習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

小森真弓『きのうの少年』

2008-12-01 19:47:40 | その他
 この児童書を(と、いっても350ページもある)読みながら、小学6年生というとても微妙な時間のことをいろいろ考えさせらた。

 先日、高校の授業で重松清の『小学5年生』という短編集から『タオル』という作品をやったのだが、高校2年生にとって5年前にあたる小5という時間はなか感慨深いもののようだった。遠い過去とは言えないが、最近の出来事だなんて思えない。もう生々しくはない。だが、あの頃の痛みはまだリアルだ。そんな微妙さがおもしろかった。

 その延長線上にこの作品の時間はある。作者の小森さんは40代の女性で、彼女の捉える小6はいくぶん観念的だ。あぁ、多分に大人の視点で書かれているなぁ、と思った。だが、回顧的ではなく、リアルタイムの感触を残すタッチは悪くない。大人の感傷ではないのはいい。

 4人組の男女(女1、男3)を通して、彼らがバラバラになっていく直前の最後の輝く時間を静かに描いている。へんな感傷や思い込みは排除されて一切ないのがいい。

 子どもたちはいつも川原で釣りをして遊ぶ。そこはこの子たちの聖域だ。小学生になる前からずっとここで遊んできた。放課後、暗くなるまでいっしょに遊んだ。でも、6年になりクラブ活動も本格化して始まり、少しずつみんなが揃うことがなくなる。取り残されたケイトとアキの2人を中心にして、彼らの淡い想いが、終わり行く子供の時間への愛惜を込めてゆっくりとしたタッチで描かれていく。

 達弘が転向していき、そして、みんなも少しずつ大人になっていく。中学に入ったなら、もう男女の垣根のない付き合いは出来なくなるのだろう。昔のようにはいかない。それでも、彼らは幼なじみであったことの思い出を胸に抱いて表面上は変わることなく生きていくのだろう。

 市川拓司の『そのときは彼によろしく』とか、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』とか、たくさんの映画や小説が取り上げてきたテーマだけれど、それをこの小説は特別な事件を一切交えずに当たり前のこととして見せる。「特別」なことなのに、ただの日常のスケッチとして、でも、一瞬たりとも見逃すことなく愛おしいものとして普通を描く。このなんでもない日々がこんなにも胸に痛いのは、これがかっての僕たちだからだろう。

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