これは、2007年台湾で№1ヒットを記録した作品だ。わかる気がする。こういう優しいラブ・ストーリーをみんなが支持する気分が。甘いだけの映画ではない。ここに描かれる寂しさは誰もが抱える気分だろう。だからみんなこの映画が好きになったのだ。
台湾版『時をかける少女』である。懐かしい。タイムトラベルものなんて久しくなかった。昔は日本でも(もちろん原田知世ちゃんの『時をかける少女』)、アメリカ(『ある日どこかで』が好き)でも、そして韓国(『リメンバーミー』だね)でもよく作られた。傑作も多い。だが、最近はとんとご無沙汰だ。だから、これは今時の映画ではない。かなりクラシックな映画だ。だが、こういうセピア色の映画が、心地いい。これは台湾映画だから許されるのか。(僕は台湾という国のあの独自な懐かしさが大好きだ。)
20年の時を超えて少女(あの『藍色夏恋』のヒロインの少女だ!)は少年(もちろんジェイ・チョウ)と出逢う。2人の恋はどうなるのか。映画はなかなかネタを割らない。だから、僕もこうして最初からネタを割るべきではなかったのだが、しかたない。もう見てしまったのだから。
彼の前に現れる少女はいったい誰なのか。彼女はもう死んでいるのではないか?彼にだけ見えるようにも、思えるし、そうではないようでもある。そのへんはわざとずるい作り方をしている。どっちにしてもなんかへんだ、と思う。彼と彼女はピアノを通して触れ合う。いかにもなシーンが続く。取り壊される旧校舎。そこに置かれたピアノ。教室。グランド。自転車の二人乗り。もうひとりの美少女。(もちろん、彼女も彼が好き)先日の『ハルフウエイ』と重なるような描写が続く。だが、こちらはまず話がある。あの映画のような単純なイメージの連鎖ではない。
映画は終盤になって一気に謎解きをする。そこからはまぁSFだが、それまではただの叙情的なラブ・ストーリーでたぶん悲恋もの。ふたつの要素が自然に同居する。そしてラストは畳み掛けるように見せてくれる。余韻をあまり引きずらない。映画館を出た後で各自が引きずればよい。そのへんも上手い。
たわいない映画かも知れない。だが、細部まで目が行き届いた気持ちのよい映画だ。監督も兼ねたジェイ・チョウのこだわりが、この映画に命を吹き込んだ。
台湾版『時をかける少女』である。懐かしい。タイムトラベルものなんて久しくなかった。昔は日本でも(もちろん原田知世ちゃんの『時をかける少女』)、アメリカ(『ある日どこかで』が好き)でも、そして韓国(『リメンバーミー』だね)でもよく作られた。傑作も多い。だが、最近はとんとご無沙汰だ。だから、これは今時の映画ではない。かなりクラシックな映画だ。だが、こういうセピア色の映画が、心地いい。これは台湾映画だから許されるのか。(僕は台湾という国のあの独自な懐かしさが大好きだ。)
20年の時を超えて少女(あの『藍色夏恋』のヒロインの少女だ!)は少年(もちろんジェイ・チョウ)と出逢う。2人の恋はどうなるのか。映画はなかなかネタを割らない。だから、僕もこうして最初からネタを割るべきではなかったのだが、しかたない。もう見てしまったのだから。
彼の前に現れる少女はいったい誰なのか。彼女はもう死んでいるのではないか?彼にだけ見えるようにも、思えるし、そうではないようでもある。そのへんはわざとずるい作り方をしている。どっちにしてもなんかへんだ、と思う。彼と彼女はピアノを通して触れ合う。いかにもなシーンが続く。取り壊される旧校舎。そこに置かれたピアノ。教室。グランド。自転車の二人乗り。もうひとりの美少女。(もちろん、彼女も彼が好き)先日の『ハルフウエイ』と重なるような描写が続く。だが、こちらはまず話がある。あの映画のような単純なイメージの連鎖ではない。
映画は終盤になって一気に謎解きをする。そこからはまぁSFだが、それまではただの叙情的なラブ・ストーリーでたぶん悲恋もの。ふたつの要素が自然に同居する。そしてラストは畳み掛けるように見せてくれる。余韻をあまり引きずらない。映画館を出た後で各自が引きずればよい。そのへんも上手い。
たわいない映画かも知れない。だが、細部まで目が行き届いた気持ちのよい映画だ。監督も兼ねたジェイ・チョウのこだわりが、この映画に命を吹き込んだ。