■ にわかに脚光を浴びるインフレ税 ■
昨年8月のジャクソンホール会議(カンサスシティー連銀主催の経済会議)で講演以来、プリンストン大学のクリストファ・シムズ教授が日経新聞などのメディアに登場する事が多くなりました。
彼の主張は「政府債務の一部を増税ではなくインフレで相殺すると宣言し、金融緩和に加えて財政拡大で人々のインフレ期待に働き掛けることが重要だ」というものです。
1)ゼロ金利下では金融緩和は機能しない(リフレ論は有効でない)
2)金利が低いのでリスクの低い国債の魅力が相対的に高まる
3)資金が国債に集まるので景気が活性化しない
4)財政を積極的に拡大して、将来的に「財政インフレ」が発生すると予測させる
5)将来的なインフレを予測して物価が上昇し始める
6)大きすぎる債務残高を増税でファイナンスすると景気を後退させてしまう
7)将来的なインフレによって実質債務を圧縮する事ができる(インフレ税)
8)金融緩和も継続的に行い、インフレが発生し易くする
9)インフレのコントロールは政策金利や中央銀行のバランスシートの拡大で可能
10)日本で心配すべきは財政を積極的に拡大してもインフレマインドが発生しない事
・・・うーん、何やら日本を舞台に再び経済実験が始まる予感が・・・。
■ 物価水準の財政理論(FTPL)とは? ■
シムズ教授の主張は「物価水準の財政理論(FTPL=The fiscal theory of the price level)」は1990年代から主張されているもので新しいものではありません。
様々な解説がされていますが、私は下の解説が分かりやすかった。
http://anond.hatelabo.jp/20161116045208 より引用
<引用開始>
『物価水準の財政理論』というのはその名前がミスリードなもので、基本的には「まともな経済なら、現在の政府債務の実質価値は、将来にわたる実質の基礎的財政黒字とインフレ税の合計を実質利子率で割り引いた現在価値に等しくなっている」という予算制約式でしかない。ここに、将来までの金利や基礎的財政黒字などはある固定値であるといった追加的な仮定を入れると、政府債務の実質価値が一定となるため、政府債務の量と物価水準が比例的関係を持つようになるのでまさに『物価水準の財政理論』という感じになるが、別に将来の金利や基礎的財政黒字などは固定値となる理由はない。固定値どころか、政府債務の量と無関係に外生的に決まる(たとえば政府が財政支出を減らしたり、税金を引き上げたりして、財政赤字に対処しない)という保証すらない。実際にはこの制約式から言えるのは、ある政府債務の下、現在および将来想定される金利政策、税制策、支出政策の組み合わせが決まれば物価水準が決まるということである。たとえば一定の金利政策の下で、政府が基礎的財政赤字を早く削減しようとすれば、名目債務が増加しても制約式を満たす物価水準は下落となるケースも考えることが出来る。
ここで、流動性の罠の下では金利政策、税制策、支出政策のうち金利政策は流動性の罠が続く当面の期間においてゼロで固定値となるため重要度が下がり、残りの財政面の現在および将来のパスが物価水準に主体的な影響力を持つ。ただし、流動性の罠にない場合には財政面はその決定的な影響力を失い金利政策との兼ね合いとなってしまう。そして現実的な増減の範囲では財政面より金利政策の方が物価水準に与える影響が大きい(小さな金利政策の変化の影響を打ち消すのにさえ大きな財政面の変化が必要になる)。その結果、流動性の罠にあるときには財政面から物価水準を考えるのが正しくても、それを流動性の罠にないときにまでそのまま伸ばせない。
また、財政面が効果を持つのは現在の政策のみならず将来のパスも含めてであり、いま財政を拡張的にしてもその分だけ将来に緊縮が行われると思われてしまうと物価水準への影響力も失われてしまう。流動性の罠にある間は財政拡張を続けることへのコミットに加え、流動性の罠から抜け出したあとには財政は通常時のルールへの復帰にとどめそれまでの拡張による債務の増加分を取り戻そうとはしないことへもコミットすることが重要になる
<引用終わり>
政府債務評価方程式 The government debt valuation equationを根拠にしているらしい。
M=マネタリーベース(日銀の借金)
B=政府債務
P=価格
であるので、式の右辺は「統合政府の借金の実質値」となります。この式自体は、政府の借金の実質値を中央銀行と物価も含めて正確に評価する式となります。
左辺は積分の式ですが・・・
E=条件付き期待値
R=政府債務の実質利回り
s=プライマリーバランスの黒字
本来、Rの実質金利は経済状況によって変化しますが、ゼロ金利が続く状況でゼロに固定する事ができます。私の解釈としてはゼロ金利の元では左辺は定数Aとして扱えると解釈します。
これを価格Pについて解くと・・・
P=(M+B)/A となります。
要は、物価はマネタリーベースと政府債務の大きさで決まるという事になる。
要は、金融緩和をしながら緊縮財政を行ったのではゼロ金利の元ではインフレは発生しない・・・という何だか当たり前な事を言っている・・・。
■ 「金融緩和 + 財政拡大」を主張した三橋氏らの主張と何が違うのか? ■
シムズ教授らのFTPL論ですが、私にあは「金融緩和と財政拡大でとっととデフレを脱却しろ」という三橋貴明氏らの主張と同じに見えます。
ただし、シムズ教授の主張が三橋氏らと根本的に違うのは、彼の目的が「政府債務はインフレで相殺する」という点にある事。彼はインフレが良いとは必ずしも言ってはおらす、「デフレ時よりインフレ時の方が好景気である事が多い」程度の認識しか示していません。
これ、当たり前の様に聞き流してしまいますが「景気縮小時にのインフレが発生する=悪性インフレ=スタグフレーション」の存在をさらりと無視しています。(多分意図的に)
要はシムズ教授は「インフレを使って債務を圧縮するインフレ税の方法」を解説しているのであって、景気回復の方法を語ってはいません。
ここら辺が三橋氏や上念氏らとの大きな違いでしょう。
■ 実質金利がゼロに固定される=金融抑圧政策 ■
インフレ税で債務が圧縮される条件として、マネタリーベースや財政が拡大しても金利が上昇しない事が重要になります。要は上限金利を設定したり、現在の日銀の様に10年債までの金利をゼロに固定する様な政策が不可欠になります。
この様に経済状況に関わらず金利の上限を固定する政策を「金融抑圧」と呼びます。
第二次世界大戦の莫大な政府債務はアメリカは上限金利の固定と、戦後復興の旺盛な消費によるインフレで短期間に圧縮しました。
イギリスはアメリカ程成長率が高く無かったので、十数年を掛けて金融抑圧によって政府債務を圧縮しました。
日本は戦後の物資不足による高率のインフレに、預金封鎖と新円発行という合わせ技で一気に債務を圧縮しました。
「債務圧縮」と書くと悪い事では無いように思えますが、片側には国民の資産があって、インフレによる資産の目減りが債務圧縮の財源となっています。
インフレ率に対して国民の金利収益が正当に払われ無い事で、政府が国民の資産を税金と同様に没収しているのです。これを「インフレ税」といいます。
■ リフレ論とFTPL論は多分セットで準備されていた ■
私はリフレ論とFTPL論はセットで準備されていたと妄想しています。
1)リフレ政策によって金利水準を極端に低下させる
2)金利操作付きの異次元緩和によって10年債金利までをゼロにペッグする
この1)と2)のプロセスを抜いて財政拡大を行った場合、財政破綻が意識されて国債金利が上昇してしまいます。ですから、FTPL論の主張する財政拡大の下準備としてリフレ政策が実行されたのでは無いか?
ほぼ安定的なゼロ金利が実現した処で、にわかにジャクソンホール会議でシムズ教授が登場し、日本に対して政策提言を始めた感が強い。
■ ポピュリズムの結果、結局は「インフレ税」を払う国民 ■
仮にシムズ教授の説が正しいとしても、国民は「インフレ税」を支払い、国家は「実質債務が圧縮」できます。結局は国民が損をする。
「インフレ税」のタチの悪いのは、国家などの承認が不要な点です。一般的な「増税」であれは国会決議が必要となりますが、これには国民の反発が強いはずです。
ところが、「政府が財政を拡大すると結果的に政府の実質債務が減りますよ」という免罪符があれば、国民は財政拡大を容認し、自分達の利益を優先します。これこそ「ポピュリズム」の典型です。
しかし、国民は徳する事は無く、インフレによってより多くの負担を強いられる事になります。
■ 「世代間格差の解消」という公平性において私はインフレ税を支持します ■
「人力さんはインフレ税に反対ですか」と聞かれたら、私は「インフレ税に賛成です」と答えます。
もともと私は「ガラガラポン」支持者ですから、それが緩慢に進行するインフレ税には反対ではありません。
現在の日本において最大の問題は「資産が高齢者に偏っていて、国と高齢者の間でお金がキャッチノールされる」事。インフレ税は貯金などの資産に効果的に掛かる税なので、将来的な増税で若者や子供世代に負担させるよりは公平性が高い。
■ 所得の再分配の為の財政拡大で、アメリカに上納する事無かれ・・・ ■
問題は、財政拡大による支出の行先です。つまらないバラマキに使ったり、箱物を作ったり、ましてやアメリカに上納されてしまうのでは本末転倒です。
■ ハイパーインフレは起きない?のか・・・・ ■
FTPL論は1990年代からありますが、実行に移されなかったのは国債金利のコントロールができなくなる恐れがあるから。
では現在の様にゼロ金利が実現している場合は安心なのでしょうか?
問題はFTPL論が目的にしているインフレ率にあります。現在の日銀のインフレ目標は2%ですが、これは為替変動や原油価格によっては達成可能な目標ともいえます。そうなると、異次元緩和を継続する口実が失われ、日銀がテーパリングに入らざるを得なくなります。その時点で財政拡大に舵を切っていたとしたら・・・国債金利は急上昇します。
シムズ教授は、「インフレ率の抑制は政策金利を上げたり、日銀の資産売却で可能」と主張しますが、悪い金利上昇が始まった場合、日銀が資産である日本国債を売却したら国債金利の上昇に歯止めが掛からなくなります。その様な状況で政策金利を上げたら、日本経済が崩壊し、結局「ガラガラポン」が始まります。
これ、結局は「急激なインフレの実現」なので、FTPL論が目指す「インフレによる実質債務の圧縮」が一瞬で達成されます。ただい、国民の生活は大きく破壊されますが・・・。
リフレ論者もFTPL論者も結局は「国民の為」なんて事は爪の先程も考えていないのでしょう。