3年前の初演を見た時、感動した。正直言って、そんなに期待してなかっただけに、その驚きは大きかった。(すみません!) もちろん、それまでの真紅組の作品も好きだったけど、ここまでバランスよくエンタメと作家としての姿勢を貫く作品を阿部さんが書く、だなんて思いもしなかった。前回のアート館で初期の傑作『宵山の音』を再演した後、次の段階になる今回、そこに新作ではなくこの作品を持ってきたところに、彼らの覚悟のほどが明確に見えた気がして、期待は高まるばかり。
早く見たかったのだが、最終日にようやく見ることが出来た。でも、楽日でよかった。今回の公演の総決算である最終公演回だからこその感動がそこにはあったかもしれない。やりきった感が伝わってくるステージだった。全力で挑むのは初日であろうと、中日であろうと、同じことだろうが、やはり楽日は趣が違う。この作品は集団創作の在り方を問うものでもある。道頓堀を作るということが、芝居を作るという行為とオーバーラップしていくからだ。真紅組の今の全力がここにはある。それを目撃できたのがうれしい。初演を確実にブラッシュアップして、完全版としただけではなく、これ以上のことは「今」は不可能、というレベルで作品を提示したのがすばらしい。誰もがいつもそう望む。でも、なかなかうまくはいかないから、次こそ、と願う。これは確かに達成した、という充実感が漲る作品になっていた。
ZAZAでは出来なかったことが、ここでは出来る。まず、道頓堀を掘るという作業を視覚化できたのが大きい。もちろん、実際の掘割をセットで作るのではない。だが、それ以上の成果をそこに挙げる。僕はサイドから見たから、その距離が長くなっていくさまを明確に目にすることができた。アート館はコの字型に各席を設定しているから、普段なら中央から見るのがベストなのだが、今回は(もちろん、中央から見たほうが芝居は見やすかっただろうけど)横から見ることで、徐々に伸びていくさまがわかりやすく、しかも、群像劇なので、誰かが正面を向いて芝居するシーンも少なく、どこから見ても全貌が見渡せるように作られてあるのがうれしい。ZAZAは狭いだけでなく、この奥行きが描けないから、芝居がどうしても平面的にならざるを得なかった。もちろん、台本がいいから、それでも十分伝わったが、アート館には奥行きと、3方向に向けて芝居を展開するだけのアクティングエリアがある。そこが大きい。オリジナルの魅力を最大限に生かすための演出がなされてあるのだ。諏訪誠さんは視覚的にしっかりと見せるということがうまい演出家だ。そこに、台本自体の面白さが乗っかり、作品には奥行きが生まれる。
いくつものエピソードが見事に溶け合い、ハーモニーを放つ。大阪夏の陣で、何もない焼け野原になった大阪に、新しい町を作るための第一歩を名もない庶民たちが成し遂げる。彼らのそのエネルギーが、やがてここに「にぎわいの町」を作ることになる。堀を渡すというただそれだけの行為にみんなが全力を傾ける姿を30名近いキャストを動員した群像劇として仕立てる。ここには核となる主人公はいない。敢えていうなら久兵衛(永督朗)がそうなるのだろうが、彼の影は薄い。それは役者である永督朗が悪いのではなく、そういうふうに作ったのだ。反対に彼はこの目立たないという難しい役を見事にこなしている。死んだ道頓(おかだまるひ)の亡霊に取りつかれ、困惑しながら、彼の望みを叶えるため、努力していく過程で自分自身も成長していく。大阪の東西をつなぐ道頓堀を作るという壮大な事業を成し遂げる。
真紅組らしい華やかな踊りやきらびやかな衣装、大きな夢を実現していくサクセスストーリーを気持ちよく前面に押し出して描くこの大作は、見た人たちを元気にする。これはエンタメの王道を行く秀作である。