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静岡のお茶と清水港の歴史 その五 開場港までの清水港 (オマケはJR清水駅 みなと口 ヒトツバタゴの木)

2021-06-07 12:34:59 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年6月7日の月曜日です   

静岡県中部の清水市(現静岡市清水区)は港やサッカーで有名です。

4月、清水駅東側(みなと口)には白い花が咲いていました。

午後撮影で駅舎や車両が暗くなりましたが、明と暗でイイかと勝手に思っておりますが・

「ナンジャモンジャの木」と呼ばれることもあります。

県内ニュースでは静岡市城北公園に咲く様子が放映されました。

(写真ACよりDL) 日本平からの清水と富士山   風光明媚。

1993年 「地図・空中写真閲覧サービス」より 清水港ほぼ全景。

日本一深い駿河湾(水深2550ⅿ)に面し、静岡県のほぼ真ん中に位置します。

三保半島がが防波堤のように港を守っているため、波が穏やかで美しい港です。

平成28年の輸出額は1兆7475億円  もちろん静岡県で一番、全国では7位にランクされております。

(フェルケール博物館展示)  清水は昔「江尻」とよばれていました。

清水港の歴史は、遠く西暦600年代(飛鳥時代)にまでさかのぼり、日本書紀によれば、斉明天皇の頃

百済援助の軍船が清水港周辺で造られ、多くの軍兵が出発したと推測される記録があります。

平安時代には避難港として、戦国時代には武将たちの戦略の要衝としての役割を果たしました。

文亀元年(1501)に今川氏が駿府に本拠を置いてからは、清水は砦としてその水軍が管理しました。

その後、武田信玄が浜清水に袋城を築き、軍事基地として軍船を建造しました。

慶長10年(1605)、徳川家康は軍事上、海上交通の要衝と考え、袋城を埋めて港町を作りました。

港の中心は巴川岸に移り、江戸、大坂をはじめ東海各地との物資輸送の中継基地・清水湊として多くの廻船でにぎわい発展。

(2019年 清水七夕まつり)

明治11年、明治新政時代を迎え、清水波止場がつくられました。明治29年開港外貿易港指定

明治32年(1899)、開場港に指定され、清水港は国際貿易港として記念すべき近代化の一歩を踏み出しました。

2年前の2019年には「開港120年祭」が開かれ、さぞ盛り上がったことでしょう。

しかし、私は全然記憶にございません。なんで行かなかったのだろう(七夕まつりは行ってたが)残念   つづく。  

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