元旦にもう一度『ヤマト』を見に行ってきた。僕はとてもおもしろいと思ったけど、この映画のことをかなり酷く言っている人も多い。時間もあったので、今度はより冷静な目でこの映画のことを確かめたいと思った。(自分でも、何と大袈裟なことを、と思いますね。ただもう一回見たいだけ、のくせに)
アナクロでしかないこの企画を最新技術を駆使して映画化する上で、一番ネックとなるのは、このアナクロさをどれだけ大切に出来るのか、という一点に尽きる。こんなのはヤマトではない、と言われたなら終わりだ。でも、オリジナルを忠実に再現しただけなら今ヤマトを作る意味はない。けっこうこのへんのジレンマは大きい。そこで大事なことは、オリジナルのスピリッツを生かして、今という時代に必要なヤマトを作るということだろう。
この企画の一番の要となるのは、どんな状況にあっても希望を捨てない、というストーリーラインであろう。そこを生かして、それをこの話の根底に持っていくことが大事だ。ラストは特攻ではないか、と言う人もいるだろうが、自分の命を賭けて人類の未来を守るという選択は間違いではないだろう。最後の最後まで希望を捨てないという部分はこのお話において一番大事なところで、ここでちゃんと泣かせてくれる。キムタクが正統派の2枚目を照れることなくしっかり演じるからだ。やはり本物のスターは違う。立派だ。まぁ、あんなのでは泣けないと言われたならそれまでなのだが、僕は納得した。
前回も思ったのだが、ワープまであと5分で、機体が動かなくなったコスモタイガー(だったっけ)にいるモリユキを救出するため、飛び出していくシーンなのだが、彼女を回収し、戻って来るという離れ業をするあの部分はとてもスリリングでかっこいい。ガミラスの攻撃を、最初は艦を斜めに傾けて避けて、2度目の攻撃が艦を直撃する直前にワープする。その艦を立て直した5秒とか10秒とかの間に古代とユキを艦内に回収して、その瞬間にワープする、ということなのだが、5分、とか30秒とか、5秒10秒という時間で勝負を賭けるって凄くないか。僕はこの映画のそういうところにかなり感動してしまった。単純である。(だが、ラストシーンで、いつまで経っても波動砲を撃たないというのはどうだか、と思った。いくらクライマックスとはいえ、ためばかりを作って時間を引き延ばすのはあざとい。)
アナクロでしかないこの企画を最新技術を駆使して映画化する上で、一番ネックとなるのは、このアナクロさをどれだけ大切に出来るのか、という一点に尽きる。こんなのはヤマトではない、と言われたなら終わりだ。でも、オリジナルを忠実に再現しただけなら今ヤマトを作る意味はない。けっこうこのへんのジレンマは大きい。そこで大事なことは、オリジナルのスピリッツを生かして、今という時代に必要なヤマトを作るということだろう。
この企画の一番の要となるのは、どんな状況にあっても希望を捨てない、というストーリーラインであろう。そこを生かして、それをこの話の根底に持っていくことが大事だ。ラストは特攻ではないか、と言う人もいるだろうが、自分の命を賭けて人類の未来を守るという選択は間違いではないだろう。最後の最後まで希望を捨てないという部分はこのお話において一番大事なところで、ここでちゃんと泣かせてくれる。キムタクが正統派の2枚目を照れることなくしっかり演じるからだ。やはり本物のスターは違う。立派だ。まぁ、あんなのでは泣けないと言われたならそれまでなのだが、僕は納得した。
前回も思ったのだが、ワープまであと5分で、機体が動かなくなったコスモタイガー(だったっけ)にいるモリユキを救出するため、飛び出していくシーンなのだが、彼女を回収し、戻って来るという離れ業をするあの部分はとてもスリリングでかっこいい。ガミラスの攻撃を、最初は艦を斜めに傾けて避けて、2度目の攻撃が艦を直撃する直前にワープする。その艦を立て直した5秒とか10秒とかの間に古代とユキを艦内に回収して、その瞬間にワープする、ということなのだが、5分、とか30秒とか、5秒10秒という時間で勝負を賭けるって凄くないか。僕はこの映画のそういうところにかなり感動してしまった。単純である。(だが、ラストシーンで、いつまで経っても波動砲を撃たないというのはどうだか、と思った。いくらクライマックスとはいえ、ためばかりを作って時間を引き延ばすのはあざとい。)