3月19日(日曜)孫3人が通う小樽量徳小学校で卒業式がありました。量徳小学校は、市の統廃合計画に従い今年度限りで閉校になり、138年の歴史にピリオドを打つことになりました。閉校を悲しむかのように朝から雪が降りしきります。我が家の一番上の孫が最後の卒業生となり、真ん中と下の孫は、4月から近隣の小学校に転校となります。最後の卒業式ということもあり、娘夫婦とともに出席してきました。
量徳小学校は小樽市内で最も古い小学校で、明治6年に「小樽群郷学所」として開校しています。小樽教育発祥の地でもあります。そして明治11年には洋風2F建て校舎が落成し、開業式には、時の開拓使第3代長官黒田清隆が臨席しております。また明治13年に日本国内で三番目の鉄道(小樽手宮~札幌~幌内)が敷かれた際、その総指揮を執った米人技師ジョセフ・クロフォードの宿舎に量徳小学校が使われたといいます。
ともあれ、小樽の歴史とともに歩んできた量徳小学校も、児童数の減少による統廃合は逃れられませんでした。児童数は一時2000人を超えましたが、現在は130人にまで減少。新しい校区は、花園小学校と汐見台小学校の二つに分かれます。ここ1年を写真とともに振り返ってみたいと思います。
(1) 運動会 (5月28日)
内地では運動会というと、10月10日の体育の日を中心に秋に行われますが、北海道の場合は5月の末に行われます。理由はよくわかりませんが、寒からず、暑からず一番いい気候だからでしょうか。運動会の種目に「YOSAKOIソーラン」が含まれているのも小樽の学校の特色でしょうか。ここ数年の運動会については2011.6.5付け「小樽市立量徳小学校最後の運動会」に詳しく載せております。
(伊藤多喜男の歌声に乗ってYOSAKOIソーラン 訛の強い浜言葉が道産子の郷愁を呼び起こす)
(一人が加えて引きちぎると、反動でほかの煎餅が跳ね上がる…)
(昼休み時間には父兄も参加して138周年の記念の人文字を作る)
(2) 小樽潮祭り練り込みに初参加 (7月30日)
この日のために全校生徒及び父兄が「夢量徳」の文字入りのTシャツを作りました。事前に山車用の看板を製作したり、踊りの練習にも励みました。そして本番の潮練りこみの審査では、見事審査員特別賞に輝きました。
(体育館で何度も練習しました)
(スタート地点のグリーンロードで全員そろって記念写真)
(花園アーケド街を進む)
(3) 学芸会 (10月16日)
通常の各学年による劇のほか、全校生徒による合唱、低学年によるハンドベル演奏、中高学年による楽器演奏も行われました。
(全校生徒130名による合唱)
(1-2年生によるハンドベルの演奏)
(4) PTA主催の運動会 (10月29日)
父兄が企画した体育館でのイベントです。前半は6年生が4月から進学することになる青園中学校のブラスバンド部の演奏会です。ディズニーキャラクターの衣装をまとったブラスバンド部のお兄さん、お姉さんたちが、ミッキーの歌をたくさん演奏してくれました。イベントの後半は、4チームに分かれて、縄跳び、スリッパ飛ばし、ボール競技を行いました。各チームそれぞれたくさんの景品をもらいました。
(各楽器の音色や名前の紹介もありました)
(子供たちはたくさんの景品をもらいました)
(5) 量徳祭りと授業の風景 (11月18日、11月下旬)
お祭りの縁日を、子供たち自身で考案し、手作りの作品を販売したり、手作りのゲームを楽しむのが量徳祭りです。会場は体育館で10数のブース(出店)に分かれ、子供たちが店主になったり、お客になったりするゲームです。何を売るか、どういうゲームにするかは子供たちが企画しました。
(このブースでは、和紙を折りたたんで色付けし、乾燥させて広げると、何とも言えない素敵な模様が出来上がります 折りたたみ方、色の配色で千差万別…)
(こちらは行列のできる店)
(最後は全員でジェンカ=フィンランドのダンスを踊って…)
(1年生の音楽の授業風景)
(5年生の図工の時間で、版画作り)
(6年生の授業風景 閉校事業記念誌の写真撮影があるということで、児童も緊張しているのかな?)
(3年生、この時間は自習時間で読書が割り当てられていました)
(2年生の授業の始まり 担任の先生から今日の注意事項が言い渡される)
(4年生は、理科の時間で、天体や星座の学習)
(注) 当初一回で書き終える予定でしたが、あれもこれも紹介したいという思いが強くなり、どうしても二回に分けざるを得なくなりました。次回は休み時間の児童たちをはじめ、閉校式典、卒業式典、そして最後に過去の記念誌から珍しい画像を紹介したいと思います。
量徳小学校は小樽市内で最も古い小学校で、明治6年に「小樽群郷学所」として開校しています。小樽教育発祥の地でもあります。そして明治11年には洋風2F建て校舎が落成し、開業式には、時の開拓使第3代長官黒田清隆が臨席しております。また明治13年に日本国内で三番目の鉄道(小樽手宮~札幌~幌内)が敷かれた際、その総指揮を執った米人技師ジョセフ・クロフォードの宿舎に量徳小学校が使われたといいます。
ともあれ、小樽の歴史とともに歩んできた量徳小学校も、児童数の減少による統廃合は逃れられませんでした。児童数は一時2000人を超えましたが、現在は130人にまで減少。新しい校区は、花園小学校と汐見台小学校の二つに分かれます。ここ1年を写真とともに振り返ってみたいと思います。
(1) 運動会 (5月28日)
内地では運動会というと、10月10日の体育の日を中心に秋に行われますが、北海道の場合は5月の末に行われます。理由はよくわかりませんが、寒からず、暑からず一番いい気候だからでしょうか。運動会の種目に「YOSAKOIソーラン」が含まれているのも小樽の学校の特色でしょうか。ここ数年の運動会については2011.6.5付け「小樽市立量徳小学校最後の運動会」に詳しく載せております。
(伊藤多喜男の歌声に乗ってYOSAKOIソーラン 訛の強い浜言葉が道産子の郷愁を呼び起こす)
(一人が加えて引きちぎると、反動でほかの煎餅が跳ね上がる…)
(昼休み時間には父兄も参加して138周年の記念の人文字を作る)
(2) 小樽潮祭り練り込みに初参加 (7月30日)
この日のために全校生徒及び父兄が「夢量徳」の文字入りのTシャツを作りました。事前に山車用の看板を製作したり、踊りの練習にも励みました。そして本番の潮練りこみの審査では、見事審査員特別賞に輝きました。
(体育館で何度も練習しました)
(スタート地点のグリーンロードで全員そろって記念写真)
(花園アーケド街を進む)
(3) 学芸会 (10月16日)
通常の各学年による劇のほか、全校生徒による合唱、低学年によるハンドベル演奏、中高学年による楽器演奏も行われました。
(全校生徒130名による合唱)
(1-2年生によるハンドベルの演奏)
(4) PTA主催の運動会 (10月29日)
父兄が企画した体育館でのイベントです。前半は6年生が4月から進学することになる青園中学校のブラスバンド部の演奏会です。ディズニーキャラクターの衣装をまとったブラスバンド部のお兄さん、お姉さんたちが、ミッキーの歌をたくさん演奏してくれました。イベントの後半は、4チームに分かれて、縄跳び、スリッパ飛ばし、ボール競技を行いました。各チームそれぞれたくさんの景品をもらいました。
(各楽器の音色や名前の紹介もありました)
(子供たちはたくさんの景品をもらいました)
(5) 量徳祭りと授業の風景 (11月18日、11月下旬)
お祭りの縁日を、子供たち自身で考案し、手作りの作品を販売したり、手作りのゲームを楽しむのが量徳祭りです。会場は体育館で10数のブース(出店)に分かれ、子供たちが店主になったり、お客になったりするゲームです。何を売るか、どういうゲームにするかは子供たちが企画しました。
(このブースでは、和紙を折りたたんで色付けし、乾燥させて広げると、何とも言えない素敵な模様が出来上がります 折りたたみ方、色の配色で千差万別…)
(こちらは行列のできる店)
(最後は全員でジェンカ=フィンランドのダンスを踊って…)
(1年生の音楽の授業風景)
(5年生の図工の時間で、版画作り)
(6年生の授業風景 閉校事業記念誌の写真撮影があるということで、児童も緊張しているのかな?)
(3年生、この時間は自習時間で読書が割り当てられていました)
(2年生の授業の始まり 担任の先生から今日の注意事項が言い渡される)
(4年生は、理科の時間で、天体や星座の学習)
(注) 当初一回で書き終える予定でしたが、あれもこれも紹介したいという思いが強くなり、どうしても二回に分けざるを得なくなりました。次回は休み時間の児童たちをはじめ、閉校式典、卒業式典、そして最後に過去の記念誌から珍しい画像を紹介したいと思います。