかったが、下りてくるころには喉元も柔軟性が戻ったのが痛みは薄かったのだが、やはり就寝前になると固まっていた。

食事も久しぶりのザウワークラウトを作って、レバー団子とソーセージでもりもり食して、就寝前にも敢えて残っている出汁でヌードルを食して、ベットへと向かった。期待していた立ち寄って購入した二種類ののど飴はやはり幾ら舐めても患部に効かない。その腫れ方は扁桃腺のようで、切除している人には住みつかないのかもしれない。そんな塩梅でどちらかと言うとホルモンの分泌によって収まったり激しくなったりするようだ。最大の問題は熟睡できない事なのだが、若干良くなった。あまり乾かなくなったようで、寝返り打って、喉を整える必要が少なくなってきた。

初積雪で、もう一日篭りたい、それで何とかのどの痛みが収まれば週末の見通しがつくようになる。喉ががさがさするようになってから二週間はもう限界だと思う。折角マスク全廃になっても床屋で態々マスクとかそんなことになるとは全く考えてもみなかった。現在の体調では当夜に公演が終わってからの復路が大変つらいと思う。早く治って欲しい。

「ローエングリン」と「ヘンゼルとグレーテル」の総譜を漸く落とした。どこまでお勉強できるか分からないが、体調次第だと思う。週末には初めてイザールフィルハーモニーに出かける。来年のそこでの演奏会の座席を一枚押さえてあった。それは週末に座る席の並びだったのだが、今回、もう一枚一番よさげな席を確保した。出来れば一度訪問してからとも思ったのだが、その見通しはそれ程外れていないと思う。結論は週末に出せる。



参照:
なによりも陽射しの恩恵 2022-12-13 | 生活
ドイツの上に開く窓枠 2022-10-08 | 雑感
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なによりも陽射しの恩恵

2022-12-13 | 生活
とんでもオヤジに付き合うのは大変である。木曜日に相手方と話していたように、こちらの保険会社を教えるためにプロトコールを書いて、その時の内容を記述しておいた。そしてこちらの保険会社から問い合わせが来た。先方の調停請求を受けるかどうかである。嘗てアウトバーンで殆ど被害にあった時に、こちらに過失がなかったとして放っておいたら、結局金を取られて、事故扱いになって保険料も上がってしまった。この無事故年数が割引になって今後とも新車を購入しても重要になるので最大の経済問題となる。

つまり一週間以内に反論を纏めて出しておかないと不利にしかならない。そこで一通り纏めた。先ずは、反論として問題は先方が直したいと思う塗装傷だと書いた。そこに写真番号をつけて、先方が印をつけてきた写真を。そして、責任を認めているテールのフォグラムプに対してこちらの車の先方のピグメントがついている写真をつける。これによって、接触した状況が分かる筈だ。そしてもう一つのバムパーの傷には当日接触痕がないことを確認しており先方と共に明らかにされていると、事件現場でのバムパー傷と塗装傷がよく判断可能であり、同時に道路に赤いグラスが散らかっている写真をつける。そしてこちらにはその傷をつけるような対象物が存在しないと木曜日に会った時の二台の車を近づけた写真をつける。

こちらの車には全く接触箇所又は接触痕がないことから、先方は衝突での変形により塗装が外れた原因であると主張していると書く。そして会談において、見積書にある450ユーロの塗装修理費用への第三者の判定に代金は先方が自己負担すると宣言していたとする。

それらから事故調停は不要とする。問題は先方不可能な想像であるとして、塗装の傷の大写し写真をつける。

これで常識的には、先方の望む専門家による調査は行われない筈だ。抑々損傷額が小さいので、無理矢理に見させようとすれば詐欺防止のための鑑定となる筈だ。若しくは同封した写真から何らかの見解が生じるのかも知れない。其れには興味がある。兎に角期限があって、あまり早く返答すると、週末までに次の動きがあるかもしれないので、木曜日ぐらいにメールするつもりだ。先方もグラスを直さずに頑張っているのでクリスマス越えにしたらいいのではなかろうか。クリスマス休みまでに請求書が出ればよいのだが、少額の請求額ならばどちらでもよい。

日曜日から喉の痛みが酷くなった。夜間は就寝中に乾いて余計に悪くなる。なぜかのど飴が効かないような印象はどこから生じるのか?要するに通常の喉いたとは違う感じである。こうなると体力の消耗が激しい。老廃物などは出るようになったのだが、通常のモノよりは量も少なく、咳もあまり出ない。夏前にあったオミクロンの時のそれとは異なる。既に「魔女」初日の時からの喉の通りが悪かった。早く治って貰わないと週末のお勉強の意欲も集中力も出ない。どうも最新型のオミコロンの感じがしてきた。熱が出るという事では全く弱くはないのだが、大分通常の感冒に近い。

一日中零下としても今日は陽射しがある。床屋から戻ってきたら、太陽が暖かった。なによりもの恵みである。陽射しの下に椅子を引っ張って来て、旅行用PCを端末にしてリモートコントロール作業をする、出来るだけ陽に当たりたい。



参照:
とんでも仮説のおやじ 2022-12-10 | 生活
ビキニポール踊り予約 2022-12-05 | 生活
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なによりも良かった沈黙

2022-12-12 | アウトドーア・環境
週末は就寝中の喉の痛みに苦しんだ。木曜日には快い喉の痛みだったのでのど飴補給を怠ったほどだった。それが週末から嚥下に問題が出てきたが、何よりも就寝中にそれから熟睡を邪魔されたのがかなわない。道理でのど飴が売り切れ状態に近かった筈だ。平素から舐めているのでどういう時にどれがよく効くかは分かっているが、あまり強いものはお腹を壊す。

そして漸く痰のような老廃物の吐瀉物がぼちぼち出るようになってきた。恢復への目印だろう。身体も徐々に元気になってきたので、これでゴールまで走り抜けたい。さもないと週末までに影響する。幸い降雪は週の中間から金曜日ぐらいにまで掛っていて、土曜日の往路さえ何とか道が空いていれば、復路は問題がないだろう。なぜならば交通量も多い土曜日の午前中は除雪も進み時間さえかければ目的地へと進める。そしてアウトバーンも一度乾けばどんなに零下になっても大気さえ乾いていればそれほど状況は悪化しない。

出来るだけゆっくりと寝るためにベットにいる様にしていたが、一番問題だったのは折角買って来てあった酵母抜きのパンが食せない事であった。パサパサ感があって、これまた折角あったヤギのフランス製チーズを塗っても喉を通らなかった。粥を必要とまではなかったが、パンも食せないことがあるのだなと分かった。

その分、待降節用の薬草ケーキが食せた。これはそんなつもりで購入したのではないが、喉にも優しい。

批評を読んでいてよく分かるのはその公演の内容だけでなくて書き手の音楽の理解の程度である。嘗てはその人の洞察力とかそうした点がその人の理解の仕方に反映されるのかなと考えてたが、やはりそれ以上に若しくはその人の主義主張以上に何を聴いているのかがよく分かる。フランクフルトのチャイコフスキーに関しては明らかにその音楽や楽譜が有している中身を評価できない人が多いようであるが、やはり少数派でも分かっている人は分かっている。逆にヴァークナーとかになれば最初の前奏曲からして判断がなされて、最後迄とてもつまらない思いをしている。全ては指揮者の責任であるが、抑々最初から何かを期待して出かける方が悪い。

その意味からも、ヴィーンの音楽監督で期限延長されずにクビを言い渡されたフォリップ・ヨルダンの指揮は新制作「マイスタージンガー」ではある程度の評価もある。しかし、そこにに書いてあることから、それならばクビにはならなかったよということばかりである。つまり書き手は音楽的にそこが分かっていない。反対にミュンヒナーフィルハーモニカーの後任探しの一環としての登場で瞠目に価する批評があった。それは「神々の黄昏」からの演奏で、ラインへの旅では次から次へと新たな響きが鳴らされ最後に驚くべきリタルタンドでクライマックス、「ジークフリートの葬送」ではイザールフィルハーモニーの音響のテストにドアをも揺らがす程の音響で、一番素晴らしかったのは沈黙だったと書かせる。流石にこれには読者の批判のコメントが寄せられた。ここに、ヴィーンでの花束が投げ込まれた反響や、そしてこの指揮者が到底独墺市場では全く可能性の無いことを示している。ノイエズルヒャー新聞は書いていた。クビの理由は本人の為にも伏せられたと。勿論ヴィーナーフィルハーモニカーがイントロ当てクイズなどは演奏していられないということでしかない。



参照:
Pracht und Totale, Michael Bastian Weiß, Abendzeitung vom 17.10.2022
名曲もイントロ当てクイズ 2022-10-06 | 文化一般
縛られた「蝶々夫人」生中継 2020-09-09 | 生活
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光背を負うたその芸術

2022-12-11 | 
不凍液が届いた。車のフロントグラス洗浄などの凍結を避ける。一度破裂されて思いがけない額になったので、不凍液で解決されるならお安いことである。昨年と同じもので額は19ユーロと安くはないのだが、1リットルで摂氏零下70度まで不凍であるから半々に割っても零下30度ぐらいまで安全である。スキーツアーに行って数日停めておくとなるとそれでも足りないが、ミュンヘン往復ぐらいなら一泊して戸外に停めておいても零下25度程で用が足りる。

目星でほぼそんな感じになっている。年内に一度と新年になってからは謝肉祭後までは厳寒地に出かけないとすれば、2.5Lで出かけて、戻って来て減った分を継ぎ足して零下17度対応位にしておけば春まで引っ張れる。一冬19ユーロはお得である。

就寝前に濃い目の塩水で嗽したら喉の痛みで熟睡できなかった。それまでは快い痛みだったのでなめてしまった。こうなると嚥下に問題が出てくる。蜂蜜レモンティーの呑み込むのが痛い。

昼迄ベットにいたので、晴れ間に思い切って走った。若干熱気味で、ショック療法なのだが、途中で行き交う人などもいてなぜか、足を痛めてからでは大分早かった。上りに左足の違和感があったが、大分よい。

BMWがやっている待降節のチャリティコンサートの生中継を観た。五月にハースのオペラ「ブルートハウス」を観たキュービリエ劇場でBMW主催で行われていた。顔になっているはバイエルン王家のプリンセスで流石に絹の様な素材でロイヤルな色合いの服を準備していた。演奏はイタリア人指揮者がハイドンなど以外に二人の歌手を伴奏してのプログラムだった。ソプラノのゴルダ・ショルツは翌日にMETに飛ぶということであったが、テノールのフォークトは翌日に公演中の主役を歌う。軽く歌っていただけだが、歌唱は若干安定せずでショルツの方がよかった。結婚してから声が丸く艶っぽくなった感じでこれなら世界で売れると思った。本人も声の発達に関しては語っていたのだが、売り込む方は何処迄計算していたのだろうと思う。

指揮者フォリアーニも後姿は故岩淵竜太郎の様であったが全然悪くなかった。オペラを振れば信用できるだろう。それ以上に演奏家の音の運び方がとても読めていて非常に良かった。先日から座付き楽団云々のそれが囁かれていたのだが、劇場楽団として常時トップとして賞されているが、これだけの音楽が出来る座付き楽団はない。ペトレンコのが齎したそれは指揮者が変わろうがきっちりと受け継がれていく音楽性だと分かった。
Advents-Benefizkonzert der BMW Niederlassung München


当晩は、大劇場では「ヘンゼルとグレーテル」が上演されていた。要するにここに乗っている人たちは、そこには乗らないのだろう。そして並行上演の「ローエングリン」に乗っている面子を再確認した。するとエンゲル指揮には女性陣が弦が引っ張って、もしかするとホルンの名人デングラーが乗っているかもしれない。エンゲルが昨年振った「ジュディッタ」は飛び入りしたもので、今回の方がいい面子が乗るのではないかなと期待している。要するに、ペトレンコのその芸術の光背を負うた後期ロマン派の音楽が為されるのではないかと期待が高まる。勿論「ローエングリン」よりもより緻密な音楽を待ちたい。フォミリー上演て一体どういうものであるかは分からないのだが、券を購入している人は全くそんな人ばかりではないのは分かっている。



参照:
ワクワクの集積オペラ 2020-12-16 | 音
思えば遠くに来たもんだ 2018-12-04 | 雑感
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とんでも仮説のおやじ

2022-12-10 | 生活
走って、風呂に浸かって、風邪は殆ど治った。喉の痛みも嗽ぐらいで治るだろう。懐かしい普通の感冒はコロナと違って処しやすい。同じ熱が出ても何か普通の感じなのだ。オミコロンの喉の痛みは違った。

駐車で当てたヴォルヴォのオヤジから電話があったので、買い物のついでに会ってきた。どこに住んでどういう人かは分かったのだが、ドイツで期待できるメカニックなどにイヤに詳しい技術屋職人ではなかった。だから塗装傷について可笑しな仮説を出してきた。つまり直接当たらないでも下が圧されて剥げたというのである。これは初めて聞いたのだが、到底信じられない形状で剝がれていて、更にバムバーの傷は違うだろうという。しかし、塗装傷よりも一目瞭然のそれに事故前には気が付かず、その塗装傷は今回初めて気が付いたと主張する。こちらも説得にしに行ったのにこれでは堪忍袋の緒が切れる。

オヤジは自分で払うから第三者の事故鑑定士に見させれば、われわれが争う必要などないというので、勝手にしろとなった。それで後にネットで調べると、そもそも1000ユーロも掛からないような傷に対しては保険会社は事故鑑定士を送らないという。それ以前に事故として問題になる例は警察を呼ぶわけだが、今回の様な場合はその被害も事故調査も必要なかったので、そういうことになる。

そして、そうした小さな塗装傷の起こる可能性は石が当たったり清掃の時に傷ついたりでその様な例は載っていない。そもそも傷の形状が違う。そして中に汚れがあって接触がなければあり得ない。職人系の人ならばそれぐらいは自信をもって判断するのだがこのオヤジには出来なかった。

悪意があってというよりも如何にも小市民的な、傷んでいるから直さないといけないので何とかという感じであるが、人のせいにするなと言いたい。写真等は必要最小限にもあり、そこで新たに拡大写真を撮ったので、現状維持は出来た。オヤジに兎に角触れないでくれと言っておいた。

さて来週はミュンヘン行であるが、往路は降りそうであるが、昼間ならば時間さえかければ何とかなる。復路の夜半の走行時刻に降らなければこれも何とかなる筈だ。寧ろ翌日まで泊って降りだすと動けなくなる。外気温が零下10度近くになって氷が降れば万時休すである。どれ程新しいタイヤを履いていても厳しい。

先ずは、「ローエングリン」のお勉強で、四十年ぶり程の二度目の観劇となる。先日中継のあった新制作で、それを踏まえて、十分に内容を検討しておかないと演出の批評はできないかもしれない。「ヘンゼルとグレーテル」は初めての観劇で、これはショルティ指揮か゚での名録音なども聴いておきたい。リヒャルトシュトラウスが初演をしていると初めて知った。あまりにも序曲が有名で、それ以上には全部は聴いていない可能性も強い。ミュンヒナーフィルハーモニカーの方は、「エーデルマン」組曲、グリークのピアノ協奏曲、「パッサカリアとフーガ」編曲だから、ある程度は押さえれるだろう。

残席は残り20席を切るぐらいになって、戻り感や招待券などが10席ほど投入されていた。しかしそれも売れて、残り10席ほどになっている。しかしそれでも残件表示になっていないので、、まだ週末に出るのではなかろうか。兎に角、沢山入ってくれるだけでいい公演が期待される。その前に数回練習しているようなものである。



参照:
ビキニポール踊り予約 2022-12-05 | 生活
法人口座の調査終了 2022-11-30 | 生活
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体現された自由への飛翔

2022-12-09 | 
承前)フランクフルトの二つの新聞の批評を読んだ。数多いミュンヘンやシュトッツガルトの新聞評や放送局評に並んで、なぜかこの二つの批評の方向は似ている。フランクフルターアルゲマイネ紙とその子会社になった左翼紙ルンドシャウは、少なくともロシア人が指揮を絶賛していない。それどころか、管弦楽団が上手にとか総譜が素晴らしいとかで主語を上手く無効化している。なぜならば今回の指揮に関して批判しようと思えば余程チャイコフスキーの楽譜に精通していないと難しいからだ。勿論個人的にも通常ならば強い批判までは出来ないものなのだが、復活祭に同時期の「スペードの女王」を四夜、最後のオペライオランタを一回、昨秋には「マゼッパ」を二回聴いているので、流石にその語法には慣れたから良し悪しは分かる。

トレイラーとして、総稽古の映像などが上がっている。それを観ると明らかに今回の演出にはよりセンシヴィティーが要求されたと思われる。特に心理的な面は、そこで流れる音楽でも分かるのだが、もっともっと丁寧に音楽しなければ台無しである。如何に復活祭のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのその繊細さは技術的云々ではなくてまさしく感性であり、ペトレンコの天才性でしかなかったのだ。同時にカラヤンもアバドも誰も叶わなかったオペラの指揮だったのだ。

音楽も技術だけでは芸術とはならない、主役のアスミク・グリゴーリアンが語っている。主人公のナターシャは自分自身だと。少なくとも役作りとなると完全に同一化してしまうのだろう。その優しさは、まさしく姉さん女房の其れであり、今回の演出ではただの街外れの森の食事を出す小屋の女将ではなくて画廊をやっていて、伯爵の息子の絵を描いている。彼女にとっては若い旦那への眼差しであって、それは序曲に於いて映像として以前の旦那との別れの映像として描かれている。

アスミクにとっては関心の無い事象なのかもしれないがこの若い旦那にとってはどうしても入れておきたかったものではなかろうか。それゆえに旦那が語った父親の伯爵への関心はそこにも繋がっている。

アルゲマイネ紙の方の繰り返し観たいとしているのは実はそこ迄読み込まない事には、この演出に隠されたものが分からないということにも関わっている。そして実は知っているようで知らないと感じる舞台がそこに描かれている理由は想像できる。

後半にも娘さんに変わらずお母さんが隣の席に座っていたら、彼女に語ったと思う。そこで描かれている情景はロシアの新興裕福層であり、新聞にはTV「ダラス」のような情景と書かれているが、伯爵は軍服で嫁さんの顔も見ず、「風呂、飯、寝る」の家庭情景であり、息子はサプリメントを吞んでボクシング、妹は母親とヨガ体操と、前世紀の殆ど68年代から高度成長の時代である。三島由紀夫がボクシングをしているのとそれほど変わりない。

そしてそれが今のロシアを語っている。宗教的な権威が新たなに政治的な背景になっているという時代錯誤感。この劇場感覚をどのように我々の社会で受け止めることが可能なのか。だからこそ、アスミクが体現した自由への飛翔とその優しさ、彼女がバーデンバーデンをキャンセルしてインタヴューに答えていたその内心がここでも語られている。(続く)
Trailer zu »Die Zauberin« von Peter I. Tschaikowski | Oper Frankfurt

比較して改めて分かるペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーのチャイコフスキーの見事な響き ― Festspielhaus Baden-Baden: Tchaikovsky: Pique Dame - Trailer




参照:
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
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待降節から大晦日へ

2022-12-08 | 
体調を崩した。一日はあまり空腹もなく、その前日には喉に少し来ていた。主にランニングの時に風邪ひき症状にもなっていた。流行りものというよりも季節の変わり目の通常の風邪風であり、コロナ前には頻繁にあったものだ。若干微熱気味で喉も腫れてきている。要するに平常化した感じに強く、コロナ期間はこうした素直な風邪は一度も引かなかった。

走り終えて食欲も出ていて、もう回復期にあるのだろうが、熱だけを下げたい。恐らく明日にはまた走れるだろう。

来週始めに床屋の予約を入れておいた。前回は9月末だったので又二ヶ月伸ばし放題にした。来週は冷えそうで、完全に冬装備となりそうだ。積雪と降雪を覚悟しなければいけないので、ミュンヘンでの宿泊を一晩伸ばす可能性も考える。もう少し様子を見てみたい。若しくは帰路での宿泊も考える。往路は時間さえかければ何とかなる筈だ。

兎も角本格的な冬型となるので散髪しても寒いだけなのだが、上手くいけば来年の謝肉祭前ぐらいまでは伸ばせておける。年末年始はゆったりと過ごしたいものである。

生やしっぱなしの髪と同じように森も伐採してやらないと駄目になる。先日の樵作業は倒木を整理したというよりも伐採していたのが走りながら分かった。谷が凄く明るくなっていた。こうなれば森の健康が保たれる。だから道端に下されてた木材よりも森の中で倒れている丸太の方がいいものがある筈だ。直ぐには作業せずに暫くしてから林道迄下ろしてくるのだろう。春は春で動植物の動きがあるので何時頃作業するのだろうか。その谷にはそれほど頻繁に足を入れていなかったのだが、伐採作業に記憶は今迄なかったので興味がある。

環境活動「レッツテゲネラチオン」つまり最後の世代という意味だが、来月6日まで再犯防止予備拘留処置が裁判所で認められた。厳密に為されなければいけない処置であるが、再犯意志がある所での処置は仕方がないだろう。

少なくともこちらが出かけるファミリー公演の「ヘンゼルとグレーテル」だけ邪魔して欲しくない。子供たちの前で繰り返しても目的が違う。しかし「ローエングリン」には何かそうしたアピールが似合いそうだ。

そのファミリー公演も残り19席ほどになって来ていて、一席一席売れていくのがとても喜ばしい。恐らく一人暮らしの大人の常連さんなどが適当な価格を見つけて購入して行く。最高額席も通常売りで売切れそうで、その後に特別席の戻り券も出てくるだろう。

今年はクリスマスから年末にかけての催し物も予定しているのだが、そういう時にどのような人が劇場などに足を運ぶのかがとても興味深いのである。その前にバーデンバーデンではミュンヒナーフィルハーモニカーが来援して、ガランチャの歌でマーラーの交響曲三番が演奏される。しかし全く売れていないので安売りのオファーが来た。しかし自分自身のこの催しものへの予算ではいい席がなかった。半額でも選べない席や公演であるから倍では売れる訳がない。ミュンヒナーフィルハーモニカーはもう少し払ってミュンヘンに聴きに行く。



参照:
朝食のガチョウ脂 2022-11-25 | 料理
独FBIの方からの電話 2022-09-29 | 暦
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旦那のコンセプト

2022-12-07 | 文化一般
承前)新聞評等が出揃ってきている。未だ演出に関しては敢えて目を通していない。しかし音楽的にはほぼ定まってきているだろう。様々な表現があるが肝心主役アスミク・グリゴーリアンがどうであったか。その芝居に続いて歌唱となっているように、又その短いアリエッタ以外の独唱がないことからも、又旦那の演出家が語る様に実は伯爵のキャラクターがこのオペラでにおいてチャイコフスキーで唯一無二の存在である。だからタイトルロールをその狂言回しの中心人物とする評もある一方、自立した女性の自由を体現するアトリエを営んでいる役柄ともなる。

よって、ドイツ語訳の「魔女」は誤解を引き起こしロシア語で「チャロデイカ」即ち「魅了する女」となる。要するに魔性の女ではなく、ボヘミアンなアウトサイダーで、皆に優しく、自由なクラブを営んでいる未亡人なのである。だから教会権力の伯爵の側近の敵の立場となっていて、演出家はこれをして二分化された世界としている。

つまり、グリゴーリアンの今回のこの役作りは、否それ以前に企画から特別な様相を呈していた筈だ。新聞が伝えるところによるとプログラム紹介の記者会見において、支配人はこの企画が彼女からもたされたと語ったようである。

そして今更既にベルリンで大成功している「オネーギン」を彼女がまた歌っても仕方がないということだったらしい。当然の事ながら彼女の提案には若い旦那さんがいたわけだ。そのことが一貫して、その演出のコンセプトの実現化という意味ではそこに彼女がいた。そしてまさしく主人公のそうしたキャラクターを体現する彼女がいた。

第一印象からして、彼女が新たな境地で演じたこの役は、まだこの後の成功の度合いにもよるがとても重要な舞台になることも間違いない。舞台とはそうしたものである。

この作品は最初から聴衆に受け入れられなかった理由は幾つか。チャイコフスキー本人も語っているようだが、その芝居の在り方にも起因しているのだろう。

そして旦那さんがプログラムで語っているのだが、上述したような伯爵が最初は軍人として聞く耳をもたない存在であったのが、彼女への愛を以て学んで変わっていくというのだ。しかし三幕においてセクシャルハラスメントへと進むことで、瓶を割って首に突きつける彼女にたじろぎ逃げる。しかし彼女はその様子を見て伯爵を恨む。些か矛盾する場面だったと思われる。偶々隣に前半に座っていて色々なお話しをしたお母さんの娘さんが入れ替わって座った。娘さんは休憩中に私のことを母親から聞いていたのだろう、態々耳に近づいて話しかけてきたのだが、この場面をどのように観ていたのだろうと関心を持っていたのは事実である。旦那さんは意外にプログラムでも全てを語り切ってはいない。

またこの物語の原作の舞台は15世紀なのだ。いつものようにチャイコフスキーは自らの時代をそこに投影させることで舞台としている。芝居とはオペラとはそういうもので、ト書きがその創作の真実などでは決してない。そもそもチャイコフスキーの音楽を15世紀の舞台に流すような馬鹿者は今日の舞台芸術の世界には存在しない。つまり舞台の時を今日にしても何ら読み替えでも何でもないという事である。劇場とはそういうものなのである。(続く



参照:
賞味期限を早める試み 2022-11-03 | 文化一般
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
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再訪問は未定の「魔女」

2022-12-06 | 文化一般
フランクルトの新制作「魔女」、再訪問は未定である。演出家がアスミク・グリゴーリアンの現在の旦那ということで恐らく彼女も最後まで舞台を務めるだろう。だから新年も最終公演までは出る可能性は高い。歌手陣も、演出も悪くはなかったのだが、指揮には最終的に失望した。

その指揮者ウリューピンはショルティ指揮コンクール優勝で、上の演出家とも「死の都」なども振っていて、左手の使い方はキュー出しから小まめであり、劇場指揮に慣れている様子だった。同時にゴリゴリと奈落の楽団を鳴らすのでこれは楽しみだと思った。

なるほど、フランクフルトの座付き楽団の鳴り方としては、昨年のエンゲル指揮以来の鳴りであり、流石に身体も大きく力のある指揮らしかった。しかしそれも一幕の終わりの合唱あたりから舞台と奈落の統制が今一つでキューを出しているほどには精妙ではなかった。

二幕が終わっての休憩ではいつものロシア音楽で退屈で仕方ないという声も聞こえて、その責任は一本調子の指揮にあるのは確実だった。そしてあまりにも大味過ぎるというのである。まさしくこの指揮者の仕事はアインザッツを合わせて、バスの上に重ねる事での音響を作ることにしか意識がないのがよく分かった。

なるほど最初の序曲からして悠々とした音の運び方は悪くはなく、それはそれで魅力的なのだが、音楽的な瀟洒さも全くなく、ピアノからフォルテ迄三種類のダイナミックスを様々な楽器編成で描いているの過ぎなかった。

リズム的な精査も恐らくロシア系の指揮者としては標準的であって、キリル・ペトレンコの様にグルーヴさせることもできないようで、指揮者コンクールはただただ音を鳴らすことだけで優勝したのだろうと思わせた。

経験もムジカアテルナなどで十分にありそうなので、この指揮は今後とも変わらないだろう。ロシアものを得意としていると紹介もあったのだが、こんなロシアものは誰も喜んで聴かないと思われる。

さて作品の紹介と制作のアイデアに関しての話しは興味深かった。来年九月に初めて校訂版が出る様に、この作品がロシアでも国外でもあまり演奏されずに真面な版もなく取捨選択されていたというのは、二つの録音を聴いていても分かっていたのだが、まさかそこ迄とは考えなかった。

その原因には、今回の制作で歌詞に手を入れたとされていたように、元々のテキストが文学的な価値が無く酷いものであったというのはテロップを読んでも分かった。だからチャイコフスキーがその芝居のディアローグによって制作動機になったというのは、勿論物語のプーシキンなどの全体性や文学性とは異なるということを示している。

このことは実は、今回の演出のコンセプトにチャイコフスキー独自の同性愛などを中心においていないという事に通じていて、この制作の評価にも大きく影響すると考える。(続く



参照:
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
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ビキニポール踊り予約

2022-12-05 | 生活
日曜日のチャイコフスキー作曲「魔女」新制作初日に出かけた。その前に並行上演の「マノンレスコー」の券を確保しておいた。初日シリーズの好評を読んで、初めてアスミク・グリゴーリアンの声を聞いたのだった。今回は五月のキャンセルがあったので、又再演ということで、何回ぐらい出てくるかは不明だ。しかし、日曜日の初日直前のオリエンティーリングでも一月間新制作と再演で歌うと説明があって少なくとも年内はフランクルトでお目見えで、それは間違いないのだろう。

だから安くていい席二枚が売れる前に一枚を確保しておいた。万が一彼女がキャンセルしても人に出かけて貰える。リスクマネージメントを兼ねての席を押さえておいた。しかしもし彼女が予定通り歌ったら凄い価値がある。演出も秀逸で彼女の個性や演技に大当たりという意味では、少なくともヴィデオ等が残っているものでは上位幾つかに入ると思う。要するに大ヒット制作であるとともに、ビキニでポール踊りをするなど流石に彼女でも十年後には役作りに無理がでる。

やはり普通の芝居や映画などと同じで、その役をどの様に作って、自らの個性とともに歌手の場合は歌い切るかが勝負であって、勿論終幕の一人砂漠での最後の一息はプッチーニのオペラの中でもこれという場面である。

そして今回は初日シリーズのヴィオッティ―とは変わってリトアニアの指揮者でザンクトガーレンで振っている人が受け持つ。恐らくアスミク・グリゴーリアンと共演経験のある指揮者なのだろう。

さて問題の初日に関しては詳しく書きたいが、やはりネックは指揮であった。演出に合わせて、今回は彼女の歌も演技もまた違う次元へと入ってきていると思われた。謂わば熱唱型でなくて、どのように役を語れるか。

駐車時の事故問題。先方は修理見積に、バムパーの傷やその上の塗装の傷みまで加えてきていて予定額の十倍を請求された。しかしバムパーの方はその時に確認をして新しい傷でないと思い、特別に写真も撮っておいた。新しい掠り傷等もないことを其処で確認していたからだ。更にこちらの車でその形状での凸がない。塗装傷に関しては可也尖ったもので、バムパーのエッジと同一のものが当たった感じで、恐らく工事資材か何かだろう。

電話の感じでは先方が悪意で指摘しているとは思われないので、先方が納得できるように分かり易く懇切丁寧に説明したいと思う。こちらも心配になるので雨中フランクルトに車を走らせる前に自車の現状を撮影しておいた。流石にこちらのバムパーが赤いラムプを割ったところはピグメントの赤い点が二つ以上見つかった。つまり殆ど垂直に当たっているということで、他の場所をこすった形跡は殆どない。当てて直ぐに音に吃驚してバックしたからだ。

それでも納得を得るための説明と、こちらもはっきりさせたいので、先ずはこちらのその赤い点とその上下前後の写真と、赤い点までの地上高を提示する。そして先方のバムパー傷や塗装傷迄の距離や地上高を提示させる。それで出されてこちらも調査して何もなければ、先方が理解するか、専門家に鑑定させようが結果は変わらない筈だ。先方が二点を指摘してくれたことで話しははっきりした。



参照:
法人口座の調査終了 2022-11-30 | 生活
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
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初日迫る「魔女」に想う

2022-12-04 | 
フランクルトの新制作「魔女」の初日が迫る。燃料を入れてきた。この辺りは未だ明け方ぐらいしか零下にはならないので不凍液も不要だ。摂氏三度ぐらいならば本当は夏タイヤでも走れるところだ。

18時開演で17時半からレクチャーとなるのでやはり17時前には入庫となる。日曜日なのでシティー渋滞も無く走れるのでゆっくり時間を掛けて走ればよい。プレス席などの残券が出ている。こちらの欲しい席は定期の人に握られていて入らないのだが、少しだけ色気があったのは最前列の横の方だ。歌手だけでなく指揮もよく見える。ただし初日は安い日に比べれば四割り増しほどなので少し高過ぎる。少なくとも歌手目当てとなると何が起こるか分からないので大きなリスクは背負えない。

アスミク・グリゴーリアン自体は既にパトロンの舞踏会に顔を出していたようで準備万端の様であるが、脱コロナ期でもありやはり出てくるまでは分からない。嘗てフランクフルトの支配人が比較するマリアカラスの場合の様な難しさはないのだが、それでも二度振られているのでそこ迄は安心ならない。

初日の様子でこれはと思えば追加購入する可能性はある。その判断に大きな要素を占めるのは第一にグリゴーリアンの調子と間違いなく出てくる意気込みが感じられるか、第二に指揮者である。指揮者が良ければ誰が歌ってもある程度の水準に達する。特にこの曲は管弦楽法的にヴァ―クナーを継ぎながらもマーラーにも近い。敢えて言えばスークなどにも繋がるだろう。

なるほど「スペードの女王」の様な音楽的な表現というよりもバレー音楽とかそうした情景の上限も多いのだが、中々効果的であって、ネットではそれ程演奏できている録音はない。上手に演奏すれば可也の効果を生ずる音楽で、最早チャイコフスキーオペラうるさ方からすれば、ちゃんと演奏してくれと言いたい。

一幕のフィナーレなどは重唱も決め手で、また弦の重音など「ローエングリン」だけでなくてレティタティーヴの挟み方などにヴァクナーを髣髴させる。オペラ愛好家にはヴァ―クナーとその後のリヒャルトシュトラウスなどの間が中々繋ぎ難かったのだが、ドヴォルザークなどよりも遥かに流れにある。

主役のクマの歌詞もとても多くて、グリゴーリアンもロシア語だから軽く歌えるのだろうと思う歌詞があると同時にダイナミックスをつけたりで、録音等では出来ていないところが彼女の声で脳裏に響く。歌手も彼女ぐらいになるとどの様に歌えるかは予想可能であり、まさしく楽譜を音化するのを期待すると同時に芝居の中での演出の通りの身を持った表現を待ち侘びるしかないのである。

要するに魅力満載の舞台となることは大いに期待されて、並行上演の既に観た再演「マノンレスコー」の良席との兼ね合いがどうなるのか。「マノンレスコー」にもう一度行くなら「魔女」にももう一度行くことになるのではないか。日程とか、可能性とかを色々と想定している。



参照:
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
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インタヴュアーの実力

2022-12-03 | マスメディア批評
数時間も銀行の案内電話で苦労した。結局用は為さなかったが、何が起きていたかははっきりした。少なくともここ10日ほどは税務署ではなくて銀行によって口座が一部閉鎖されていることになって、不当ということで苦情を書いた。最悪な状況にはならなかったが、それでも金の流れが止められると信用問題である。

どうも閉鎖の最初に税務署に支払った額が見落とされていて、それをデポする義務感で動いている。明らかに誤りなのだが、どうして銀行がその様になるのか分からない。兎に角、担当者が当分はいないので代行者にメールを出しておいた。初めから分かっていたら電話でつつくところだったが、電話は引継ぎされていなかった。この辺りが人員を減らす大銀行のサーヴィス低下を表している。週明けにどれだけ早く解決されるか見ものである。

土曜日に初日が生中継される新制作「ロ―エングリン」の指揮者ロート氏が別のインタヴューを受けて、こちらは質問者も気が利いているのか、より本質に迫る回答をしている。もしかして私の批判を読みましたかとなる。

先のインタヴューアは日本で好評発売中の亡くなった指揮者ヤンソンスの本の著者でオペラ批評を書いている人であるが、なぜか突っ込めていなかった。しかしここでは先ず話しの最初に皆はリヒャルトシュトラウスを期待していたのではないか、なぜヴァ―クナーをとまさしくポイントを突く。これだけでヴァ―クナーはケントナガノも失墜した様に難しいぞ、特にヴァクナーの本拠地でとなる。その様に尋ねると、先も話していた古楽器演奏と新しい音楽への興味があってというのが意味を成してきて、リゲティの響きの先駆と考える序曲のイ長調のフルートとオーボエとヴァイオリンの判別できな音色となって来て、抽象的な話ではなくて具体的な聴きどころが流れてくる。そして実際に繰り返し繰り返し楽団にその音色を思い浮かべてくださいと指示していたとある。答える方は同じ調子でも質問の仕方や文章で纏めるときの方法で全く意味が変わってくる好例である。

ドルビーサラウンド効果に関しても、自身がパリにオペラでその他のヴァ―クナー作品の舞台音楽をフルート奏者として全て経験したというのも活きてくるのだ。要するに具体性とその思考のありどころが掴める。

そしてエルザの登場の衝撃は、その沈黙と管弦楽でもあり、パリでは管弦楽に背を向けて振っていたのを初めて手前で振るようになったとしていて、そのここでも先日チャイコフスキーで触れたようにレティタティーヴのやり方に言及。これならば私が求めていたことを全て暗示している。勿論フランス人指揮者にとってはその影響はチャイコフスキーに見るのではなくてドビュシイーの「ペレアス」に見ている。

そしてヴィヴラートの掛け方でも座付き楽団の方からサジェスチョンもありと、健全なあり方として捉えられる。こうなるとそのコンセプトに関しては熟れているものとして、残るはイントネーションの問題とオペラ指揮上の技術的な精査となる。指揮に関してはある意味分かっているので、それ以上期待出来ないがラトルなどの素人指揮よりも舞台へとしっかり指示を出せるかなどとなる。

30小節の聖杯の語りは、主役の声の為にも通常通りカットされる様である。出かける前にこれぐらいは想定するというお話しだ。



参照:
"Ich habe Wagner neu kennengelernt", Robert Braunmüller, AZ vom 2.12.2022
あまり立派でない素材 2022-12-02 | 文化一般
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
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あまり立派でない素材

2022-12-02 | マスメディア批評
樵作業は終わったらしい。先週末以来で緑のベンチまで走れた。短い距離だがそれでも高度差があるので足の調子が誤魔化せない。走り始めは重症だった左足が具合が悪く力が入らなかった。右足で蹴った。すると完璧に感じたが、どこかで指が痛みだした。その時は左足が正常化していた。両足が悪くなれば走れないが何とか変わり変わりに治る。

先週末に走った時には無理な姿勢で膝に来ていた。それが今回は全くなかった。速度は若干上がり気味だがまだまだで、寒さで怪我をしない様にしたい。全快のワイン地所に続いてパンツを履いたまま走った。林道の脇にひん曲がったようなあまり立派でもない木が幾らか横倒しに置いてあった。

クレディットカードがまだ通らない。銀行も担当者に繋がらないので、圧力を引き続き与えなければいけない。しかし来年支払いの宿などは他のカードを使って予約したりして、出物があるうちに押さえておいた。

「ローエングリン」を指揮するロート氏が地元の評論家ティーレ氏のインタヴューに答えている。質問も内容もなのだが答えていることが如何にも馬鹿らしい。そして劇場が小さなヴィデオセクエンスを出して、そこでラウムクランクを語っている。その内容がペラペラで既に言及した様に、ヴァ―クナーへの道をバッハを対抗軸に置きながら、ベートーヴェン、ヴェーバー、シューマンを通してとして、そこからリゲティからの関連を発言。ストラスブルク出身のオルガン弾きの息子で、フランス人ならばこうした非論理的な議論は慣れない外国語を話しても起きるのはおかしい。

ラウムクランク以前に音楽の場を語っていた指揮者であるが、益々その見識を疑わすに十分だ。ペトレンコらと同年配なのだがこうした矛盾のある論理的でない話ばかりしていると、SWRの前任者クレンツィスと変わらないことになる。

以前は、「カラヤンやティーレマン指揮のリヒャルトシュトラウスは風呂場の鼻歌」と語っていたが、なぜかこの人はその音楽的なエッセンスまでは語らない。ハースの四分音のピアノ協奏曲などに関しても楽譜の表紙に書いてある様なことは語ってもその序文までには至らない。

語学力に拘わらず明らかなアイデアがあれば幾らでもその核を上手に話せれる筈なのだが、全然駄目なのである。口が巧い必要はないのだが、いい指揮者は考えながらでもいいことを発言する。誰にでも分かる言葉である必要もないが、分かる人には具体的に分かるだけの言葉がこの指揮者にはない。

キリル・ペトレンコが新しい道を拓いていたからその伝統ある楽団でも未だ更についてきてくれるという意味合いの事を語っている。こうしたところに、自身の楽団でやっているように、まるで自身が新しいことをやっているというような勘違いが感じられるのだがどうだろう。ドイツ語の表現力が羨ましいと合唱団に語ったというが、それが自身のものとなっていなくて、ああした大舞台でヴァ―クナーを振ろうという気が知れない ― 引き受けるか熟考したとは語っているが。50歳を過ぎた実力派としてはその発する言葉があまりにも軽い様に思う。さて土曜日の初日がどうなるか。



参照:
„Ich liebe Deutsch“: François-Xavier Roth, Markus Thiel, Merkur.de vom 1.12.2022
みんなみんな狼だか 2022-12-01 | 文化一般
三大氏神下しへの可能性 2022-10-19 | 文化一般
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