今年は太陽族の芝居を3本とも見た。ここ数年はあまり見れていなかったけど、久々に見た岩崎さんの2本の芝居は以前といささか趣きを異にする。だから今回もぜひ見たいと思った。
認知症、介護を取り上げて岩崎さんがどういう切り口を見せるのか、気になった。社会派劇団として広い世界から今ある現実社会と向き合うのではなく、あくまでも個人的な問題に止める。しかも普遍にはしない。世界を広げない。それどころか閉ざす。
あらゆる観点から描くことができる問題を敢えてこういう形で描くのか、と感心した。これが今自分に見せることができるもの。そんな確かな想いがここからは伝わってくる。
ほとんど台詞がない。主人公の音楽家、毛利(森本研典)はすべてを知って、何も出来ないままそこにいる。分身であるもうひとりの彼(橋本剛)はピアノに向き合ってただ弾き続ける。それを見ているだけ。彼の声はもう誰にも届かない。自室からほとんど出ない。もちろんもうピアノは弾けない。失禁するシーンもある。本人には自覚はない。やがて施設に入って過ごすことになる。
こんなにも悲しい結末が待っているとは思わなかったはず。ピアニストとして作曲家として自信を持って生きてきた。それだけにこんな自分をほんとは受け入れたくはない。鎮痛な表情でいつもひとり自室にこもってピアノではなくメトロノームの前にいる。
岩崎さんはこんなにもシンプルで寡黙な作品としてこれを作る。描かれる世界は狭くて暗い。救いはない。音楽は彼をここまで生かしてきたにもかかわらず、今の彼を救わない。
今、敢えてわかりやすい芝居を作らない。だからといって現実を直視するのでもない。ただ茫然と見守るだけ。迷宮の中で、感傷的な描写もなく、静かに冷徹に見つめている。ピアノの下に隠れる彼はこの先にある闇を見ている。