■ 既に日本は過疎地域のインフラを維持出来ない ■
前回の記事で、「通貨に換算されない価値」が地方に有ると書きましたが、それでも地方経済は衰退し続けています。
地方経済が衰退するのには理由が有ります。
地方は大都市圏に比べて密度が低く、労働生産性も高くは有りません。しかし、地方に分散したインフラ建設や維持に掛かるのコストは都市部と大して変わりません。
1日に車が100台しか通らない地方の高規格道路も、何万台が通過する首都高も土地収用コストを無視すれば建設コストも維持コストも大して変わりません。
結局、上下水道や送電設備を含め、地方のインフラのコストパフォーマンスは極めて低いのです。私は自転車で房総の山奥に行く事が多いのですが、県道ですらがけ崩れで半年以上通行止めが続いていたりします。亀山ダムには何十という橋が掛かっていますが、老朽化によって大型車両が通行出来ない橋も出て来ました。トンネル内部の老朽化も進んでいます。
この様に地方経済を維持するコストパフォーマンスは非常に低く、マイナス成長が常態化する今後の日本においては、限界集落から徐々に人が住めない場所が増えて来るでしょう。
■ 金融機関を通して地方のお金は東京や海外に流出する ■
地方経済が衰退する理由の一つに、金融機関の存在が有ります。税金は地方交付税という形で都市部から地方に再配分されますが、金融システムが発達した現在においては、資金は有効に地方で活用されずに、日本国債になったり、或いは他の投資に化けてしまいます。経済が停滞する地方よりも、都市部の方が投資収益は高く、又、海外の金融商品の方が収益性が勝ります。
農林中金などはアメリカのフレディーマックやファニーメイの発行した債券や、アメリカの地方自治体の債権を元にした金融商品をしこたま持っていたのではないかと記憶していますが(ちょっとアヤフヤ)、さらには農林中金が様々な海外債権や海外株式を組み込んだファンドを売り込んだりしています。
http://www.ja-asset.co.jp/fund/140822/pdf/pdfy140822.pdf
地方経済が低迷すればする程、金融機関を通して資金は流出して行きます。これは金融の正常な作用なので、一概には非難する事は出来ません。しかし、地方の人々の「得をしたい」という行動は、結果的には地方経済の活性を奪っています。
ノーベル経済学賞を受賞した「グラミン銀行」は貧困層がローンを利用出来る「マイクロファイナンス」というシステムを考案します。一人の債務者に対してて4人の共同債務者をグループ化する事で貸し倒れリスクを軽減し、これまでお金が借りれなかった途上国の貧困層でもお金を借りられる様にしたのです。
一見、素晴らしい試みですが、貧困層がお金を返せるハズが無く、結果的に共同債務者達からチビリ、チビリとお金を吸い上げる事となりました。これによって農村のコミュニテーが破壊されるケースの出ています。
この様に、本来、自給自足が成り立つ農村に、貨幣経済が浸透する事で、農村は豊になるどころかむしろ貧しくなります。
■ 気になる地銀の再編 ■
金融庁を地方銀行の再編を促しています。地方銀行の多くが経営基盤が脆弱で、運用ノウハウも高く無いので、日本国債運用に偏重した運用をしています。特に中長期の国債を多く保有しています。
今までは銀行が買い支えていた日本国債ですが、現在は日銀が買い支えています。多分、将来的に日本国債の金利が上昇すると多くの地方銀行が経営破綻の危機が生じるでしょう。この様な事を防ぐ為に、金融庁は地方銀行の国債保有を減らすと共に、地方銀行同士の合併によって経営体質の強化を図る様に指導しています。
地方銀行は地方に住む人達の預金を、地方経済に還元する働きを担っています。しかし、統廃合が進み、経営効率が優先される様になれば、収益率の低い地方経済よりも、海外投資を選択する銀行も現れるはずです。
例えば、リスクを取らないで米国債投資をした方が、地域の企業に貸し出すよりも確実に儲かるならば、米国債投資を選択する様になるかも知れません。
■ アメリカの地銀の寄せ集めがバンクオブアメリカに成長した ■
実は日本の先んじて地銀の統合が起きたのがアメリカです。バンクオブアメリカは一地方銀行に過ぎませんでしたが、積極的な買収戦略で地方銀行をどんどん吸収して巨大銀行に成長しました。
田舎の街で細々と運用されていた資金は、バンクオブアメリカを通して世界市場で運用される様になったのです。
ところが、巨大銀行になったバンクオブアメリカはMBSの損失は莫大に抱えたメリルリンチを押し付けられ、さらにはメリルリンチが組成したMBSを巡って莫大な損害賠償金まで支払うハメになりました。アメリカ国民がせっせと働いて溜めたお金を、金融資本家達がガッポリと横取りしてしまたのです。
日本の地方銀行で同じ事が起こらないとも限りません。地銀の統合が加速して、「大きくなければ生き残れない」なんてブームになって、3つか4つの銀行に統合されたとします。この巨大な資金を金融資本家が指を咥えて見ているとは思えません。
こうして、日本国民の税金によって地方経済に還元されたお金は、金融機関を通して、地域から東京へ、そして世界(アメリカ)へと流出してしまうのでしょう。
■ 財政破綻すれば地方の魅力は高まる ■
いろいろと、困難が待ち受ける地方ですが、私は地方がダメだとは思っていません。
例えば仮に日本が財政破綻して公共のサービスの質が低下したとします。年金難民、生活保護難民が数百万規模で発生した場合、都会で70歳以上の老人が安い年金で暮らす事は不可能です。
しかし、農村ではそれが可能です。現在でも農村の老人は、自給自足に近い生活が可能ですが、年金を貰える様になってから老人が畑に出て来ないと田舎の人が言っていました。要は、今でも農村は自給自足社会も戻る事が出来るのです。
戦後、多くの人達が都会から農村に買い出しに出かけました。戦後、日本の食糧生産が減少したとの記述は多いのですが、実は運搬手段が寸断された為、農村には作物が余っていたのです。
私は財政破綻などという極端なバッドケースまで想定した場合は、地方の魅力は決して低くは無いと思っています。
■ 行政は地方の最低限のインフラ整備に専念すべき ■
「地方再生」の掛け声の元、巨額な国費が地方にばら撒かれ様としています。統一地方選挙を控え、自民党のバラマキは拡大するでしょう。
一方で、国の補助金で作られた施設のほとんどが赤字経営で、むしろ地方の財政を圧迫しています。張り巡らされた高規格道路も、いずれはメンテナンス費用で赤字の山を築きます。そのしわ寄せは、生活道路のメンテナンスなどに現れます。
山間部の道の多くは、急な斜面をコンクリートで固めて作られています。近年、コンクリートの劣化で、斜面の崩落が多く発生しています。路盤毎崩落するケースも有り、この様な場所の復旧には時間とコストが掛かります。
今後、戦後に作られた山間部の道路は次々と老朽化して行くので、段々とメンテナンスコストが建設予算に占める割合のほとんどを占める様になります。
■ 確かに「今のうちに」という考え方は合理的かも知れない・・・ ■
将来的な財政破綻を考えれば、「作れる今の内に整備してしまおう!!」という考え方にも合理性が有ります。ただ、その場合は優先順位の高い物から更新すべきで、不要な物を作るべきでは有りません。
新しいプロジェクトは政治家の実績になります。一方、メンテナンスは国交省の役人が粛々と仕事を進めれば滞りなく進んで行きます。
高度成長期には地方のインフラ整備は経済に貢献しました。政治家の利益誘導もある程度の合理性が有りました。しかし、メンテナンスが主流になるこれからの日本においては、政治的介入は合理的な予算の再配分の妨げにこそなり、利する事は有りません。
少子高齢化によって縮小して行く日本に不要なのは、実は政治家達なのかも知れません。成長によって隠されていた民主主義の不効率性が、今後日本の社会や経済を蝕んで行くでしょう。
実は日本人の本当の敵は、「見せかけの民主主義」そのものなのかも知れません。
本日は妄想にもならないタワゴトを垂れ流してしまいました。地方にお住まいの方は、「とんでも無い」と思っていらっしゃる事でしょう。尤も、私はどうにかして地方に移住出来無ないかと妄想する毎日です。