とてもいやな話だ。いじめによる自殺。同じグループだった女の子たちは事実を隠蔽しようとして、口裏を合わせて黙秘を決め込む。親たちが学校に呼ばれる。だが、彼らもまた自分たちの子供をかばうため、事実を受け入れようとしない。
ディスカッション劇だが、話し合いを通して前向きな解決が引き出されるのではない。泥沼である。事件の核心には迫っていくが、それが何の解決にもならない。子供たちは反省するでもなく、標的を失ったことでがっかりしているだけだ。人の命なんてなんとも思わない。そんな恐るべき子供たちを難なく描く。だが、こんな心を持たないモンスターのような子供たち自身をこの芝居は表面には見せない。この芝居に登場するのは彼女たちの親たちだけである。だが、どうしようもない親たちだから、こんな子供が出来るのだ、なんて言うのではない。この芝居の親たちはまだ、わかりやすい。芝居の背景として描かれる子供たちのえげつなさは親なんかを完全に凌駕している。ならば、この芝居は子供たちの姿こそ描くべきだったのではないか。そこを避けては成立しないはずなのだ。
子供たちの心はこの芝居が描くほど荒廃しているのだろうか。僕にはよくわからない。現場の先生(畑澤聖悟)がこの台本を書いたのだが、たとえこれが事実をもとにしたものであれ、僕はリアルには思えなかった。ここで描かれるいじめの構造についてはなんとなくわかるのだが、その先が見えてこない。嫌な現実を突きつけるだけで、それで終わり、ではただ後味が悪いだけではないか。
モンスターペアレンツとか、痛みを感じなくなった子供たち、とか、確かにそんな人間もいるとは思うが、あまりに紋切り型すぎて、納得のいかない芝居だった。教育現場の荒廃
はここまで来ているという危機感をシリアスに描いたのかもしれないが、この救いのなさはリアルではない。
5人の女の子たちの設定を通して、彼女たちの親たちの顔は確かに見えてくる。だが、肝心の子供たちの顔はまるで見えない。これでは本末転倒だ。
ディスカッション劇だが、話し合いを通して前向きな解決が引き出されるのではない。泥沼である。事件の核心には迫っていくが、それが何の解決にもならない。子供たちは反省するでもなく、標的を失ったことでがっかりしているだけだ。人の命なんてなんとも思わない。そんな恐るべき子供たちを難なく描く。だが、こんな心を持たないモンスターのような子供たち自身をこの芝居は表面には見せない。この芝居に登場するのは彼女たちの親たちだけである。だが、どうしようもない親たちだから、こんな子供が出来るのだ、なんて言うのではない。この芝居の親たちはまだ、わかりやすい。芝居の背景として描かれる子供たちのえげつなさは親なんかを完全に凌駕している。ならば、この芝居は子供たちの姿こそ描くべきだったのではないか。そこを避けては成立しないはずなのだ。
子供たちの心はこの芝居が描くほど荒廃しているのだろうか。僕にはよくわからない。現場の先生(畑澤聖悟)がこの台本を書いたのだが、たとえこれが事実をもとにしたものであれ、僕はリアルには思えなかった。ここで描かれるいじめの構造についてはなんとなくわかるのだが、その先が見えてこない。嫌な現実を突きつけるだけで、それで終わり、ではただ後味が悪いだけではないか。
モンスターペアレンツとか、痛みを感じなくなった子供たち、とか、確かにそんな人間もいるとは思うが、あまりに紋切り型すぎて、納得のいかない芝居だった。教育現場の荒廃
はここまで来ているという危機感をシリアスに描いたのかもしれないが、この救いのなさはリアルではない。
5人の女の子たちの設定を通して、彼女たちの親たちの顔は確かに見えてくる。だが、肝心の子供たちの顔はまるで見えない。これでは本末転倒だ。