紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

故郷を離れて55年…

2017-04-19 06:00:00 | 日記

                    <苗植え直後の田園風景 交流会当日投影されたプロジェクターの画像>

 

4月16日(日曜)昼から、札幌在住者による、雨竜町出身者の交流会が、行われました。3年ぶりに出席してきました。雨竜中学校同期の友人が会長を務めており、同期に逢えるのを楽しみに出掛けたものの…同期生は私と当会会長の浅田君と二人のみ。う~ん、今年札幌で同期会が予定されているので、パスしたのかな。ともあれ大先輩方を含め40数名が、故郷の思い出等を大いに語り合いました。

雨竜町は、石狩川沿いの町で、札幌から約100㎞程北にあります。今は、人口2500人強の小さな町で、農業が主力、むしろ雨竜沼湿原のある町と言ったほうが知られているかもしれませんね。このブログでも雨竜町については、過去何度か撮り上げたこともあります。私はこの町で高校生の時代まで住んでおりました。雨竜を離れて、55年になりますが、やはり育った地は忘れがたく、いまだに夢を見ることもあります。

 

☆第48回札幌うりゅう会交流会(札幌第一ホテル)

雨竜会浅田会長の挨拶に続き、西野雨竜町長の祝辞、そして稲葉幹事から当会の諸報告がありました。


最前列中央右が会長、左が町長、中学校の音楽の大西先生も出席されておりました。

 


各テーブルで、むかし話で盛り上がりました。

 


宴が進んで、プロジェクターによる、雨竜町史や史跡、現在の取り組みなどが説明されました。

 

☆プロジェクターで、町の紹介


雨竜沼湿原に群生する水芭蕉。なお、水芭蕉は私の住んでいた役場の官舎裏の水田のあぜ道にもたくさん咲いておりました。

2013.8.6付け当ブログ「雨竜沼湿原に登る」 ←クリックすれば当該ブログにジャンプします。

 


雨竜沼湿原の池塘。大小さまざまな池塘があちこちにあって、隣同士の池塘の水位がが違っていることも…

 


雨竜村の開祖と言われる、四国の蜂須賀侯爵の農場跡地。明治22年に払い下げを受けて開拓されたのが雨竜町の基盤となった。

 


JR札沼線は、現在は札幌寄りの隣町の新十津川が、終点になっている。全線開通したのが昭和31年、そして昭和47年には新十津川~沼田間が廃止されました。今現在、当別町の北海医療学園大学~新十津川間の廃止問題が議論されています。(後ろの赤い倉庫が目立ちますが旧駅舎ではありません)

 


会の後半では、各自から集めた100円硬貨を巡って、じゃんけんによる争奪戦。

 


最後に勝ち残ったのはこのユニークなおじさん。全額4千数百円を、熊本地震災害に寄付されました。パチ、パチ…

 

交流会はあっという間の短い時間でしたが、とにかく愉快で、私が知らなかった雨竜町の一面を垣間見ることができました。