習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『シャニダールの花』

2013-08-11 17:57:57 | 映画
石井岳龍監督の新作。『生きているものはいないのか』に続く本作も実に静かな映画だ。昔の彼の作品をよく知っている人たちは驚くだろうが、今の彼の作風はこんな感じ。『水の中の八月』くらいから、こういう作品を志向し始めたが、今回もどこまでも内向する。話は広がらない。自閉していく。

狭い世界の話だ。主人公の男女の恋愛のはずなのだが、石井監督は恋愛には興味はない。自分の体に花を咲かすという不思議な体質の女性たちの心情を描くわけでもない。新しい人類の進化形を描くのでもない。では、この話から何が描きたかったのか。実はそれすら曖昧なのだ。

製薬会社の研究施設を舞台にして、人の体に咲く花の研究をする研究職員(綾野剛)と新しくここで働くことになった若い女性(黒田華)、彼に恋する提供者(伊藤歩)の三角関係が描かれる。でも、こんなにもドラマチックから遠い映画も珍しい。これが石井監督の今のスタンスだ。SF的設定をまるで生かす気もない。観念的な映画を目指すのでもない。

受身で、自分からは何もモーションを起こさない主人公には、すこしイライラさせられるのだが、周囲の女たちはそんな彼にとても優しい。研究室の患者である女性たちも、彼女たちのケアをするヒロインも。彼はそんな女たちに甘えているのではなく、反対に彼女たちの世話をしているのだが、どちらが世話をしているのだか、よくわからない。花の開花を待つのも、同じ。世話をしているけど、彼が花を咲かすのではない。咲かすのは女たちだ。彼は環境を整え、ただ見ているだけ。特別な女性の胸にしか咲かない花。彼女たちはみんな何か問題を抱えている。この花は病気の一種なのか。答えは出ない。いろんなことがわからないまま、この研究所は閉鎖される。

映画はストーリーを追うのでもなく、意外性のある展開を見せるわけでもない。設定を生かすことなく、フェードアウトする。それなのに、そんな地味で何もないはずのこの映画はつまらないわけではない。こんなにも何もないことが、なぜかとても心地よく思えるのが不思議だ。石井岳龍監督は、この特異な状況を日常の中に落とし込む。そして、まるで何もなかったかのようにふるまう。花は人の寄生するのでも、人の新たなる進化形でもない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青い鳥『さらば、クリーニン... | トップ | 『パシフィック・リム』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。