大好きだったジム・ジャームッシュの久々の新作である。これを見ないわけにはいかない。だが、前作『ブロークン・フラワーズ』同様なんとも気の抜けた映画で、やはり彼はもう過去の人なのか、と思うしかない。あれほど僕たちを興奮させたそっけないスタイルが形骸化し、空虚なだけだ。これには驚くしかない。時代が変わったのに、彼ひとりが変わらないからなのか。でも、そんな頑固さが魅力になることも可能だろうが、そうはいか . . . 本文を読む
これを作るにあたっての覚悟。それは並大抵のものではあるまい。大阪での前作『チャンソ』を見たとき、とうとう彼はここまで自由に自分を語れるようになったのか、と感動した。金哲義さんがこれを描くための助走は終わったのだ。時機はきた。だから、彼はこれに挑む。
もちろん簡単なことではない。生半可なことでは描けない。そんなこと、彼自身が十二分に理解している。前作が井筒和幸『パッチギ』と比較しても負けてない . . . 本文を読む
余談だが、僕がこの芝居を見た日の観客に、とあるひとりの老人がいた。彼は初めて何も知らずに友人に誘われるままこの態変の公演を見に来たようだ。そして、あまりの強烈さに耐えきれず、劇場を中座したらしい。彼の混乱ぶりから、改めて身体障害者による表現は演劇にとって武器でもあるが、観客にとっての凶器にもなるということを思い知らされる。
途中の休憩時間に戻ってきた彼は、舞台監督の塚本さんを捕まえて「痛まし . . . 本文を読む
今週は在日朝鮮人作家による2作品が上演されている。この2本は偶然だろうが、いずれも自分の父親世代の歴史を背景にした大河ドラマである。朝鮮、そして日本を舞台にして自分たちの生きる権利を勝ち取るための壮絶な闘いが描かれていく。それはイデオロギーを描くメッセージ色の濃厚なプロパガンタなんかではない。これは日本人だとか、朝鮮人だとかいう垣根を超えて、人間として生きていくための闘争だ。
態変はそれを自 . . . 本文を読む