■ 「農業ファンド」は夢物語か ■
昨日は勢い余って「農業ファンド」なんて夢物語を書いてしまいましたが、はたして「農業ファンド」に現実性はあるのでしょうか?
「現在」を想定すれば、現実性は皆無です。
農地を買うにも法的制約があり過ぎますし、第一、農地の所有者が先祖伝来の土地を手放しません。それが例え山間の耕作放棄地であったとしても。
しかし、既存社会のシステムが根本的に崩壊するような事態が起きれば、状況は進展するはずです。
■ 食料の高騰がファンドを成立させる ■
ただ単に地方経済を貨幣経済から切り離すだけでは、「農業ファンド」の存在は脆弱です。
かりに地域内の労働対価を、お互いの労働供与で相殺したとしても、やはり貨幣に頼るケースは多く発生します。例えば、農業機械を購入したり、肥料を購入したり、ビニールハウスの暖房費はやはり「貨幣」によって支払われます。
ですから、「農業ファンド」は貨幣経済から切り離されると同時に、やはり貨幣経済の中でしか成り立ちません。
収穫の全てを現物支給してしまっては、ファンドは成立しませんから、ある程度の量は市場流通させなければなりません。しかし、現在の食料価格では多分ファンドは直ぐに経営が成り立たなくなるでしょう。
しかし、もし恐慌後の新しい社会で、世界の食料事情が激変していればどうでしょうか?現在日本は世界一安い食料を食べていると言っても過言ではありません。円がドルやユーロ、人民元やアジア通貨に対して高いので、1食298円の弁当でも十分満足する内容の食事が出来ます。
しかし、危機後の世界で「円の一人勝ち」はあり得ません。さらに、中国やインドや途上国の経済成長は、彼らの食料消費の増大を意味し、食料価格は世界的に高騰するでしょう。「弱い円」では市場で食料を買い負けるケースも多々発生します。
当然、国内食料価格も現在の水準よりも高騰し、農業は採算の取れるビジネスに変貌するでしょう。
■ 情報網の発達と流通の発達うが新たなモデルを生み出す ■
「現物支給型農業ファンド」の成立要因には、情報網の発達と流通の発達が不可欠です。
ただ単に農村を貨幣経済から切り離しただけでは、明治時代の農村に回帰するだけで「退化」でしかありません。
現代のインターネットと流通の発展があってこそ、農村と消費地をダイレクトに結びつける事が出来、広域での流通も可能になります。
さらには、インターネットによって「農村からの情報発信」や「コミニュケーション」も可能です。自分達が所有する作物の生育状況を日々確かめたり、家畜の餌を食む姿を眺めたりするのも楽しみの一つです。
■ ファンドの資産は農地と人材 ■
仮に現在、あるいは近い将来にある程度のまとまった資金をファンドが集めたとして、その資金を「貨幣」あるいは「預金」で管理していては、インフレが襲来すれば、その資金も目減りしてしまいます。
ですから、ファンドは集めた資金を価値の保全される資産に変える必要があります。
それは、農地と人材、そしてノウハウです。これは漁村でも同じ事が言えます。
農地は将来においてもある程度の価値は保全され、食料が高騰すれば価値が増大します。
人材は、「志と能力の高い失業者」を安価に集められる大失業時代が到来するかもしれません。
ノウハウは今後成長が予想されるアグリビジネスの会社の株が底値になった時に購入するという手も可能です。
■ 現在は成立しないファンド ■
農地の自由な売買が制限されている現在においては、ファンドの設立は不可能です。ファンドが農地を所有する事でしか、このファンドは成立しません。
さらに、都会で集金した税金を、地方にばら撒く事で政治家が利権を確保している現在、都会の人とカネがダイレクトに地域と結びつくファンドは、政治家にとって目の上のタンコブです。
更に、物々交換の社会では税収が上がりませんから、社会主義的大きな政府を目指す現在の民主党では、この様な大胆な社会構造の変革は肯定されません。
■ 社会保障費の負担を軽減するファンド ■
日本国家は将来増大する高齢者の、年金と生活を守る義務があります。
しかし、従来の制度では、いつまで経っても高齢者は、国家財政の負担でしかありません。
しかし、高齢者の持つ「富」を、国家という不効率な調整機関を介して地方に分配していては、都会と地方の格差は永続的に埋める事は不可能です。あらに、効率的な地方の発展は決して望めません。
「農業ファンド」が優れた経営者によって運営され、ファンドの出資者も生産者も積極的にファンドの運営に携われば、きっとファンドは国家よりも効率的に機能するでしょう。これは将来的な社会保障費の軽減にも繋がります。
■ 政治のビジョンが必要? ■
一口に「農業ファンド」と言っても、それが資産家達の資産運用の一形態ではそ、貧富の差を固定化するだけで、安定した存続は不可能です。
将来的な国家のシステムを含め、日本人の持てる英知を結集して、設立、運営に当たれば、成功するかもしれません。
しかし、競争原理や経営感覚を欠いてしまえば、かつてのコルホーズやソホーズ、国営農場の二番煎じになって、生産性の低下しか生み出しません。
日本の民主党、あるいは将来の政権が、「古い資本主義」にも「古い社会主義」にも縛られずに制度改革を行えば、新たな時代が開けるのかもしれません。
風邪気味なので、昨日に続いて、妄想が暴走してしまいました。