平易で読みやすい。往復の電車の中で読み終えてしまった。たった1日で終了だ。あっけない。でも、そこがこの小説にぴったりだ。
あっさりしてて、別に何があるというわけでもないが、読んでいて、とても心地よい。これはTV局の番組表を作成している会社のお話。そこには社員が6人。彼らの会話が綴られていくだけ。話らしい話はない。そこはいつもの通りだ。
別にここには何もない。ただ、たわいもない会話がある。職場でのどうでもいいようなやりとりが淡々と綴られていくだけだ。大きな会社での(TV局)たった6人の部署。新聞の番組欄を作成する仕事。同年代の(20代半ば)同僚、でもそのうち3人は正社員、3人は派遣。でも、そこに確執とか、ややこしいドラマは用意されない。内訳は男4,女2。特別なドラマはない。もちろん恋愛とか、ない。地味な仕事を淡々とこなすだけ。この仕事に生き甲斐なんか感じてない。でも、きちんと仕事をこなすし、誇りはある。たぶん。
山崎ナオコーラが描くこのどうでもいいようなお話は、なぜか、読んでいて心地よい。疲れた身体に沁みてくるのはなぜだろうか。
ここには、ただ同じように時が過ぎていくことのいとおしさがある。どうでもいいように見えるこのなんでもない時間がかけがえのないものと、等価であること。大切なものはそんな当たり前の中にある、という、なんだかなぁ、と思うくらいに当たり前のことを感じさせられる。しかも押しつけではなく、じんわりと。
ずっと続くわけではない。この何でもない時間はいつか終わる。でも、ことさらそれを感傷的には捉えない。その時はその時のことだ、と思う。 25歳の広田(ふつう、男)、岸(ふつう、女)、佐々木(仕切る)、そして26歳の別所(遊び人)、それから27歳の魚住(ふざける)、新人の津留崎(美人)。6人が続ける地味な作業は、「高校野球」のシーズンの到来によって、クライマックスを迎える。(まぁ、それもただの日常でしかないが)
彼らは、恋人でも、友達ですらない。たまたまなんとなく集まっただけの職場の同僚同士である。だが、ここにはそんな彼らの[消えない会話]がある、と山崎ナオコーラは言う。彼女のそんなスタンスが好き。
ずっと好きだった先輩が退職する前に、彼と、最初で最後の二人きりのデートをするというこれもまたたわいない話の短編『ああ、懐かしの肌色クレヨン』が同時収録されてある。これもあっさりで、いい。
あっさりしてて、別に何があるというわけでもないが、読んでいて、とても心地よい。これはTV局の番組表を作成している会社のお話。そこには社員が6人。彼らの会話が綴られていくだけ。話らしい話はない。そこはいつもの通りだ。
別にここには何もない。ただ、たわいもない会話がある。職場でのどうでもいいようなやりとりが淡々と綴られていくだけだ。大きな会社での(TV局)たった6人の部署。新聞の番組欄を作成する仕事。同年代の(20代半ば)同僚、でもそのうち3人は正社員、3人は派遣。でも、そこに確執とか、ややこしいドラマは用意されない。内訳は男4,女2。特別なドラマはない。もちろん恋愛とか、ない。地味な仕事を淡々とこなすだけ。この仕事に生き甲斐なんか感じてない。でも、きちんと仕事をこなすし、誇りはある。たぶん。
山崎ナオコーラが描くこのどうでもいいようなお話は、なぜか、読んでいて心地よい。疲れた身体に沁みてくるのはなぜだろうか。
ここには、ただ同じように時が過ぎていくことのいとおしさがある。どうでもいいように見えるこのなんでもない時間がかけがえのないものと、等価であること。大切なものはそんな当たり前の中にある、という、なんだかなぁ、と思うくらいに当たり前のことを感じさせられる。しかも押しつけではなく、じんわりと。
ずっと続くわけではない。この何でもない時間はいつか終わる。でも、ことさらそれを感傷的には捉えない。その時はその時のことだ、と思う。 25歳の広田(ふつう、男)、岸(ふつう、女)、佐々木(仕切る)、そして26歳の別所(遊び人)、それから27歳の魚住(ふざける)、新人の津留崎(美人)。6人が続ける地味な作業は、「高校野球」のシーズンの到来によって、クライマックスを迎える。(まぁ、それもただの日常でしかないが)
彼らは、恋人でも、友達ですらない。たまたまなんとなく集まっただけの職場の同僚同士である。だが、ここにはそんな彼らの[消えない会話]がある、と山崎ナオコーラは言う。彼女のそんなスタンスが好き。
ずっと好きだった先輩が退職する前に、彼と、最初で最後の二人きりのデートをするというこれもまたたわいない話の短編『ああ、懐かしの肌色クレヨン』が同時収録されてある。これもあっさりで、いい。