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映画・演劇のレビュー

大島真寿美『すりばちの底にあるというボタン』

2009-05-07 23:58:08 | その他
 なんとも不思議なお話だ。淡いタッチで描かれるこの少年少女の物語は、まるで児童文学なのだが、必ずしも子供のために書かれた小説というわけでもない。最初はひらがなばかりで、字も大きいから児童書だと思った。でもなんだか違うみたいだ。まぁ、分類なんて本当はどうでもいいのだが。

 すりばち団地の底にあるボタンの謎。それを解き明かそうとする3人の男女。彼らはまだ子供だがいろんなことをちゃんと考える力がある。小学生3人組に少しお兄さんの中学生も混ざって彼らが噂の真相を解明しようとする。謎解きではない。今では老人が目立つ古い団地の歴史をたどり彼らが知り得たこの町の軌跡を追う。幻のように立ち現れる一度は途切れた盆踊り。夏の夜の風物詩。おばあちゃんたちは団地を活性化させるために若い人たちを空き部屋に誘致する。様々な新しい人たちがこの町にやってくる。町が再び命を取り戻す。

 すりばち団地の底にあるボタンを押すと夢が叶うといういいつたえ。だが、それがいつの間にか、そのボタンを押すとすりばち団地が沈んでいくといういいつたえに変わっていたこと。それは長い歳月の中で、様々な伝説を生みここに暮らす人たちの中に語り伝えられていく。子供たちは幻の少年に出会う。彼は果たして何者なのか。正直言って彼らは本当に少年を見たのか、それすらはっきりとはしない。

 この小さな小説を読みながら、なんとなく昔に戻った気分がした。まだ子どもの頃にだ。いろんなことを信じていた。でも、本当は何も知らなかっただけだった。そんな子供時代。町は不思議に満ちていた。ほんの少し遠出して、見慣れない風景に出会うだけで冒険だった。世界はほんのちよっとした半径10分程度の空間でその先は未知の空間が広がる。真新しかった団地には若いカップルが暮らしやがて子供が生まれ、成長する。子供たちがここから出て行ってそこには年老いた夫婦だけが残る。そんな老人もやがてひとり、またひとりと死んでいく。ここはいつのまにかニュータウンからオールドタウンに様変わりする。

 やがて忘れられてしまうかもしれない。そんな場所を舞台にして、このささやかなお話は語られていく。静かに胸の奥に沁みてくる。そんな小説だ。

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