今週は在日朝鮮人作家による2作品が上演されている。この2本は偶然だろうが、いずれも自分の父親世代の歴史を背景にした大河ドラマである。朝鮮、そして日本を舞台にして自分たちの生きる権利を勝ち取るための壮絶な闘いが描かれていく。それはイデオロギーを描くメッセージ色の濃厚なプロパガンタなんかではない。これは日本人だとか、朝鮮人だとかいう垣根を超えて、人間として生きていくための闘争だ。
態変はそれを自らの身体を最大限に駆使して、無言劇としてみせる。身体障害者であるという自分たちに課せられた持ち味を生かし、抽象的で象徴的なドラマとして構築してみせる。ファン・ウンドという実在した人物にスポットを当て、彼の物語を通して朝鮮の戦中、戦後の混乱を見せる。作、演出の金満里さんは自らの血のつながらない父親のドラマを通して、自らのアイデンティティーと、自己の存在証明に迫る。そしてそれは個人的な精神史であるだけではなく、それをはるかに超えて、ある種の普遍性を獲得する。人間であることの、魂の叫びを感じさせる。
彼女より1世代若い金哲義さんは、自らの出自を同じように父親世代のドラマを通して描くことにより、彼もまた自分たちがここでどう生きるのか、それがどこにつながっていくのかを模索する。これは60年に及ぶ魂のドラマであると同時に、この作品もまた金満里さんの作品同様、ここで生まれ、ここで生きていく在日朝鮮人である自分たち自身の存在証明でもある。
『ボクサー』というタイトルだが、これはボクシング自体を題材にした話ではない。殴ること、走ることという人間にとって基本的な衝動を通して、生きていくことの痛みと叫びを描こうとするのだ。北に帰ること(本来の故郷は済州島であるにも関わらず)によって夢を実現しようとする兄と、渡航許可が下りずに、日本に留まることになる弟。別れ別れになる2人の戦後史を通して、彼らが再会するクライマックスまで、分断された祖国の悲劇を背景にした3時間に及ぶ壮大な血の絆のドラマは淡々としたタッチに貫かれ、圧倒的な迫力で綴られる。
今年一番の大傑作が、この週末大阪で上演されている。この2本を見逃すのはあまりに惜しい。何があってもぜひ劇場に足を運んでもらいたい。
態変はそれを自らの身体を最大限に駆使して、無言劇としてみせる。身体障害者であるという自分たちに課せられた持ち味を生かし、抽象的で象徴的なドラマとして構築してみせる。ファン・ウンドという実在した人物にスポットを当て、彼の物語を通して朝鮮の戦中、戦後の混乱を見せる。作、演出の金満里さんは自らの血のつながらない父親のドラマを通して、自らのアイデンティティーと、自己の存在証明に迫る。そしてそれは個人的な精神史であるだけではなく、それをはるかに超えて、ある種の普遍性を獲得する。人間であることの、魂の叫びを感じさせる。
彼女より1世代若い金哲義さんは、自らの出自を同じように父親世代のドラマを通して描くことにより、彼もまた自分たちがここでどう生きるのか、それがどこにつながっていくのかを模索する。これは60年に及ぶ魂のドラマであると同時に、この作品もまた金満里さんの作品同様、ここで生まれ、ここで生きていく在日朝鮮人である自分たち自身の存在証明でもある。
『ボクサー』というタイトルだが、これはボクシング自体を題材にした話ではない。殴ること、走ることという人間にとって基本的な衝動を通して、生きていくことの痛みと叫びを描こうとするのだ。北に帰ること(本来の故郷は済州島であるにも関わらず)によって夢を実現しようとする兄と、渡航許可が下りずに、日本に留まることになる弟。別れ別れになる2人の戦後史を通して、彼らが再会するクライマックスまで、分断された祖国の悲劇を背景にした3時間に及ぶ壮大な血の絆のドラマは淡々としたタッチに貫かれ、圧倒的な迫力で綴られる。
今年一番の大傑作が、この週末大阪で上演されている。この2本を見逃すのはあまりに惜しい。何があってもぜひ劇場に足を運んでもらいたい。