Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

意識的に忘れた録音

2024-01-13 | 歴史・時事
意識的に忘れていた中継録音を聴いた。コロナ期間中にベルリンでの演奏の翌日にザルツブルク祝祭大劇場で演奏されたものだ。二日目にはいつものように休憩の無い一曲抜けたプログラムでトリフォノフがベートーヴェンのハ短調を弾いている。

意識的のこの中継のことを忘れていたのは、なによりもベルリンのシーズン初日に続いてここでのブラームスの演奏実践の折衷的な方法に失望したのと、もう一つはベルリンで二つ目のプログラムをやり直した様に、本来ならば其の儘演奏されるルツェルンでの演奏会が中止になっていたからだった。

当時の新聞評の悪評が、個人的な思いを越えて、今その時の録音を聴くととても感動する。当時指揮者のペトレンコが語っていた「折衷」とは交響曲が初演された所謂シュタインバッハ版とされるその歴史とベルリンでの演奏実践の歴史との折衷だということだったが、後者の具体性は上手く描けなかった。

しかし今回聴いてそのコロナ間隔での演奏の難しさとあっちこっちへと外して上手に合わないアンサムブルには、カラヤンサンドとかとは全く異なる指揮の分かりにくいフルトヴェングラーのそれに近いそれも晩年の核に近いような物だけの響きがある。

それは一つはブラームス自身が書いているように「私よりは愛らしいかもしれないが、甘みの溢れるチェリーでは全然ない、しかし決してへんな四番を書こうとしたものではありません。」としているその味であり、更に先の見えないコロナ当時のやるせない響きにもなっていて、思いの外感動させられる。

まさしくそれは私達がフルトヴェングラーの指揮として聴いてきたブラームスの交響曲のその内容であって、最早そこには人を魅了するような響きもなくアンサムブルの精緻さもない。しかしそこに残る骸骨のようなものがある。

車のタイヤは金曜日午前の時点では空気抜けのような兆候はない。走っていないのでなんとも言えないのだが、月曜日に気がつく前に走ったのはワイン地所とかであって、距離も限られていた。また子供が悪戯で空気を抜くようなところにも停めていない。空気が抜けていて気がつかなかったとしてもどれぐらいか?少なくとも走りが鈍いと思ったのは月曜日ぐらいで、それ以前に気がつかなかったことはあり得るか?なるほど運転席から最も気が付きにくい前輪右なので、右横に車が停まっている場合気が付かないことはあり得る。それでも故意に空気を抜かれるような状況は思い浮かばない。その前の土曜日の朝に抜けていなければ、月曜日に抜けていた可能性も少ない。来る月曜日に現状の様ならばアウトバーンに乗る前にタイヤ圧を測るまでもない。

嘗ての事故経験から運転中にタイヤに異常があれば直ぐに気が付く。実はその時も右前のフォイールを損傷していて、後輪駆動だった。今回は状況は異なるが、空気が抜ければ直ぐに気が付く筈だ。それゆえに月曜日の駐車場までの感覚を今も思い起こしている。その時は抜けていた。その前の鼻先の底を打った時の土曜日には気が付かなかった。しかし空気が抜けるような雨水溝ではなかった。摩訶不思議。



参照:
無料VPNをインスト-ル 2024-01-06 | ワイン
日帰り旅行の空気圧 2024-01-12 | 雑感
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日帰り旅行の空気圧

2024-01-12 | 雑感
近所で一番大きくて良さそうなタイヤ屋に出かけた。片道12分、走行距離13kmであるから、天気がよかったので走る前に立ち寄った。思ったほどの倉庫ではなかったようだが、車検所にもなっているので、最小限必要な安全アドヴァイスは受けられるものと感じた。

残念乍ら替えのタイヤはなかったのだが、早くても水曜日にしか入らないという。それならば月曜日には使えないと分かった。

現時点では水曜日から木曜日への空気の喪失は認識されない。だから月曜日の様子を見て、発注すればその次の月曜日は交換できるので、大丈夫だとなった。

こちらにとっては既に宿代を払って戻ってこない218ユーロを活かす為にもベルリン迄行かなければいけない。新しいタイヤ料金は全て込みで120ユーロ程のようでそれで片付くなら全く問題はない。

破裂したら怖いからというとその様なことはないという。やはり昨今のタイヤは嘗てのチューブが入っているものとは違うからだろう。

兎も角、毎日観察するしかない。月曜日までにあまりにも抜けるならもう少し近所のタイヤ屋に行ってタイヤ圧を計らせて応急処置をして貰うのも一つかもしれない。

最初に発見した月曜日の前に底をぶつけた感じのワイン地所の溝を確認したが、そんなにタイヤが嵌まり込むような場所はなかった。底をぶつける以上の物はなかった。

切手がなくなってきたので、ベートーヴェンの切手などと共に、マックス・レーガー生誕150周年の切手を発注した。出ることは知っていたが、忘れていたものだ。

オルガンを弾いていてなんとなく雰囲気が出ているので良い。150セントだからシートで15ユーロとなるが、使い勝手がよければもう一シート保存用に購入してもいいかなと思う。

シェーンベルクの室内交響曲を昨年演奏された実況録音放送で聴いた。フランクフルトでアンサムブルモデルンを作曲家のベンジャミンが指揮したものである。驚くことにこのモダーンの名称のアンサムブルが1980年の最初の演奏会をした時のプログラムに入っていたらしい。

この交響曲を現在モダーンという考え方は殆どないと思うのだが、それをいつもの無機的な音響で無意味に演奏しているだけでなくて、指揮者がブーレーズ顔負けに飛ばしていて、荒っぽく処理しているのにはさらに驚く。

作曲家としてもそれほど注目した事の無い指揮者であるが、その晩の他の曲はまだ聴いていないのでまだ分からないのだが、全く理解に苦しむ。そこにいたらブーイングもので、だから行かないのだが、こうして放送を通じて内容が確認される。



参照:
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新モデルの車を試乗

2024-01-11 | 雑感
新しいモデルを試乗してきた。ドイツのタクシーになる新Eクラスであるが、エンジンはハイブリッドで、上から二つ目である。そして四輪駆動で、前モデルでは後輪駆動のハイブリッドしか試せなかったので、初めての試乗である。

容積は大き過ぎも小さ過ぎもなく五人乗りで長旅も可能であるが、通常のトランクルームよりもバッテリーが乗っている分小さい。そして念願の空気羽根の車で、その昔はプルマンという最高級の6000㏄の車にしか使われていなかった。

この二つの特徴で、カーヴでの挙動や走り感もとても安定していて、更に全自動運転へと繋がる車線維持と前車を追従するシステムも夜間の高速走行を考えるとデジタルヘッドライト調整と合わせて、俄然早く走れると確信した。眠くなっても直ぐに修正してくれる。なによりも夜間の先の見えないカーヴもスピードを落とさず入っていけるからだ。

トヨタが成功して追いかけた形のメルセデスのハイブリッドも前モデルに比較すると遥かに優れていると感じた。充電と放電の切り替えは乗り心地では分からない。しかし、エンジン回転が上がる感じで、今回の試乗での一番の問題点だった。それでも静粛なガラス窓が入っていて、余計にエンジンの回転が気になるのかもしれない。この辺りは新聞等の試乗記などを読んでみたいところである。

更に空気羽根と組み合わされて最小回転のAクラス並みの小ささは直ぐに気がついた。駐車スペースでの取り扱いだけでなく、山の中の狭い道でもUターンできる可能性が広がる。兎に角、車格の割に路地にも入りやすく車幅感もとても掴みやすく取り扱いが容易である。

いつものようにダルムシュタットまでアウトバーンを飛ばしたが、直ぐに230km迄加速できたので、やはり早い。ブレーキの効きも調整可能なもので、それも前車追跡システムとの相性が重要になる。横から出てきた時の急ブレーキ時でも四輪駆動の恐らく空気羽根の安定感があって、車がつんのめって座席から物が飛ぶこともなく、左右にもあまり傾かない。やはり、四輪駆動と空気羽根の相性がいいのだろう。今乗っている車より明らかに優れているのでやっと購買意欲が湧いてきた。

今の廃車寸前の車の右前のタイヤが月曜日から空気が抜けていて、今日走る前にも酷くなっていた。マイスターに見せると空気が抜けるという事は替えなければいけないだろうということで、調べても釘などは刺さっておらず場所が特定されなかった。

替えのタイヤが無いことから、先ずは空気を入れて、抜けてきたところで、再び注入して新しいものを探すしかないだろうとなった。月曜日には間に合いそうにないとなれば、応急的に空気を入れ乍らルクセムブルク往復しかないかもしれない。

更に空気が抜けそうならば近所のタイヤ屋で早速取り替えさすしかない。フォイール自体に問題が無ければ、それだけで済む。嘗てフォイールを曲げて仕舞って大事故を起こしたことがあるので、その轍は踏めないが、今回は思い当たるのは雨水溝の浅いところで頭を擦ったぐらいなので、タイヤやフォイールを傷めた覚えはない。



参照:
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マントルピースに窓の氷

2024-01-10 | 生活
ベルリンの宿の無料キャンセル期限である。三泊で218 ユーロなので無駄に出来ない。公演自体は支配人も言及していた様にシーズン後半で最も重要な演奏会なので簡単にキリル・ペトレンコが休むことはない。少なくとも代わりに振る人はいない。だからキャンセルの危険性は皆無なのだが、念の為に宿の内容とその周辺事情をもう一度確認しておく。

初めてのパンコウ地区の宿泊でその環境は今一つ分からないが、DDR時代には高級官僚などが住んでいたのは知っていて、今回泊るところも週末の別荘のようなところだ。庭の中の一軒家の様であり、70平米ある。直火のマントルピースなどと書いてあったの寒さ対策を心配していたが、一年前に宿泊した人が98点与えて絶賛しているので、問題はないのであろう。風呂桶があるとかどうかはどちらでもいいが、寒ければ浸かれるのも悪くはない。

現時点ではエルツ地方は摂氏零下二桁になっているが、その頃にはそれ程冷えていないかもしれない。しかし中旬に雪が降りそうであちこちに残っているだろう。車道と駐車スペースさえ空いていれば問題がないが。補助のスコップは積んでおいた方がいいかもしれない。

走りに行く時に前輪右側の空気が充分でななそうなのでルクセムブルクに出かける前に検査しておかないと駄目だ。なんだかんだと準備しておくことがある。車中のラディオでさっぱりした弦楽が聴こえていたら、アナウンサーが友人の名前を読み上げた。なるほどそのボーイングなどがお気に入りだったのだ。ダイシンの同門である。アルファベットを頭に浮かべないでもすっと耳にはいるのが友人の名前だからであろう。そこそこ活躍していて喜ばしい。

やはり早朝は冷えた。窓の水滴は完全に氷化していたのがお昼でも分かる。ここ暫くは寒く、日中の気温が摂氏一桁になると今度は降雪となりそうで、積もる。来週のルクセムブルク行に道が開いてくれると助かるのだが、積雪量によるだろうか。谷間を走っていくので若干心配である。

宿泊していたら雪下ろしなど結構面倒なことになっていたかもしれない。降雪のところを往復400kmも走るのは億劫だが、時間を掛けてなんとかするしかないだろう。因みに断念したムーティ指揮シカゴ交響楽団の最後の欧州ツアーに二日目プログラムはあまり売れていない。初日が完売状態であるのとの差は大きい。しかしゲヴァントハウス交響楽団のチャイコフスキープログラムも売れていない。

その次の週にも雪は残りそうなのだが、降雨や降雪さえなければ助かる。前夜泊でハルツ地方に宿泊予定なのだが、調べるとベルリンよりは数度気温が低い。道さえ空いていればなんとかなるとしても氷点下20度を下回るとなると不凍液の調合にも気を使う。

概して大陸性気候の東ドイツはやはりこちらとはそれどころかバイエルンの高地と比較しても寒い。お出かけにもしっかりとコートを羽織らないと車からも降りれない。旅行中であるから古いどちらでもいいコートを持って行こう。本格的に厚着をするのはとても久しぶりだ。



参照:
時間的な余裕感を吟味 2023-10-16 | ワイン
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ベルリン地方の歴史音楽

2024-01-09 | 文化一般
冷えて来た。零下で放射冷却となれば地面が凍る。泥濘が無くなるので走りやすいのだが、寒いので耳あて替わりのバンダナと手袋は欠かせない。手袋をしていても指先が凍って来た。乾燥しているので助かるが、濡れると凍傷になる。

お正月特集でベルリンの旧RIAS放送局から昔のアーカイヴが放送されている。興味があったのは1966年にチェリビダッケが東側の歌劇場で演奏会を振った録音で、なぜこの放送局がそれを持っているのかは分からないが、名演とされていて、後半のブラームス交響曲四番はYouTubeにも上がっている。今回の放送でもその南欧的と言われたリズムや躍動感、そして精緻さが語られているが、ヒンデミート作「ヴェーバーの主題によるメタモルフォーゼン」は一昨年かにペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏で決定的なものを体験してしまうと、この指揮者が全くヒンデミートを理解していなかったことしか分からない。

既に作曲より23年経過していて、これだけの演奏しか出来ない指揮者って大分頭が悪い。ティテュス・エンゲルが作曲後10年以内に決定的な名演をしているのに比較すればよい。なるほど半世紀前と現在では情報の伝わり方が異なるが、最終的には判断するのは知性でしかない。

チェリビダッケは作曲もしているがその内容を鑑みるとその程度の知能しかなかったとなる。やはり一人前の芸術家気取りならばそれぐらいの知性が無ければ無理である。

結局人事に口を出し始めたということでカラヤンに後任が決まったので可也の確率でチェリビダッケへとベルリナーフィルハーモニカーが移る可能性があったことを考えると危なかしかった。音楽的な才能は、同じように南欧的と言われたトスカラヤンもよく似たものだと思うが、総合的にはカラヤンはそれは違った。

「メタモルフォーゼン」はフルトヴェングラー指揮でも名録音が残っているので、益々このチェリビダッケがここでやろうとしていることが、浅墓にしか思われない。彼の放言や暴言を思い起こせばその知能程度も分かるというものだろう。そうした者をミュンヘンでベルリンの対抗馬にしようとしたミュンヘン市の政界がその後ゲルギーエフなどの戦犯を招聘したことに繋がっている。

ベルリンのフィルハーモニカーは、レーベルがドイツの最後の砦として立てたベルリンのセネターの権限から外れて、連邦政府へと移されたのも大きかった。そして残るベルリンのローカルな歌劇場ウンターデンリンデンへと白羽の矢が向けられたことは時間をかけて画策された事だった。

なるほど戦前はベルリナーフィルハーモニカーが新興交響楽団であるのに対してクライバーらが活躍した様にプロイセンの歌劇場はそれなりのリーダ―であったのだが、戦後はDDRを代表する古典文化財の様になって、壁が開いた後にバレンボイムが中興の祖となって蘇生する。しかし今に至るまで、連邦共和国を表徴するような上演は殆どなされていない。予算規模や物理的な大きさではない。



参照:
吹かされる黒い森の心理 2022-10-14 | アウトドーア・環境
独墺核レパートリー 2021-12-02 | 音
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朝が起きれない日々

2024-01-08 | 生活
朝が起きれなかった。月一かの入浴日だったのでよく眠れた。しかし朝はベットから抜け難かった。眠くて起きれなかった。色々と原因はあるのだろうだが、前日に走って十分な食事を摂ったのだが、若干代謝が上手く行っていないような感じはする。

正月にチョコレートを噛んでいるときに歯のセメントの一部が欠けたように、再び歯医者に行って刷新した方がよさそうだ。医者が変わったりで、ブリッジをやった若い女医さんにやって欲しいのだが探さないといけない。アフターケアー迄ある程度責任を以てやることでお勉強もして貰いたい。今更知らないおばさんにやって貰っても全然嬉しくない。指を入れて欲しくない。

眼鏡のお陰で仕事は億劫ではなくなったのだが、やはり続けてモニターを使っていると疲れる。途中で眼を休めようと思っていてもつい忘れてしまう。車の運転の場合は眠くなって堪らない時がくるのだが、座業で居眠りするのはそれほど多くはない。

夜間の睡眠にはいろいろな条件がある。一時の様に夏でも夜中にトイレに度々起きるようなことはなくなった。寝具の関係も大きいのかもしれないが、その分朝も暗い内は出来る限りベットにいたい。要するに長く寝れるようになっている。十時間以上寝てれる。一時は五時間で目が覚めて八時間が限度であった。

体形も若干変わってきている。ジーンズは1%の伸縮材混毛であってもここ何十年で一番小さなサイズを履くようになっているのだが、明らかに腰は今迄で一番張っている。走り込みが少なくとも週間の高度を稼ぐようになってから成果が出ているようで、ウエストは増えないが、下着やショーツ類もパンパンになって来た。

同時に走る時の腕振り以上の運動はしていないのだが、片当たりの神経痛が続いていた反面、明らかに盛り上がってきているような感じがある。これも不思議である。先日肩こりがあったのも作業着の白衣の下で張り切っていたような印象があるので動きに不自由があったのだろう。

先日ザヴァリッシュ指揮ミュンヘンの座付き楽団の演奏でメンデルスゾーンの「エリアス」の実況録音が流れていた。全部は聴けなかったのだが、懐かしい音が流れていた。当時の楽団は、オペラでもクライバー指揮の演奏会でも聴いて記憶はあるが、今のようには冴えない楽団だった。ああして名歌手を集めて演奏しても、嘗てメゾフォルテしか出せないと揶揄されていた指揮者が力んで大きな音を出すのはNHK交響楽団でもお馴染みであった。その分綺麗に鳴ることはなかった。その辺りがとても懐かしい音響であった。その様な経験があったので、晩年にフィラデルフィアの管弦楽団を連れてフランクフルトに客演した時にも殆ど注目しておらず聴き落としてしまったのであった。

クリスマス、年末年始で購入していた肉類は缶詰の半分を除いて片付けた。月曜日からは再び肉屋も開店するので平常の食生活となる。週明けから放射冷却で可也冷えそうである。既に外気温は零下になっているので、ヒーターも強めにかける。そして再び十二分の高タンパク質を摂取することになりそうだ。



参照:
必ずしも希望ではなくとも 2023-11-29 | ワイン
訪れた夜尿症の朝 2020-06-26 | 生活
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非合法的な自由な発言

2024-01-07 | 文学・思想
ドイツ連邦共和国におけるアンチユダヤ主義は近東の紛争で明確になった。そこで様々な独芸術文化界での議論となる。先ずは連邦政府文教委員会長のSPDのブッデ議員は、その立場から対外独文化施設はどのように対処するべきかとなる。そこで皆がこぞって考えるべきだとして、協調作業は可能だとの見解を通信社に語る。

対外的にも独団体がアンチユダヤ主義への疑いをもたれるべきではないが、それまでの友好な関係を遮断してということではなく、協調作業は可能だとの旨を語る。

つまり、白黒つけられるものではなくて、抑々文化芸術は多彩であるべきなのだと答える。我々が反ユダヤ主義と思う諸国においての協調作業もそれは可能にする。そしてその協調作業を通してユダヤ文化をそれらの諸国でも仲介する。即ちそこでは架橋が破壊されていても文化的な架け橋で繋ぐことが出来る。誤りは生じるかもしれないが修正すればよい、今がその時だと。

緑の党の文化大臣ロートは、文化界において議論が窮屈になることは危険であるとしても、表現の自由の憲法精神に則っても、人権蹂躙である場合は明らかに制限される。モスリム嫌悪、排他主義の形での人種差別、反ユダヤ主義がそこに含まれる。アンチユダヤ主義の勃興が疑われるところでは警鐘が鳴らさなければならず、多くの文化団体ではユダヤ人の生活の支援を検討した。

だから、文化界ではその議論内容に関しての不確かさが生じた。しかし一方で独文化は論争から成り立っていて、それが容易な解決を見ていないという。そして在独の文化関係者には、その議論が制限されていることに驚き、誤解が生じていると観られている。

そしてドイツは植民地主義を統括している国としての世界的な定評があるとの認知があり、文化団体がそうしたドイツにおける政治的な危険性を指し示す任務があるとする。

こうした事情と議論が歴史的過去の上に立脚するドイツにおいては、イスラエル存続に懐疑を持つことの無い国是があり、アンチユダヤ主義こそが表現の自由の名のもとに人種主義として全面的に否定されるものとなっている。

同時にドイツ連邦共和国においては、宗教的な原理主義、差別、人種主義、そしてあらゆる反ユダヤ主義には議論の場がないということである。

アンチユダヤ主義への対応は既に触れているが、ドイツにおけるユダヤ文化は重要な独文化の一部であり、その隣人としてのユダヤ人におけるシオニズムは近代思想の一部として捉えられていることから、その枠内でユダヤ人の宗教原理主義も扱われる。これはなにもドイツゆえではなくて、欧州におけるポストコロニアズムを通しての近代主義の延長に存在する。

それらは独連邦議会第三党のAfDも議会で会派として扱われない事にも相当していて、新たな視点への議論の叩き台となることはあっても憲法に則り非合法的な活動に相当するということでしかない。



参照:
Kulturszene: "Zusammenarbeit muss machbar sein", dpa vom 3. Januar 2024
不死鳥の音楽的シオニズム 2023-12-17 | 文化一般
大洪水の後で鳩は 2023-12-21 | 文化一般
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無料VPNをインスト-ル

2024-01-06 | ワイン
1月14日のNHK放送予定番組関連で気になっていたVPNをインストールした。前回は2017年のミュンヘンからの引っ越し公演に伴うNHK音楽祭映像を観ることが目的だった。この間機材も変わり、旅行用のMINIノートブックのLINUXにはインストト-ルしてあるのだが新しいWIN10には入れてなかった。不要なものは極力インストールしないからだ。

LINUXの方は映像には難しく、もう一つのLINUX音楽メインシステムも弄りたくないので否応なしにWIN10に新たにインストールした。幸い上手く行ったのだが安定度に欠ける。

無料VPNであるのでその伝送速度も遅く、前回も繰り返し繰り返し状況の良い時を待って辛うじて貫徹した。今回もオンデマンド配信で潮時を見るしかないかもしれない。その為には有料なので幾らかを払わないといけない。その支払いもNET CASHというのを使って、ID番号などを見つけてログイン可能だった。まだ若干掛け金が残っているので、それで用為すかどうか。先ずは状況を見ないと何とも言えない。

そのプログラムの中でブラームスの四番はシカと観ておかないといけないと思っている。復活祭で最終の姿が示されるので、計三種類を比較する事にもなる。その前のコロナ期間中、そしてミュンヘンでの実演と五種類の演奏となる — 実はもう一種類コロナ期間中のザルツブルクでの中継録音があったが意識的に忘れていた、即ち六種類七夜。そしてその秋の定期公演での演奏は昨年デジタルコンサートホールで最も観られた演目であったらしい。

年末年始の三本目は2012年産ゴッテスフースであった。ザールリースリングらしい豊満な酸とそれに合わせた残糖が日本食などには合う。これが日本でもモーゼルザールル―ヴァ―に人気がある点で、本国での食生活の豚などの原材料に合わせた淡白な味には合わない。それにはリースリング愛好家の酸のエッジが効いた雑食砂岩や花崗岩の方が合い、石灰分の多い黄色っぽい面取りの薄いのリースリングはサラダなどに合う。

そこで重箱の料理に合わせたが、これがまた良かった。2012産で非常にバランスがよくて、果実風味も豊かである。但し醸造所のオーナーもブルゴーニュシステムの辛口のコンセプトを全面的に承諾していなかったので、どうしても糖が多めに残っている。

しかしこの年度のこの地所の赤いスレート成分の多い旨味は格別で、トロミまではないのだが、酸味とのバランスで分離もせずにとてもスムーズな飲み心地であった。なるほど一番良かったナーヘのデルヒェンと比較すると明らかに、甘みが多く、旨味よりも多層的な深みを求める向きには合わない。リースリングに深みと構築感を求めるとなるともちゃもちゃ食事などはしていられないとなる。

何かブラームスの交響曲四番における演奏実践のその方向性と全く同じようなお話しで、ワインの場合は好みや目的で済む話なのだが、音楽芸術となるとそこには求められるものは定まる。あるのはワインと同じように時代によってその求められるものや関心のありどころが変わってくるという客観的な状況の存在である。



参照:
ステレオタイプは不可 2024-01-05 | ワイン
神の膝元のリースリング 2015-06-02 | 試飲百景
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ステレオタイプは不可

2024-01-05 | ワイン
ムーティ指揮シカゴ交響楽団最後のツアーが迫っている。そこで演奏される一曲メンデルスゾーンの交響曲「イタリア」イ長調である。昨年暮れからLPを取り出してあったのはカラヤン指揮ベルリナーフィルハーモニカー演奏の1973年前の録音だ。

B面には「宗教改革」が入っていて全集になったのかもしれないが、あまり針を下ろしていなかった。なぜだろうと考えていたのだが、音を聞いてみてやはり魅力が薄い制作であったことが分かる。先ずは当時の評判の悪いDG録音も冴えない。録音コンセプトもはっきりせずに、ヴァイオリンを強調したようなバランスで非音楽的である。

それでもカラヤン指揮のメンデルスゾーンを聞くとやはりあまり得意にしていないのもよく分かる。浪漫派の音楽もメインレパートリーにしていた筈なのだが、管弦楽を持て余している感じが強い。やはり後期浪漫派の楽曲の方が上手だった。

楽譜も落としたので、参考音源もじっくりと探してみたいが、中々いいものが思い浮かばない。少なくともムーティがお手本とするカラヤン指揮では駄目だったとなる。

年末年始で一番素晴らしかったのは、クリスマスを入れて、やはりこのデルへェンだと思う。昨秋グローセスゲヴェックス回収に行ったついでに久しぶりに名うてのグランクリュをドライヴした。

やはりその土壌とミクロクリマからしてナーヘ流域ではこの醸造所が一番いい地所を持っていると思う。小さな田舎の醸造所であって、それほど経済力もありそうにはなく、更に土地柄所謂ブルゴーニュシステム導入には戸惑いが多かった筈だ。それでも少なくとも十年前にはこれ程立派なグローセスゲヴェックスを輩出している。

最後の一本となったデルヒェン2014年はポトリス風味はないのだが若干干し葡萄的な旨味と清潔な繊細さが丁度木樽熟成の広がりのような息遣いになっている。蔵見学をした記憶がないので質してみないと分からないが、とても上手に醸造している。そもそも先代がアイスヴァイン作りの名人であり、今でもその貴腐ワインの甘みの出方はこの醸造所が世界的に有名なエゴンミュラーなどよりは上である。酸の出方とそのバランスが絶妙なのだ。決してしつこくなったりすることがない。

そういうノウハウで以って辛口の本格的なリースリングを醸造するとこうなるという例であって、今更ながらその質を見直している。生産量も一般販売量も限られていて、春にしかし試飲会をしていないことから、特にそのグローセスゲヴェックスなどの樽試飲はやはりそれなりの見識と経験がないと判断が下せない。そしてそこに瓶熟成のポテンシャルを読み込むのは嘗てならユダヤ人ワイン商の専売特許であって、実際河下のビンゲンには後のフランクフルト学派のアドルノ家などがそれで商売をしていた。

そしてここの土壌の複雑さはステレオタイプなカテゴリー別けだけでは片付かない特徴づけが必要になる。色も未だ黄色くなく、まだ十年は寝かせれるが、もう十分に愉しい。酵母臭、硫黄臭一切無し、あるのは葡萄臭だけ。

当時と現在のグローセスゲヴェックスが異なる所はなによりもその醸造の高度な技術とその設備となる。温度管理も整っていて、香りを逃がさず、同時に自然な味の広がりがある。



参照:
ピリ辛感が残る最後 2017-08-22 | ワイン
菊牛蒡とタロイモの年始 2016-01-03 | 料理
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偽りの無い熟成過程

2024-01-04 | ワイン
クリスマスから年始迄の食材は月曜日までに尽きる。特に肉類は追加で手羽を購入して繋ぐ。コール首相の缶詰も週末に開けることになるかもしれない。経過理由はあるのだが、一つ買えなかったことと、日程的に早めに始まったことがあり、またコロナ期に比較すると食事量が伸びている。

缶詰の付け合わせのザウワーボーネンも新年で未だスーパーに入荷していなかった。他の付け合わせも考えてみなければいけない。

年末年始で最初に開けたのがラインガウのグレーフェンベルク2014年である。クリスマスに南プファルツの雑食砂岩「ガンツホルン」でその年度を確認していたので、開けてもよいとなった。細やかさはあるのだが、熟成向きではないのは明らかで、若い時のキュートさがなくなって面白くない。その前年の態々買い足した黴臭い年度ではなく素直なのだがそれが余計に詰まらなくなっている。

勿論リースリングの煮凝りに合わせたりでは全く問題がないのだが、その価格と瓶熟成の年月を考えるとその期待に応えたとは言い難い。前回開けたのは2021年で三年前であった。同様な印象が書いてあって、どうも当時はまだ樽熟成に100%木樽を使っていなかった頃かもしれない。やはり適当に呼吸が出来て、発酵の炭酸ガスが自然に抜けるぐらい出なければいけないのだ。

なるほどワインに自然の炭酸が残っているぐらいの方が口当たりが良くて清涼感があるのだが、そのガスは瓶熟成で消えてなくなる。その時に退屈な味であってはいけない。基本的に若い時にガスが残っているということはステンレス醸造をしていて、偉大なワインとはならない。

ラインガウでは最も高い位置にあるグランクリュの一つで、なによりも秋には冷えて優れた酸が効くことが重要で、過熟成するような果実からは良いリースリングは醸造されない。

ヴィーンでのノイヤースコンツェルトの放送は見聞きしていない。最早完全に興味がなくなった。個人的な思いなのかどうかは分からないが、新聞評では絶賛してあって「いい意味でプロシア風、内容充実だが感じやすく、甘くても粘っこくない」と見出しになっている。それを読んでも殆どむかつく。要するに催し自体がもうとても鬱陶しくてついていかれない。日本では地震があって生中継はなくなったようだが、中共で熱心に観られたことだろう。

ああいう催し物は最早文化的な先進国では受け入れられないだろう。一体このようなご時世にヴィーナーヴァルツァーもあったものではない。改めて、先月20日に生中継されたガザ地域とイスラエルの市民の保護へのチャリティーコンサートの録音を流す。やはりそこには偽りの無い音楽がある。

あんな商業主義の催し物などとは今更ながら無関係だと感じる。なるほど「こうもり」のようにそこに作られたヴィーナーというものが描かれてこそ初めて芸術化するのとは大分事情が違う。



参照:
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
シャンペンの泡の様に 2024-01-02 | 音
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赤飯擬きで祝う

2024-01-03 | マスメディア批評
元旦に文化大臣ロート女史の声明が通信社に向けて出ている。バイロイト音楽祭に関してである。既に話題になっていた連邦政府が主導権を持つ話に関してである。要するに以前は三分の一あった友の会の発言力が減らされた。

その背後事情として2.4ミリオンユーロへと1ミリオンユーロの寄付金減少とある。出資する経済力がなくなったいうことであり、連邦政府が改築費用を出すことが全てである。因みに同じように連邦政府は3.4ミリオンユーロ出すためにその位置づけが変わる。

それによって、ロート女史はプログラムに責任を持ち、執行部の全面支援をすると声明した。つまり執行部が連邦政府の意に適う陣容でなければいけないということだ。

具体的には、平土間に座る人々に社会の多様性を反映させたいということだ。既に様々な議論を生じさせている女史の真意であるが、客観情勢からして、ヴォルフガンク・ヴァ―クナー時代に権勢を誇った友の会のいつものような人が陣取るのを是正したいということだ。その背景には協会の重鎮であったマンハイムの会長の死などに表徴される世代交代がある。

要約すれば、ヴァ―クナーファンなどはドイツ連邦共和国ではなつまみ者のオタク。そうした聴衆の為に貴重な税金を使えないということ。だから開かれた将来性のあるヴァ―クナーの芸術の為に芸術祭を催すということ。

元旦に赤飯擬きを炊いた。大晦日から元旦へと色々なものを食過ぎて、軽く食べたかった。その前に晴れ間を活かして走った。幸いなことに身体は重かったのだが戻って来ての軽量は大台に至っておらず、不健康な体重増加は避けられた。アルコール量と食事そして籠っていたので心肺機能など不安はあった。それで毒抜きが出来た。

赤飯擬きとしてフジッコの煎り黒豆と呼ばれる北海道産の黒大豆を炊飯器で米と一緒に炊くだけである。米さえもう少しそれらしいもち米などを使えば、なにもそれ程赤くなくても悪くはない。簡単に郵送できるものなのでとても使いやすい。日本からのお土産に貰った時はビールのあてにしてはそれ程ではないと感じたのだが、使えると分かった。

日本にいた時も赤飯などは年に二度も食するかどうかもものだったのでこれで十分である。前日にはバラ寿司も作っておいて元旦は蒸寿司だったので米尽くしであったが、食するものは沢山あった。

リースリングも年末年始で三種類のグランククリュを楽しめたので満足であった。どれも全然悪くはなかった。十年前後物を並べたのであるが、飲み頃であった。まだ数年楽しめても瓶熟成頂点であったものもあった。

今年の経験から今後も十年前後のグローセスゲヴェックスを年末年始に明けるのがいいと感じた。食事にも合わせ易く、且つその個性が旨味としてが出ている。果実風味が上手に統合されている。具体的には改めたいが、魚料理や日本風の味に合わせて、スレート土壌のラインガウ、ナーヘ、ザールの三種類のリースリングを開けた。



参照:
Claudia Roth will mehr „Diversität“ in Bayreuth durchsetzen, dpa vom 1.1.2024
菊牛蒡とタロイモの年始 2016-01-03 | 料理
芸術音楽が表現するもの 2022-03-07 | 文化一般
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シャンペンの泡の様に

2024-01-02 | 
大晦日は演奏会に続いて時差配信の喜歌劇「こうもり」を観た。個人的に今年試してみようかと思ったぐらいで、年末年始でこれを訪ねたり、時差生中継も観た記憶がない。本年少なくともモニターを通して適った。勿論古いアーカイヴ公演とは異なって数時間の時差乍ら同時性と同時に、それ以上に零時に舞台が進んでいるのがとても嬉しかった。つまり花火の音を聞いて、おかしな思いに浸ることなく、舞台に入れる喜びはなによりもだ。因みに本番の劇場では12時まで誰も働かない。

しかし番組が終わるのは午前様でアルコールも入っているのでうとうとした。だから後半は若干冗長感を感じたのは事実でそれが演出の責任なのか何かはじっくり繰り返して観なければ分からない。

但し音楽に関しては、想定程は悪くなく、それなりに公演として劇場が湧いていた感じも分かった。なるほど指揮者のユロウスキー監督がこの作品にはこの手の演目でありがちの様には一曲たりとも下らない曲はなく、その管弦楽法はモーツァルトと同じぐらいに魅力的とするものは活かされていた。逆に指揮者としてそこにコンセプトをおいたというのはそれ以上の核心には至らなかったということになる ― なにかベルリンのペトレンコのコンセプトと同じような言い訳感がある。勿論ヴィーナー風の演奏をリードできる筈もなく、ミュンヘンの座付き楽団の特徴を活かすことが肝心だった。

その意味からは現在のドルニー支配人の体制で招聘される中途半端な指揮者とはその演奏水準は異なるのだが、羽根の生えたようなシャムパンの香り漂い泡が弾けるようなシャマンテからは甚だ遠かった。本人も語っていたように英国での上演でのそれを思い起こさせる文化的な相違が著しかった。

余談ながら前任者のペトレンコもクライバー指揮を意識して振ったのだが、出かけなかった。やはり中々その先駆者には到底及ばないと思ったからだ。ペトレンコはヴィーナーヴァルツァーも現存指揮者の中では最も上手に振れる人だとは思うのだが、それでもそこに才能を注ぐほどではないだろうと考えたからだ。

ユロウスキーは、賞に輝いたプロコフィエフ「戦争と平和」で評価されたが、そのリズムも管弦楽バランスも重いと感じた。音楽がもう少し魅力的になっていたならば舞台の演出への認識も少し変わっただろうということである。

なるほど演出的には、ドラッグクイーンとかを女性のカンカンの代わりに入れたり、ズボン役をカウンターテノールの役にしたりで性的な社会的な位置づけの変換を前提としているのも今日的であり、ローマ教皇が男性ペアーを認める時代の当然の認識である。

それゆえに音楽的にもそれだけ魅力的でないと舞台の説得力も発揮することがなくなる。まさしくそうした指揮者の仕事が賞を獲得しているティテュス・エンゲルの第一人者との差である。なるほど、エンゲルが急遽受け入れて飛び入りした新制作「ジュディッタ」との音楽劇場とは異なり、伝統的な制作であるから、音楽的な説得力で示すしかなかったのではあるが。

全く異なるが、昨年のクリスマス前にエンゲルが指揮した再演「ヘンゼルとグレーテル」とのウケ方を思い起こせば、やはり新制作でありながらそこ迄は全然湧いていない。
Die Fledermaus - Tritsch-Tratsch-Polka




参照:
言葉通りの「お試し」 2024-01-01 | 音  
幕が閉じてのその熱気 2022-12-25 | 音
コメント (2)
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言葉通りの「お試し」

2024-01-01 | 
大晦日のジルフェスタ―コンツェルトを観聴きした。ベルリンのフィルハーモニーからの世界に向けての生中継だった。昨年までは映画館への生中継と共に独公共放送での生中継があった。しかし今年からは明らかに将来的な中継の形式がベルリナーフィルハーモニカーの独自のデジタルコンサートホールで試されていた。それによってメディア業界とのタイアップでアップアップになっている正月のヴィーンのノイヤースコンツェルトのビジネスモデルを乗り越えるための試みである。

その評価は改めるとして、中継内容を公共放送ラディオとDCHの無料券での聴視から書き記しておく。因みに毎年自動的に貰える一週間券を大晦日までに登録しないと無効になる為に、早速1月7日までの期限を確保した。その後も合わせて数週間分の無料券を持っているので2月まで使える。

今回のプログラムの前半と後半はアンコールを除いてペトレンコ指揮でNHKホールで演奏されたものなので、それらとミュンヘンでの本公演での比較となる。「タンホイザー」に関しては、DCH生中継開始前のペトレンコよるインタヴューが流されていたが、今回の序曲と日本でも公演でなされたようにパリ版のバレーに合わせたバカナールが演奏されて、その比較的初期のヴェーバーによる影響を受けた初期版から既に創作をしていた「トリスタン」までの広い範囲の音楽的なアイデアがそこに一同に会することが取り分け面白いということだった。これは所謂ヴィーン版などの死の直前までに改正に勤しんでいた作曲家の像がそこに映される。

その些か「ヴィーヌスの花園」の浪漫的な創作過程の楽曲を経て、後半には「ヴァルキューレ」一幕が超リアリスティックに音楽的に描かれると新聞評でも書かれて、その客人との近親相関への禁じられたオーガズムスはR指定にするべきだとまで初日に関してのベルリンの新聞評には書かれた。

なるほどペトレンコが語るように — この一幕は楽匠自らが「金の成る木」と呼んだようにうける事は予定されていたが、その幕だけでの完結した物語となっていて、そしてその音楽がリアルに物語を音楽化しているということでは卓越していて、舞台の必要がないというぐらいなのである。先日シュトッツガルトの音楽監督マイスターのことで書いたように、そこまで音化が可能な指揮者にだからこそ言わせる音楽的な評価である。

それゆえにこの曲はバイロイトの蓋のついた奈落では到底楽器間の受け渡しも困難で、特殊にそのように作曲されているからだと、演奏会形式で演奏する曲としての選択だったとなる。

そしてフィルハーモニカーの献身的な演奏は、今回の演奏が恐らくザルツブルクでの復活祭初日へと向けてのペトレンコの言葉通り「お試し」だったとなる。勿論音楽のドラマトュルギー的には意味無しであり、歌手もそこに音楽的に歌ったのみであり、それ以上のでは全くなかった。バーデンバーデンでも未知の期待がかかるテノール歌手との次のお試しがあるので、その進展が確認されることであろう。ーデンバーデンでも未知の期待がかかるテノール歌手との次のお試しがあるので、その進展が確認されることであろう。



参照:
希求の無い所、何も無し 2022-01-02 | アウトドーア・環境
避けがたい芸術の力 2023-01-01 | 音
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