ポニーさんの街ブラと撮り鉄 「ポニ夢中」 (ぬる鉄紀行)

ご覧いただき、フォローいただきありがとうございます。

静岡のお茶と清水港の歴史 その二十五 静岡市内線 (昭和30年代 才取りの物語り)

2021-07-10 15:06:55 | 静岡の歴史、お茶、廃線

こんにちは  2021年7月10日の土曜日です。

今日は静岡に行きましたが暑かったですね、帰宅後ニュース観たら36℃とか言っていました・・納得です。

表紙は茶町通りを走る静岡市内線の路面電車。 茶町通り入口にある案内板のアップです

昭和12年ころだそうです。

(フェルケール博物館展示)  静岡市内線が走っていた時代も外国商会は存在していたのだろうか。

現在の茶町通り  和菓子屋さんやお茶スイーツの人気店もあります。

お茶屋さんはもちろんですが自転車屋さんも多く見られた。

茶町通り入口の案内板   赤がお茶屋 青が才取 橙が茶道具店

「才取り」は生産地の問屋とつながって、静岡市内の問屋や貿易商に茶を仲介する業者のことで

茶の品質を見分ける感覚や取引をおこなうための判断力も要求されました。

新茶の季節には何十台の自転車が茶問屋街を疾走していたようで

自転車屋が多いのもうなずける気がします。

(写真はイメージです)

静岡駅前には何十台もの自転車(新橋号と呼ばれていたような)が並び、才取りは荷主の着くのを待っていました。

同じ見本茶が数人に手渡されるので、取引をものにしようとする才取り間での競争は激しく

茶町周辺の問屋まで自転車をとばし、1秒でも早くとびこんだ者に取引交渉の優先権が与えられたようです。

昭和30年代は問屋(再製業者含む)が160件、才取りは最盛期には50人ほどいたとのこと。

そろばんが鳴り、大きな掛け声と疾走する自転車  一番活気のあった時代と思われます。

(JR清水駅改札前)

JR清水駅江尻口からバスで10分弱  フェルケール博物館では7月10日から企画展

「しずおか自転車ものがたり」が開かれます。徳川慶喜(先日のテレビ番組で見てしまった)から才取り、

オリンピック関連まで幅広く。  とても楽しみです。(今日行ってきました)

「いいね!」ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 静岡のお茶と清水港の歴史 ... | トップ | 静岡鉄道 トコ1展示、10... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

静岡の歴史、お茶、廃線」カテゴリの最新記事