金蘭としては3度目で、6年ぶりの再演となる。以前の2作品も見ている。変わることなく素晴らしい。今回久々にこの作品と対面して、改めてこれは金蘭会の代表作なのだと実感した。これからも自分たちの十八番として何度でも上演するといい、と言いたいところだけど、残念だが、今回が見納め、たぶん最後となることだろう。しみじみと作品と集団の相性というか、自分たちの方向性と作品が見事一致するときの快感、というか。そんなこんなを感じながら2時間、幸せな気分で目撃できた。
ここに描かれるのは69年という時代の高校生である。学生運動の時代。彼らが理想に燃え、自分たちが世界を変えると信じていた頃、そんな夢のような時間。でも、それはすぐに幻となる運命だ。そして2度と戻らない。だけど、この作品の主人公は戻ってくる。40年の歳月を経て、よみがえる。アナクロの権化と化した彼が2010年代の高校に戻り、再び革命を夢見る。そんな彼に仲間ができる。そこで学校から企画を止められて中止となる文化祭をすること。安保反対と文化祭の挙行とでは問題の大きさが違いすぎるというなかれ。体制側の圧力に屈せず自分たちの理想の実現を目指すという意味では同じだ。このお話のポイントはそこにあるのだから。そして彼の想いは2022年の子供たちへと受け継がれていくことになる。
高校演劇部は、ずっと同じメンバーで年をとっても続けられる「劇団」ではない。6年前のメンバーはもういないし、その前のメンバーも同じ。高校は3年で卒業する。常にメンバーが入れ替わる。そんなの当たり前のこと。このチームで変わらないのは最初からずっと山本篤先生がいることだけ。その山本先生だって、もうすぐ引退する。そのあと演劇部はどうなるのか、というと、たぶんそれでも金蘭演劇は続く。でも、それは今までの金蘭ではない。でも、それはこれまでだってそうだったことだ。毎年チームは入れ替わる。一度として同じメンバーで芝居を作れることはない。そんな当たり前のことを改めて噛み締めながら、この一期一会の舞台と向き合うことになる。
公演直前での主役交代。部長のコロナ感染により、作品の中心が欠けてしまうという危機的状況の中、急遽OGを招集して代役として舞台に立ってもらうことになる。ピンチヒッターの岩野七葉は膨大な台詞を短期間で自分のものにして、もうひとりの主人公である濱本優月(破れかぶれともいえる彼女のハイテンションな芝居が凄い!)をサポートしながら、作品のかなめとなる。2時間に及ぶこの大作を支える。彼女だけではない。たくさんのOG、中学部の部員たちをも巻き込んで、コロナ世代となった現役部員たちはそれでなくても困難なこの大きな作品に挑む。そして山本先生と金蘭会の暑苦しいくらいに熱いこのチームのメッセージは確かに届く。彼女たちは全身全霊でボロボロになりながらも最後まで倒れずに走りきる。
劇中の「文化祭をやらせてください」が、彼女たちの「芝居をやらせてください」という叫びに重なる。そんなふうに見えてくるのだ。どうしてもこの芝居を上演したいのだ、という彼女たちの熱い想いが作品の端々から伝わる。同時に32年目のHPFに賭ける山本先生の願いも、芝居から伝わる。
ダイレクトなメッセージはラストの「私たちの望むものは」という歌声を通して、客席に向けて確かに届く。「彼女たち」が望むものは、「僕たち」の望むもの。この芝居のタイトルである「僕たちの好きだった」もの。「革命」を信じる心。こんな時代だからこそ、私たちはこの芝居を届けたい。時代がどれだけ変わろうとも、変わらないものがある。どんな困難な時代であっても、自分たちの力で、革命を起こすのだ、という切なる想い。それが金蘭会からのメッセージだ。観客たちはそれをちゃんと受け止めた。