■ マスコミが報道しなければ「認識」されない不思議 ■
今回の安保法制ですが、集団的自衛権が憲法違反であると憲法学者達が騒ぎ出してから、マスコミも世間も安保法案に反対の姿勢を強めています。
しかし、昨年末の衆議院選挙の前には安倍内閣は「集団的自衛権は憲法解釈上認められる」との閣議決定をしており、自民党は安保法制の整備を選挙公約に掲げていました。
国民が集団的自衛権に対してジャッジすべきタイミングは、まさに閣議決定後の昨年の衆議院選挙だったはずです。
しかし、マスコミはこの問題が争点になる事を避けていましたし、野党も追求はしたもののいつもながらの抽象的な論争しかしていません。当然、国民は「集団的自衛権」が選挙の争点で有るとは考えていませんでした。マスコミがキャンペーンを張らない限り、選挙の争点を自分達で見つける事すら出来ないのです。
現在、多くの国民がマスコミを「マスゴミ」としてバカにしています。しかし、バカにしている自分達が、依然としてマスコミの報道にコントロールされている事に気付きません。
■ 山本太郎という分かり易いガス抜き ■
ネットでは山本太郎議員の国家での安倍首相との論戦が話題になっています。アメリカの戦争犯罪を列挙して、その様な国と軍事行動を共にする事が日本の法律上許されるのかを鋭く追及しています。
一見、スカット胸のつかえが取れる様な国会質疑ですが、問題は彼の質疑が安保法案の成立の行方を全く左右するものでは無いと言う事です。既に衆議院で3/2以上の安定多数を与党が獲得した時点で勝負は付いているのです。
尤も、従来の野党議員は「アメリカの戦争犯罪を国会で具体的に追求する様な事」を避けて来ました。彼らの常識が有りますから、自分の政治生命を秤に掛けるからです。
山本太郎議員にあの様な国会質疑をさせているのは日本の左翼勢力かと思われますが、山本議員は上手に与えられた役割を演じています。彼の暴露した内容は、ネットなどで情報収集すれば容易に調べられる事ですから、今更国家の場で暴露されても政府のアメリカも痛くもかゆくもありません。
一方で安保法案があまりにもスルスルと国会を通過してしまっては、「民主主義のリアリティー」が薄れる恐れが有ります。
ですから、国民のガス抜きと民主主義のリアリティーを担保する為に山本太郎という存在を必要とするのでしょう。
メディアもここに来て安保法制に反対する姿勢を見せ始めましたが、本当に彼らが反対のキャンペーンを張るならば、衆議院選挙に合わせたはずで、始めから反対する気など微塵も有りません。ただ、「社会の正義」というポーズを付けるアリバイ工作を今になってしているだけです。
■ リアリティーを欠いた議論に意味は無い ■
「戦争を根絶しよう」「原発を停止しよう」「アベノミクスで日本を復活させよう」
この様な意見は「理念」としては立派だと思います。一方で、往々にしてこの様に主張される方の話には「リアリティー」が欠如しています。
「どうしたら戦争は防げるのか?」「誰が現存する原発の廃炉費用を負担するのか」「異次元緩和にもかかわらずGDPがマイナスになるのか何故か」
この様な現実的な検討を放棄し「理念」や「理想」を負い続けた戦後の日本人の多くが、「現実的に考える能力」を失ってしまいました。
私達は中国共産党の機関紙の人民日報を「御用新聞」だと笑いますが、中国人は「人民日報」などはなから信用していません。騙された振りはしますが、本当に騙される事は有りません。その意味において中国人や韓国人のメディアリテラシーは日本人よりも進んでいます。
日本人もさすがにメディアを盲信する事は無くなりましたが、実は「左巻き」の誘導に簡単に騙される傾向が有ります。私達が注意すべきは実は「左巻き」の誘導で、これを上手にコントロールする事で朝日新聞を始めとするメディアは戦後日本人をコントロールしてきました。
日教組は「反核」や「反戦」を子供達に刷り込んで来ましたが、アメリカを始めとする欧米諸国が最も恐れるのは、日本の核軍備であり、軍拡によって日本が西側諸国に対抗する事です。
私も含め「日本はアメリカの殖民地だ」と主張する人は多く居ますが、実はそれを素直に認め、その現実の中で日本がどうあるべきかを真剣に考える事がこれからの日本には重要になるのでは無いでしょうか。そして、安倍首相を始めとする大物政治家や官僚達は、日々葛藤の中で日本の将来を掴みとろうと模索していると・・・信じたい。