とても大胆な構成の映画だ。だが、野心的というのではない。高校生たちの生活をリアルに描くためには反対にこういう破天荒なスタイルを取る方がよかったのだ、と見終えて確かに思う。普通の生活を淡々と見せる以上に彼らの日常をリアルに切り取ることが出来たのではないか。
バレー部のエース桐島が、突然部活をやめるという噂(事実だが)が駆け抜けた瞬間を起点にして、地方のとある高校での5日間の出来事を、時系列をぐちゃぐちゃにして、10数人の登場人物を縦横無尽に配して、見せる。桐島自身は最後まで登場しないし、関係ない。ただ彼がクラブを辞めるという事実だけがそれぞれの心を波立たせる、というそこがこの映画のテーマ。不在の桐島を巡るドラマは、ここに生きる彼らの日常を浮き彫りにする。何もない毎日の繰り返し。学校に行き、授業を受け、放課後はクラブして、帰る。翌日も同じ。土日はぼんやりする人もいるだろうが、クラブしている人たちは、練習や、試合があって忙しい。そして、また、月曜がやってくる。
友だちと、付き合うのも、けっこう大変だったりする。別に好きでつるんでいるのではない。付き合いで、仕方なく仲のいいフリしている。はみると嫌だし。人間には格差なんてない、というのは嘘。「高校生って、生徒がランク付けされている」大人と同じだ。ある意味大人以上に過酷。
運動部と文化部では、運動部が上。最低辺の存在である映画部の面々は、みんなの迷惑にならないようにひそやかに存在するしかない。桐島から一番遠い存在である映画部の神木隆之介はゾンビ映画を作るため、仲間と8ミリカメラを回す。今時8ミリ。普通あり得ない。リスクばかりが大きいし、得るものは少ない。「フイルムにこだわりたいんだ」と言う彼の青臭い言葉は30年前の僕なら共感していたはずだ。だが、今時そんなことを言う高校生なんか、信じない。でも、吉田大八監督は敢えて彼にそんな言葉を吐かせる。時代遅れで、お金ばかりがかかる。でも、自分の手で触れるフイルムにこだわりたい。信じるものが欲しいのだ。生きている実感がないから。
損得ではない。今、ここにいて、将来なんか見えないし。どんな大人になるのか、なんて関係ない。映画が好きで、自分たちの映画が作りたい、ただそれだけ。もちろん評価もされたい。将来映画監督になれたなら、うれしい。でも、そんな才能はないし、そんな夢はリアルじゃない。
バレー部のリベロを任された。でも、桐島の代わりなんかできるわけない。みんなのイライラをひとり引き受けることになる。野球部を辞めたのに、キャプテンから、ひつこく誘われる。帰宅部で、校舎の裏でバスケットして、時間をつぶす。好きな男の子のことだけしか頭にない。吹奏楽部の部長で、コンクールも近いし。バド部にいるけど、お姉ちゃんのようには上手くない。チームメイトで親友の女の子のように、上手ければ、と思う。自分を抑える。
お互いの関係の中で、バランスを取って、みんな生きてる。幾つものエピソードが絡み合う。断片を積み重ねて、危ういドラマはラストシーンにつながる。みんなゾンビに食いちぎられろ。怒りが爆発する。でも、何も変わらない。ただ、そこには日常があるだけだ。分かりあえるはずもなく、ただ、それぞれのドラマを淡々と生きるだけ。そして、時間はこともなげに過ぎていく。
金曜日から、始まり、土日をはさんで、火曜日まで。たった5日間。明日はただの水曜日で、それがどうした? 桐島は自殺したりしない。きっと明日はいつものように学校に出て来るだろう。そして、みんなの時間も昨日と同じように動き出す。このどんより淀んだ空気が、やけにリアルだ。僕たちはこんな場所で生きている。でも、ここにはすべてがある。
バレー部のエース桐島が、突然部活をやめるという噂(事実だが)が駆け抜けた瞬間を起点にして、地方のとある高校での5日間の出来事を、時系列をぐちゃぐちゃにして、10数人の登場人物を縦横無尽に配して、見せる。桐島自身は最後まで登場しないし、関係ない。ただ彼がクラブを辞めるという事実だけがそれぞれの心を波立たせる、というそこがこの映画のテーマ。不在の桐島を巡るドラマは、ここに生きる彼らの日常を浮き彫りにする。何もない毎日の繰り返し。学校に行き、授業を受け、放課後はクラブして、帰る。翌日も同じ。土日はぼんやりする人もいるだろうが、クラブしている人たちは、練習や、試合があって忙しい。そして、また、月曜がやってくる。
友だちと、付き合うのも、けっこう大変だったりする。別に好きでつるんでいるのではない。付き合いで、仕方なく仲のいいフリしている。はみると嫌だし。人間には格差なんてない、というのは嘘。「高校生って、生徒がランク付けされている」大人と同じだ。ある意味大人以上に過酷。
運動部と文化部では、運動部が上。最低辺の存在である映画部の面々は、みんなの迷惑にならないようにひそやかに存在するしかない。桐島から一番遠い存在である映画部の神木隆之介はゾンビ映画を作るため、仲間と8ミリカメラを回す。今時8ミリ。普通あり得ない。リスクばかりが大きいし、得るものは少ない。「フイルムにこだわりたいんだ」と言う彼の青臭い言葉は30年前の僕なら共感していたはずだ。だが、今時そんなことを言う高校生なんか、信じない。でも、吉田大八監督は敢えて彼にそんな言葉を吐かせる。時代遅れで、お金ばかりがかかる。でも、自分の手で触れるフイルムにこだわりたい。信じるものが欲しいのだ。生きている実感がないから。
損得ではない。今、ここにいて、将来なんか見えないし。どんな大人になるのか、なんて関係ない。映画が好きで、自分たちの映画が作りたい、ただそれだけ。もちろん評価もされたい。将来映画監督になれたなら、うれしい。でも、そんな才能はないし、そんな夢はリアルじゃない。
バレー部のリベロを任された。でも、桐島の代わりなんかできるわけない。みんなのイライラをひとり引き受けることになる。野球部を辞めたのに、キャプテンから、ひつこく誘われる。帰宅部で、校舎の裏でバスケットして、時間をつぶす。好きな男の子のことだけしか頭にない。吹奏楽部の部長で、コンクールも近いし。バド部にいるけど、お姉ちゃんのようには上手くない。チームメイトで親友の女の子のように、上手ければ、と思う。自分を抑える。
お互いの関係の中で、バランスを取って、みんな生きてる。幾つものエピソードが絡み合う。断片を積み重ねて、危ういドラマはラストシーンにつながる。みんなゾンビに食いちぎられろ。怒りが爆発する。でも、何も変わらない。ただ、そこには日常があるだけだ。分かりあえるはずもなく、ただ、それぞれのドラマを淡々と生きるだけ。そして、時間はこともなげに過ぎていく。
金曜日から、始まり、土日をはさんで、火曜日まで。たった5日間。明日はただの水曜日で、それがどうした? 桐島は自殺したりしない。きっと明日はいつものように学校に出て来るだろう。そして、みんなの時間も昨日と同じように動き出す。このどんより淀んだ空気が、やけにリアルだ。僕たちはこんな場所で生きている。でも、ここにはすべてがある。