『ストロベリーショートケイクス』『スィートリトルライズ』の矢崎仁司監督の新作なので、
緊張感のある映画になっている。スクールカーストを描く。10年後と高校3年の頃を並行して描く。あの頃と今だ。主人公の3人の少女とその後の3人。(宣伝ではふたりのキョウコの対比でお話が進行するようになんているが、実はもうひとりの女の子がキーマンになっている)
教室の女王である響子は、転校生の今日子から名前を奪った。表面的には穏やかで、やさしいフリをしながら、有無を言わさない。4人組の仲よしグループに組み入れられる。彼女たちがこの教室の中心だ。2人のはみ出た少女たちがいる。そのうちのひとりが、もうひとりの主人公になる。彼女の嫉み、悪意が、映画を引っ張っていく。単純ないじめのお話にはしない。誰がいじめられていて、誰をいじめているのかなんて、わからない。お互いの悪意や表層的な善意、媚びへつらい。それらが錯綜する。教室で、ひとりになるには怖い。だから、なんとかしてバランスをとって居場所を確保する。友だちなんかじゃない。でも、にこやかな笑顔を振りまく。生き残るために。
10年後、ふたりのキョウコの関係は逆転している。ひとりは女優として華やかなスポットライトを浴びている。もうひとりは、地元のラジオでDJをしたり、ローカルTV局(でも、山梨放送だし)のお天気お姉さんをしている。地元では有名人であり、ちょっとした人気のアイドルなのだ。だが、全国区ではない。
それぞれの今を描くのだが、映画の主眼はふたりのキョウコではなく、もうひとりの主人公である由希(森カンナ)だ。実は彼女の視点からドラマは動いていく。太陽にはなれない女が、太陽であるふたりのキョウコに嫉妬して、今もそこに引きずられてつまらない人生を生きている。10年も前の確執なんて、捨てて、自分の人生を生きればいいのに、いつまでも、そこにとどまり続ける。惨めな人生を生きる。東京に出て、それなりに幸せに生きているはずなのに、その幸せを信じ切れず、自分で自分を惨めな境遇に追い込む。あの頃も、同じだった。10年たっても変わらない。
ミステリ仕立ての原作を大きく改変して、さらには群像劇から主人公を3人に絞り込む。そして、表面上の主人公2人すら棄てて、地味で目立たない第3の主人公にスポットを当てる。この映画ならではのマジックを施すことで、このお話の本来の持ち味を生かすことに成功した。誰のでもある、どこにでもある少女たちの心の闇をあぶりだす。
とても嫌な話である。みんながみんな報われない。本当の自分を隠して、表面上の緩やかさ、穏やかさを生きるからだ。自分を偽って嘘っぱちの人生を生きてもつまらない。でも、取り繕って、表面的な幸せの芝居を装う。そうすることで、なんとか自分を保っていられると信じるしかない。そんな惨めな女たちを描く。終盤の墓場まいりに来た主人公の由希が、高校生の自分とすれ違うシーンが胸に沁みる。あれが本当のラストシーンだ。そのあとは蛇足でしかない。
緊張感のある映画になっている。スクールカーストを描く。10年後と高校3年の頃を並行して描く。あの頃と今だ。主人公の3人の少女とその後の3人。(宣伝ではふたりのキョウコの対比でお話が進行するようになんているが、実はもうひとりの女の子がキーマンになっている)
教室の女王である響子は、転校生の今日子から名前を奪った。表面的には穏やかで、やさしいフリをしながら、有無を言わさない。4人組の仲よしグループに組み入れられる。彼女たちがこの教室の中心だ。2人のはみ出た少女たちがいる。そのうちのひとりが、もうひとりの主人公になる。彼女の嫉み、悪意が、映画を引っ張っていく。単純ないじめのお話にはしない。誰がいじめられていて、誰をいじめているのかなんて、わからない。お互いの悪意や表層的な善意、媚びへつらい。それらが錯綜する。教室で、ひとりになるには怖い。だから、なんとかしてバランスをとって居場所を確保する。友だちなんかじゃない。でも、にこやかな笑顔を振りまく。生き残るために。
10年後、ふたりのキョウコの関係は逆転している。ひとりは女優として華やかなスポットライトを浴びている。もうひとりは、地元のラジオでDJをしたり、ローカルTV局(でも、山梨放送だし)のお天気お姉さんをしている。地元では有名人であり、ちょっとした人気のアイドルなのだ。だが、全国区ではない。
それぞれの今を描くのだが、映画の主眼はふたりのキョウコではなく、もうひとりの主人公である由希(森カンナ)だ。実は彼女の視点からドラマは動いていく。太陽にはなれない女が、太陽であるふたりのキョウコに嫉妬して、今もそこに引きずられてつまらない人生を生きている。10年も前の確執なんて、捨てて、自分の人生を生きればいいのに、いつまでも、そこにとどまり続ける。惨めな人生を生きる。東京に出て、それなりに幸せに生きているはずなのに、その幸せを信じ切れず、自分で自分を惨めな境遇に追い込む。あの頃も、同じだった。10年たっても変わらない。
ミステリ仕立ての原作を大きく改変して、さらには群像劇から主人公を3人に絞り込む。そして、表面上の主人公2人すら棄てて、地味で目立たない第3の主人公にスポットを当てる。この映画ならではのマジックを施すことで、このお話の本来の持ち味を生かすことに成功した。誰のでもある、どこにでもある少女たちの心の闇をあぶりだす。
とても嫌な話である。みんながみんな報われない。本当の自分を隠して、表面上の緩やかさ、穏やかさを生きるからだ。自分を偽って嘘っぱちの人生を生きてもつまらない。でも、取り繕って、表面的な幸せの芝居を装う。そうすることで、なんとか自分を保っていられると信じるしかない。そんな惨めな女たちを描く。終盤の墓場まいりに来た主人公の由希が、高校生の自分とすれ違うシーンが胸に沁みる。あれが本当のラストシーンだ。そのあとは蛇足でしかない。