今回のプロトテアトルは暗闇での見えない相手との会話劇。廃墟同然のビル、そこの警備員、そこの探検に来た男女、そこに死にに来た人々。地震が起きて生き埋めになった彼らのサバイバルが描かれるのだけど、なぜだか彼らはのんびりしている。極限状況のはずなのに、きっと救出されるとでも信じているかのように。危機感が感じられないのだが、そこが反対にリアルな気がする。暢気そうにサバイバルって、ふつうならあり得ない。でも、彼らはうろうろしながら、仲間と再会したり別れたり、別のグループのメンバーと遭遇して、合流して、そんなこんなの繰り返し。
タイトルにあるようにこれは会話するお話だ。知らない者同士が、あるいは、今まで一緒にいたのにあまりちゃんとした会話をしてこなかった者と、相手の姿や今いる場所すらわからない状態で声だけを頼りにして、長い時間を過ごす。そこに特別なドラマが展開していくわけでもない。でも、何かが少し変わる。今まで見えなかったものが、暗闇の中で見えてくる。これはそんなお芝居だ。
FOペレイラ宏一朗はもともと短編だったこの作品を長編化していく過程で、特別なドラマは用意しなかった。これは先にも書いたようにサバイバルではない。あくまでも会話劇なのだ。その視点はぶれない。この状況を提示してそこで彼らを自由に泳がせていく。そうすると、どんな化学変化が生じるか、あるいは生じないのか、それを冷静に見つめるばかりだ。ドラマチックじゃないから退屈だ、と思った人もいるだろう。だが、この実験を通して、人は人とどう向き合うのか、そんなことの答えが見え隠れすることに驚く。豊かな芝居は観客の想像力を刺激する。こんなにも演劇的ではない芝居が演劇としての可能性を指し示す。