2012年に刊行された小説で、今回文庫になったので、読んだ。西加奈子の小説は好きだから必ず読んでいるけど、ときどき読み落としてしまう。実は『漁港の肉子ちゃん』も文庫で読んだ。なぜだか知らないけど、読み落としていたこの2作品の傾向が似ている気がして、はっとする。
たまたまだけど、この2冊以外は、ほぼすべてをリアルタイムで読んでいるのに、なぜか、この2冊を飛ばしていた。でも、少し時間を遅れて読んだこの2冊のゆったりと流れる時間に身を浸していると、時間なんてものには何の意味もない、なんていう大胆なことすら思えてくるから不思議だ。基本的に彼女の小説はストーリーの展開に重点を置かない。とくに、この2冊はそうだ。肉子ちゃんと過ごす時間を描く。今回は同居している友人さなえと過ごす時間を描く。やがて、終りが来ることはうっすらと認識しているけど、今は考えたくない。でも、やがて、考えざる得なくなる日が来る、というか、もう来ている。
『ふる』の描くふたつの時間。過去と今。幼い日から、28歳の今まで。生理になった日から今日まで。「花しす」なんていうふつうじゃない名前の女の子。今はアダルトビデオにモザイクをかける仕事をしている。さまざまな女性の「女性器」をみつめる。最初はなんだかなぁ、と思ったけど、すぐに慣れた。
あらゆる局面で登場してくる幾人もの「新田人生」たちが彼女をいざなう。(最初はこの新田人生に戸惑う)彼女にだけ見える「ふわふわした白いもの」の存在にも。この小説オリジナルの仕掛けだ。日常のスケッチでしかないのに、そこにそれらがあると、少しだけふつうじゃない。
寝たきりだった祖母の面倒を見ていた母(祖母は彼女にとって母親ではない。夫の母だ)。母がどうして家を空けるようになったのか。祖母の死の後、彼女はあの頃の母が抱えていたものを改めて思う。長い時間を通して、たどりつく。今という時間が未来へとつながる。みんな幸せになりたいと願う。でも、なんだか、うまくいかない気がする。でも、それをどうにかして、なんとなく未来へとつなげる。不器用なのは誰も同じ。うまくいくはずもない。
肉子ちゃんが自分を大事に育ててくれたことに感謝する。ほんとうの娘ではないのは、徐々にだけど、わかっていた。でも、言わない。ほんとうの娘以上に大事にしてくれた気がする。やはりそうだ。この小説はあの小説に流れていた時間ととても似ている。母親への想い。それは根底を流れる。
録音されたいくつもの時間。それを再生する。でも、そこにいるのは自分ではない。記憶にすら残らないようなたわいもない会話を再生し、心に刻む。時間は巻戻らない。どんどん先に進むばかりだ。でも、立ち止まりたい。ふわふわしたものも、新田人生も、レコーダーでの隠し録りも。やがて、思い出の彼方へと消えていく日が来る。今は、その前にいる。まだ、自分はここにいたい。