習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『ラフ』はラフすぎる

2006-08-31 20:39:17 | 映画
 大谷健太郎はなぜこの映画を撮ることにしたのか。最後まで見ても僕には理解出来ない。淡々と描かれる3年間の日々。主人公の2人は、自分たちの想いを爆発させることなく時の流れに身を任せる。それだけである。

 よくある高校生活は描かれない。教室、授業、放課後。そういうスナップはない。プールサイドと寮の描写に終始する。彼らの3年間はそこにしかない、ということなのか。マンガを原作にしているからか、リアルからは程遠いシーンが多いのだがストーリーはともかく映画自体はマンガからも程遠い。彼はただ泳いでいるだけ。彼女は飛び込みにすら専念するわけでさえない。恋の話というにはあまりにさりげない。不思議な映画である。

 なにが大谷にこれを撮らしたのか。主人公2人も最初から最後まで高校生には見えない。3年間の変化成長が感じられない。わざとそんな事に気を使わなかったのか。そんな勘ぐりさえしてしまう。見終えてただ過ぎ行く時間に身を任せただけか、なんて想ったり。でも、つまらないわけでもない。同じようにマンガが原作の前作「NANA」ともかなりタッチが違う。このさりげなさ。何を彼はねらったんだろう。気になる。

 映画『ラフ』が描くパステルカラーのラフスケッチは、映画としてはあまりに未完成で欠陥が大きすぎ正当な評価は下せない。

 しかし、それでもあえてそんなぎこちない映画としてこの作品を作ろうとした大谷監督は、長澤まさみ演じる少女の心の中にだけある意味不明の夢の世界のような106分を作ることに専念したのだろう。

 『NANA』のような少女マンガではなく今度は少女の見た夢そのものを映像化したのだと理解すれば、この映画のすべての謎は解ける。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
   | トップ | 底パイルロケット「家族の風景」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。