途中休憩なしの3時間15分。とんでもない大作である。そして前2作と同じように基本的にはモノローグ劇で、主人公の打上花火が全編出ずっぱりになるのは、彼女の内面の物語として作られてあるからだ。極端な言い方をすれば曼珠沙華も含めて全員がコロスのようになっているのだ。
「マクベス」を劇中劇も含めてベースとして使ったり、ゴトーが出てきたりと様々なテキストの引用、濫用もあるが、それらはひとりの女性の魂の . . . 本文を読む
第一夜の『明月記』が、ひとりの女の内奥を描いたように、この作品は、同じようにひとりの男の内なる孤独を、思いきり、みみっちく情けない姿のまま、さらして見せてくれる作品になっている。
この2本の芝居は、まるで合わせ鏡のようになっており、2本がそれぞれ、男と女を通して人間というものの姿を見せようとする。別々の2本の芝居がひとつになることで、人の営みの全容を示してみせるということだ。全体の構成も作り . . . 本文を読む
分かっていたことだけど、とてつもなくバカバカしく、無意味でナンセンス。青木さんは東京に行っても少しも変わりなく、おバカをしておられて、うれしい。思いっきりの筋金入りバカだと思う。こういうネタを使いながら、ここまでどうでもいい芝居にしてるのに、面白いというのはどういうことだろう?才能というのは恐ろしい。
ストーリーを追いかけていくタイプの芝居ではない。もちろんコントのようなものでもない。ただ笑 . . . 本文を読む
僕にとって高林陽一監督は、映画というものの本当の面白さを教えてくださった神さまのような存在だ。
『本陣殺人事件』からスタートする彼の商業映画のキァリアと同時に、彼の映画を見始めた。その後、全ての映画をリアルタイムで見続け、同時に初期の個人映画もすべて追いかけた。70年代から80年代にかけて彼と、彼の盟友でもある大林宣彦は僕にとって、まさに映画そのものであったのだ。
これは16年振りの高林 . . . 本文を読む