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映画・演劇のレビュー

『水は海に向かって流れる』

2023-06-09 16:49:00 | 映画

先日公開の『ロストケア』で気を吐いた前田哲監督怒濤の新作ラッシュ第2弾。この後すぐに『大名倒産』も控えている。いずれもまるで違うテイストの映画だ。シリアスな社会派映画、今回は切ない恋愛映画。次回はコメディ時代劇。いずれも単純な括りでは説明できない不可能でボーダレスな内容を軽やかに描いた。前田監督はあらゆるジャンルの作品を手掛ける。もう自由自在な域に達する。

今回は昨年沖田修一監督が映画化した傑作『子供はわかってあげない』の田島列島原作。だからこれはコミック原作の青春ドラマ。広瀬すずと大西利空が主演。あの大西利空が大人になって(といっても、高校生だが)映画で主人公を演じる時代がやってきたのか、と感慨深い。あの隠れた傑作山下敦弘監督『ぼくのおじさん』の頃は小さな子供(子役)だった彼なのに。

そんなことを思いつつ見始めたのだが、驚きの連続。設定はかなり無理があるが、それを納得させる丁寧な描写がいい。それからこれは些細なことだが、いろんなことが僕のなかでは符合するのがなんだかうれしい。これは大西利空のおじさん二部作。しかも高良健吾がその後の横道世之介を髣髴させるキャラで登場とか。

まず、広瀬すずのことから。彼女が大人を演じることに衝撃を受けた。つい最近まで高校生をしていたのに、と感慨深い。まぁもう充分大人を演じて当たり前だけど、改めて驚く。しかも今回ずっと笑わない。不機嫌なまま。16歳のまま、心を閉ざした26歳。10年前、大好きだった母(なんと、また坂井真紀。彼女は凄いお母さんのプロになった!)がダブル不倫をして家を出た。それから心を閉ざしたままの女性を演じる。思春期の女の子にはショックだった。それを今もずっと引きずっている。かなり無理がある設定だけど、広瀬すずは見事に見せた。彼女だから説得力がある。

映画はそんな彼女の暮らすシェアハウスに大西利空の高校生がやってくるところから始まる。彼はすずの母の不倫相手の息子。10年前、祖父母の元に1年預けられていた。ダブル不倫の父(北村有起哉)が出奔して戻ってくるまで。ただ幼かったから両親のゴタゴタは当時はわからなかった。

そんなふたりの10年。(それは一切描かない)10年後の今出会ってしまったこと。そこから始まるラブストーリーである。だけど、単純なラブストーリーとは違う。9歳の差は簡単ではない。しかも彼女は恋愛は一生しないと言う。だから、彼も一生恋愛はしないと言う。そんなふたりの恋物語。

いや、これはそういうパッケージング。だけどそこから想像するものには収まらない。16歳の子どものまま心を閉ざして生きる彼女をなんとかして、大人として普通の生き方に導いていくのを使命と思うのが17歳の子どもでしかない彼。そんなふたりの恋物語。これはある意味異常なお話だ。

沖田修一監督の最高傑作『横道世之介』で主人公の世之介を演じた高良健吾が、今回世之介そのままで登場して大西利空の「おじさん」を演じる。だからこれは同世代のエース沖田修一へのエールでもある。そしてあの映画への、さらには『子どもはわかってあげない』への挑戦、オマージュでもある。ライバル沖田との勝負だ。たまたまのキャスティングかもしれないけどなんだか不思議。(余談だが高良と沖田コンビで、世之介の続編をぜひ映画化して欲しい。原作は『おかえり横道世之介』ではなく『永遠と横道世之介』でもいいから)大西のデビュー作『ぼくのおじさん』では松田龍平が同じようなおじさんを演じていた。大西にとってはこの映画が二度目の主演となるけど、なんか色んなところが符合している。

いつまで経ってもこの映画の話にはならない。 

雨のシーンから始まる。駅前で待つ。迎えに来るはずのおじさんは来ない。そこに不機嫌そうな女性が来る。ラブストーリーと書いたが、それらしい描写は一切ない。ラストの告白シーンだって、切実ではない。彼女は彼を恋愛対象だとは思わないし、彼も受け入れてくれるとは思わない。だけど、ふたりの心は通じ合う。これは実は恋愛ものではない。相手を思いやること、それを丁寧に描いた映画だ。シェアハウスの住人たちとの距離感もいい。ベタベタしないがちゃんと見ている。

コミックの映画化だから、ご都合主義の展開はあるが、それを気持ちよく描いた。『子どもはわかってあげない』に続いてこれも傑作。この対決は引き分けである。


 


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