週末は二つの新制作初日がある。先ずは土曜日もミュンヘンの「ローエングリン」、翌日曜日のフランクフルトの「魔女」となる。
「ローエングリン」の総稽古の音や指揮者の話などが流れていたが、想定通り可也厳しいものとなりそうだ。指揮者のロートは、ヴァ―クナーをリゲティの前駆者として、その分割された弦の響きを挙げている。そしてローエングリン役の当代切っての第一人者のフォークトの歌声が聴こえるが、そうもその他の歌手ほどではないにしてもアーティキュレーションが乱れていてどこかおかしい。更にヴィヴラートなどを挙げて、制限するそしていて、配役のカムぺなどはそれによって漸く大劇場に通る声を出している。無理をすれば声を飛ばしてしまうのではなかろうか。初日のブーが誰に向けられるか。
だからこちらの公演の方は12月に序に出かける。初日の評判によっては、自分は最安席の特等席に座りながら、立見席も未だ売り抜けれるのではないかと思っている。映像は初日の中継を観ておけばよいのでそれ以上は要らない。フォークトのローエングリンも観たこともないので話しの種にでもなるだろうか。
「魔女」の報は日曜日に出かけるのでお勉強に忙しい。気が付いたのはチャイコフスキーはワーグナーの「タンホイザー」とか「ローエングリン」を研究しているということで、この曲の弦の分散などはまさしく「ローエングリン」である。ロート氏がチャイコフスキからマーラーを挟んでとか語っていたならばもう少しだけ耳を傾けたかもしれない。
参考映像は、特に主役の歌手のお陰で幕が進むごとの散々な出来となっていく。客演指揮のラザレフもそれ以上には何もやっていない。自身が音楽監督ならば配役も決められれば責任があるだろうが、オペラ指揮の熟練として適当にどんな歌が歌われても最後まで事故無しに運ぶほどしか意識がないようで、楽団もガタガタになって来る。それだけならば我慢がなったが、演出の関係が甚だしいカットが三幕から四幕にあって、森のシーンのホルンを外したりで、まさしくヴァ―クナーなどの影響の部分がそっくり切り取ってあって、動機が意味が分からずに出てきたりする。こういう無関心な指揮者であるから日本でも適当なポピュラーコンサートみたいなものを振っているのであろう。勿論ドイツでは地方の指揮位でまともに扱われていなかった。折角経験も実力もあり乍らライヴァルのヤンソンスなどとは全く異なることになっているのはそこである。
仕方がないのでカットの無い録音を見つけて聴いてみたが、こちらはオペラらしくない演奏でこれまたチャイコフスキーの表現が伝わらない。フランクフルトではウリューピンという若い人で、オペラもコンサートも盛んに振っていて、ドイツでもエンゲルと同じ事務所で各地で振っていて、ペルムでアンサムブルエテルナも振っていた。クラリネットのソリストとしても活躍している。この作品は指揮者の見識も可也重要でただのオペラ指揮者ではやはり難しいと思った。
THE ENCHANTRESS - Pyotr Ilyich TCHAIKOVSKY
Rachmaninov Symphony 2 op.27 / Rostov-on-Don symphony orchestra / Valentin Uryupin
「オネーギン」と「スペードの女王」の間に書かれた自信作ということで、なるほど西欧ツアーでの経験なども影響しているのか。もう一つ気がついたのはレティタティーヴをヴァ―クナーの「ヴァルキューレ」以前の作品の様に使っていることで、これまた興味深い。
参照:
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
初めてのファミリー公演 2022-11-19 | 生活
「ローエングリン」の総稽古の音や指揮者の話などが流れていたが、想定通り可也厳しいものとなりそうだ。指揮者のロートは、ヴァ―クナーをリゲティの前駆者として、その分割された弦の響きを挙げている。そしてローエングリン役の当代切っての第一人者のフォークトの歌声が聴こえるが、そうもその他の歌手ほどではないにしてもアーティキュレーションが乱れていてどこかおかしい。更にヴィヴラートなどを挙げて、制限するそしていて、配役のカムぺなどはそれによって漸く大劇場に通る声を出している。無理をすれば声を飛ばしてしまうのではなかろうか。初日のブーが誰に向けられるか。
だからこちらの公演の方は12月に序に出かける。初日の評判によっては、自分は最安席の特等席に座りながら、立見席も未だ売り抜けれるのではないかと思っている。映像は初日の中継を観ておけばよいのでそれ以上は要らない。フォークトのローエングリンも観たこともないので話しの種にでもなるだろうか。
「魔女」の報は日曜日に出かけるのでお勉強に忙しい。気が付いたのはチャイコフスキーはワーグナーの「タンホイザー」とか「ローエングリン」を研究しているということで、この曲の弦の分散などはまさしく「ローエングリン」である。ロート氏がチャイコフスキからマーラーを挟んでとか語っていたならばもう少しだけ耳を傾けたかもしれない。
参考映像は、特に主役の歌手のお陰で幕が進むごとの散々な出来となっていく。客演指揮のラザレフもそれ以上には何もやっていない。自身が音楽監督ならば配役も決められれば責任があるだろうが、オペラ指揮の熟練として適当にどんな歌が歌われても最後まで事故無しに運ぶほどしか意識がないようで、楽団もガタガタになって来る。それだけならば我慢がなったが、演出の関係が甚だしいカットが三幕から四幕にあって、森のシーンのホルンを外したりで、まさしくヴァ―クナーなどの影響の部分がそっくり切り取ってあって、動機が意味が分からずに出てきたりする。こういう無関心な指揮者であるから日本でも適当なポピュラーコンサートみたいなものを振っているのであろう。勿論ドイツでは地方の指揮位でまともに扱われていなかった。折角経験も実力もあり乍らライヴァルのヤンソンスなどとは全く異なることになっているのはそこである。
仕方がないのでカットの無い録音を見つけて聴いてみたが、こちらはオペラらしくない演奏でこれまたチャイコフスキーの表現が伝わらない。フランクフルトではウリューピンという若い人で、オペラもコンサートも盛んに振っていて、ドイツでもエンゲルと同じ事務所で各地で振っていて、ペルムでアンサムブルエテルナも振っていた。クラリネットのソリストとしても活躍している。この作品は指揮者の見識も可也重要でただのオペラ指揮者ではやはり難しいと思った。
THE ENCHANTRESS - Pyotr Ilyich TCHAIKOVSKY
Rachmaninov Symphony 2 op.27 / Rostov-on-Don symphony orchestra / Valentin Uryupin
「オネーギン」と「スペードの女王」の間に書かれた自信作ということで、なるほど西欧ツアーでの経験なども影響しているのか。もう一つ気がついたのはレティタティーヴをヴァ―クナーの「ヴァルキューレ」以前の作品の様に使っていることで、これまた興味深い。
参照:
金持ちのチャイコフスキー 2022-11-29 | 文化一般
初めてのファミリー公演 2022-11-19 | 生活