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『鬼滅の刃』・・・「正しい」が評価されない時代に

2020-11-04 05:38:00 | アニメ
 


『鬼滅の刃』より

■ 『鬼滅の刃』は腐女子マンガだよね ■

『鬼滅の刃』を評論して欲しいというコメントや拍手コメント(非表示)を頂いているのですが、「オニメツノハ」だと思い込んでいた私如きが、はたして評論して良いのか・・・。

私、本屋さんに並ぶ原作単行本にも、アニメにも、全く食指が動きませんでした・・・。だって、これ「腐女子マンガ」だよね。原作者は絶対に女性。

原作者の「吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)」の性別は明らかにされてはいませんが、文春が編集者から「女性」だと聞き出した様です。

「弱い主人公が努力と仲間と力を合わせてで強大な敵と戦う」というジャンプ的ビルドゥング・ロマン(自己形成の物語)は、物語の骨格が強いので、様々なアレンジが可能です。典型が『ジョジョの奇妙な冒険』。『鬼滅の刃』も週刊少年ジャンプらしい、王道ビルドゥング・ロマンです。

一方、この作品が『ジャンプ』の作品群の中では特異なのは、「優しさ」や「弱さ」が前面に押し出されている事。主人公の竈門炭治郎(かまど たんじろう)のは決して「俺様最強」って感じのキャラでは有りません。むしろ、弱くて腐女子達の「保護欲」を刺激するタイプ。

これは炭治郎の仲間の我妻善逸(あがつま ぜんいつ)も、嘴平伊之助(はしびら いのすけ)も同様で、3人ソロって頼りない。だけど、腐女子的には「そこがカワイイ」。この3人をどう絡めよううか(腐女子的な妄想)、色々とムフフしちゃう訳です。

善逸は弱気キャラだけど、やれば出来る子だし、伊之助は痩せマッチョの上半身むき出しでイノシシの仮面の下は美形男子・・・・もう、これ、狙ってやってるとしか思えません。

さらに、ヒロインの竈門禰󠄀豆子(かまど ねずこ)が炭治郎の実の妹だから、主人公をヒロインに奪われる事は有りません。腐女子の皆さまは、安心してこの作品を堪能する事が出来ます。そして、主人公に大事に守られているネズコちゃんに自分を投影して主人公の愛を独占する事も可能!!

今の時代、『週刊少年ジャンプ』の読者に占める女性の割合は高い。そして『ジョジョ』や『銀魂』は一定数の腐女子ファンを生み出して来ました。だから『鬼滅の刃』に最初に飛び付いたのは、そんな腐女子の方々だったと私は妄想しています。

■ 「正しさ」や「努力」が評価されない時代だからこそ ■

仮に腐女子の熱烈な支持がヒットの下地を作ったとして(連載中止を阻止出来ます)、国民的作品になる程の魅力が、この物語の何処にあるのでしょう?

実は私はヘソ曲がりなので、この作品が苦手です・・。アニメ版の後半は観るのも辛い。何故ならば、主人公達が「真っすぐ」過ぎて、眩しくて見ていられない・・・。

「能力主義」の現代の時代、マンガやアニメの主人公も「チート・キャラ」が幅を利かせています。「俺 tueee」的キャラに代表される様に、絶対的なスペックが元々高いキャラクターが多い。

生まれながらに金銭的に余裕があって、幼少の頃から塾に通って、市立の小学校から大学まで進んで、そこそこの成績で一流企業に就職。これが現代の「勝組」。多くの若者達は、この様な勝ち組を嫌いながらも、フィクション(夢)の中では、「勝組の立場」に同調してしまいます。そう、夢の中ぐらいは「無双」したいのです。

これに対して『鬼滅』の主人公の炭治郎は、「弱く」「普通」で「貧乏」。ただ、彼はあくまでも「真っすぐ」でネズコちゃんの為なら「努力」を惜しまない。(父との関係から隠れた才能は有りそうですが)。これ、本来、少年漫画の主人公が持っていた「属性」ですが、いつの頃からか「インスタントな高スペック」キャラに主役の座を奪われていた。

『鬼滅』が腐女子のみならず、普通の男子、そして今では多くの国民に支持されるのは、「普通の人の努力がキチンと報われる物語」だから、そして「正しい事を、正しい事だと真っすぐに語る物語」
だからだと私は妄想しています。

本当は評価されたい「普通の人」が、この物語の最大の支持者なのでしょう。

■ 理解出来る敵と、根本的な悪 ■

炭治郎達が倒すのは「鬼」です。元は人ですが「鬼」にされてしまった存在。

非情な鬼も多いのですが、複雑な事情を抱えた鬼も居る。「鬼には鬼の事情」がきちんと有るのです。「敵の事情」をきちんと書き込む事は日本の漫画の基本なので、特筆すべき事では有りませんが、炭治郎はそんな鬼たちに「優しい」。

この「優しさ」も、現代を生きる私達が飢えている感情では無いか。不本意な人生を歩み、日々、誰かや自分を騙す様にして生活のお金を稼ぐ私達は「鬼」に身をやつしているとも言えます。そんな私達が求めているのは「君はそのままで良いんだよ」という「優しさ」では無いか。

一方で本当の敵は読者の対峙する「社会」に相当する。理由など無く、ただ自分や廻りの人々を苦しめる存在。圧倒的な力で、自分の存在を否定するモノ。

少年漫画の構造では「普通」ですが、この作品はキチンとそれを踏襲しています。

■ 「変なキャラクター」 ■

ここまで書いて来て、私には『鬼滅の刃』の魅力の本質がまだ掴めていません。何故なら、同様の傾向の作品は、現代の少年マンガには少なくないからです。では何故『鬼滅の刃』はこれ程までに支持されるのか・・・。

それはキャラクターが「変」だからでは無いか・・・・。

この作品のキャラ、「頭身が変」だよね・・・。頭が大きい。そういえば造形も丸味を帯びています。・・・これ、「縫いぐるみ」的な造形。だから「キャラがカワイイ」。

少年漫画ではこの様なデザインのキャラは受けない。だから、私は本屋で最初に表紙を見た時に「女子作家」だな・・・と確信した。

さらに、「鬼殺隊」の多くの隊員も「変なキャラ」が多い。これ「キャラ立ちが強い」と言うよりも、どこか「ズレている」。

『ONE PIECE』などもオフビート感の有るキャラが多いが、むしろ『銀魂』的な「残念感」の強いキャラに近い。こういうのって腐女子って好きだよね。

『鬼滅の刃』が多くの人に支持されるのは、キャラクターの「残念感」が作り出す「安心感」では無いのか。「圧倒的な力を誇る鬼殺隊の剣士も実は残念なヤツだった」・・・これで読者とキャラの距離は一気に縮まります。

「私〇〇のこういう所好き~」という「残念ポイント」が各キャラにそれぞれ準備されている。この一種に「緩さ」が、『鬼滅の刃』の最大の魅力なのかも知れません。



今回は、私自身は全くハマっていな『鬼滅の刃』の評論に挑戦してみました。「全然違うだろう!!」という御叱りはコメント欄まで!!