ドキュメンタリー映画で、家族のことを描いてきたヤン・ヨンヒ監督が初めて劇映画に挑む。だが、素材は一貫している。70年代に北朝鮮に集団移住で行った兄の話だ。夢を抱いて、北に帰った在日朝鮮人と、残された家族。帰国事業を通して、その後のそれぞれの現実を描くには、困難を極める。残された側からの視点ではなく、向こうに行った側の現実は描けないからだ。
ヤン・ヨンヒ監督は、フィクションを通して、現実をどこまでもリアルに再現しようとする。ドキュメンタリーの限界を劇映画で超える。だが、そこには嘘は一切ない。どこまでリアルに現実を描くかがこの映画の鍵だ。病気の治療のため25年振りに日本に帰って来た兄。共に過ごす短い日々。父はあの頃、自分が楽園と信じた北朝鮮に息子を単身送った。事情は触れない。本当は家族一緒に行くはずだったのだろう。だが、それは叶わなかった。息子に夢を託したはずだったが、現実は、誰もが知る通りだ。
家族の再会と、別れ。その事実のみに焦点を絞る。言いたいことはたくさんあるけど、声高に叫んでも詮無いばかりだ。妹と兄を主人公にする。何も話せない兄と、聞かない妹。ふたりが布団を並べて同じ部屋で寝るシーンが、すばらしい。ベッドの妹と、その下に布団を敷く兄。ぎこちない会話。本当に聞きたいこと、話したいことはしゃべれない。でも、聞かなくても、言わなくても分かる。安藤サクラと井浦新がすばらしい。抑えた演技というのではない。ただ、そこに立っているだけで、すべてを語る。ヤン・ヨンヒ監督はそのリアリティーを欲して劇映画に挑んだのだろう。役者はその存在自体でリアルを作るのだ。世界を見ろ、と兄は言う。だから、妹はラストでスーツケースを引っ張って旅に出る。近くて遠い祖国、そして外国、である北朝鮮。
ただ日本と朝鮮の関係を描くのではない。この国にいる自分と、あの国に行ってしまった兄を通して、世界との関係を見つめるのだ。世界は広い。ここに留まっていては見えてこないものもある。今まで、ずっとここで生きてきた。25年振りに再会した兄を通して、彼女はここから旅立つ。行く先はどこでもいい。いつか兄の元へ、たどりつく日まで。
ヤン・ヨンヒ監督は、フィクションを通して、現実をどこまでもリアルに再現しようとする。ドキュメンタリーの限界を劇映画で超える。だが、そこには嘘は一切ない。どこまでリアルに現実を描くかがこの映画の鍵だ。病気の治療のため25年振りに日本に帰って来た兄。共に過ごす短い日々。父はあの頃、自分が楽園と信じた北朝鮮に息子を単身送った。事情は触れない。本当は家族一緒に行くはずだったのだろう。だが、それは叶わなかった。息子に夢を託したはずだったが、現実は、誰もが知る通りだ。
家族の再会と、別れ。その事実のみに焦点を絞る。言いたいことはたくさんあるけど、声高に叫んでも詮無いばかりだ。妹と兄を主人公にする。何も話せない兄と、聞かない妹。ふたりが布団を並べて同じ部屋で寝るシーンが、すばらしい。ベッドの妹と、その下に布団を敷く兄。ぎこちない会話。本当に聞きたいこと、話したいことはしゃべれない。でも、聞かなくても、言わなくても分かる。安藤サクラと井浦新がすばらしい。抑えた演技というのではない。ただ、そこに立っているだけで、すべてを語る。ヤン・ヨンヒ監督はそのリアリティーを欲して劇映画に挑んだのだろう。役者はその存在自体でリアルを作るのだ。世界を見ろ、と兄は言う。だから、妹はラストでスーツケースを引っ張って旅に出る。近くて遠い祖国、そして外国、である北朝鮮。
ただ日本と朝鮮の関係を描くのではない。この国にいる自分と、あの国に行ってしまった兄を通して、世界との関係を見つめるのだ。世界は広い。ここに留まっていては見えてこないものもある。今まで、ずっとここで生きてきた。25年振りに再会した兄を通して、彼女はここから旅立つ。行く先はどこでもいい。いつか兄の元へ、たどりつく日まで。