堤幸彦監督は当たりはずれがあってかなり怖い。今回もギャンブル気分で劇場に行った。吉永小百合は彼の『明日の記憶』を見ただけで今回のオファーを受けたようだが『トリック』とか見たらきっとのけぞるぞ。
超多作監督の彼は今回今の吉永小百合に出来る限りの限界に挑む。還暦過ぎた女性に20代を演じさせるなんて狂気の沙汰だが敢えてそれに挑戦する。オファーを受けた彼女も立派だが、こんな企画を通した東映にもあきれるやら感心するやら。さすが岡田裕介社長肝入りの企画だ。興行的には安定してきた吉永映画史上空前の不入りを記録したこの映画はいろんな意味で凄い作品となった。
最初に書いておくが、仕上がった映画は事前の憶測を遥かに裏切る佳作になっていた。よくぞここまで、この企画で作り上げたものだ。堤監督は吉永小百合の最後の現役映画のつもりで彼女のスター映画としてこの作品を作った。(もうこれ以降、彼女に若い役は不可能であろう。中途半端な役は困難だから、次は老人役しか出来ないはずだ)
どうしたら今の彼女を美しく撮れるのか。彼女が魅力的でなくてはこの映画は成立しない。夫婦愛とか、邪馬台国探しとかそんなものはあくまでも二次的なものでしかない。その至上命令をクリアするため堤監督が選んだのは昭和30年代という時代の中で彼女を如何にかわいく撮るかということだ。まだまだ女性が社会進出できなかった時代の中で働く女性が生き生きするように設定し、彼女をそこに嵌め込む。さらには怪優竹中直人の演じる宮崎康平を横に配し、単純な夫婦愛にはしない。(無理は承知で)無理なく彼女が輝くように作る。自然なドラマでは違和感が生じる。この極端な設定の中、彼女は自然にそこに存在できる。
前半、彼女が彼と出会い結婚するまでがかなり長く描かれる。普通ここははしょりたいところだが、しない。若い頃の描写を堂々と見せることで、映画は生き生きする。映画自体のおもしろさもこの最初の部分にある。島原の風景が美しい。しかも30年代の田舎の風景を見事に再現した。
映画の嘘を享受することでこの映画は説得力を獲得した。だから結婚した後の部分を軽く描いても成立する。ドラマ部分は竹中直人がしっかり担う。彼の強烈なキャラクターがこの変人を見事に見せる。この男の話として映画を大きくリードする。不自然さは彼が担うから、吉永小百合はただそこにいつもどおりに存在していたならいい。
全体の軽さは堤監督の持ち味だ。これを夫婦愛の大河ドラマにはしない。ある種のほら話すれすれのお話として見せる。感動の押し売りもしない。奇人宮崎と彼を支えた普通すぎる女のドラマとして見せる。そのさりげなさがこの映画を感動的なものにした。
超多作監督の彼は今回今の吉永小百合に出来る限りの限界に挑む。還暦過ぎた女性に20代を演じさせるなんて狂気の沙汰だが敢えてそれに挑戦する。オファーを受けた彼女も立派だが、こんな企画を通した東映にもあきれるやら感心するやら。さすが岡田裕介社長肝入りの企画だ。興行的には安定してきた吉永映画史上空前の不入りを記録したこの映画はいろんな意味で凄い作品となった。
最初に書いておくが、仕上がった映画は事前の憶測を遥かに裏切る佳作になっていた。よくぞここまで、この企画で作り上げたものだ。堤監督は吉永小百合の最後の現役映画のつもりで彼女のスター映画としてこの作品を作った。(もうこれ以降、彼女に若い役は不可能であろう。中途半端な役は困難だから、次は老人役しか出来ないはずだ)
どうしたら今の彼女を美しく撮れるのか。彼女が魅力的でなくてはこの映画は成立しない。夫婦愛とか、邪馬台国探しとかそんなものはあくまでも二次的なものでしかない。その至上命令をクリアするため堤監督が選んだのは昭和30年代という時代の中で彼女を如何にかわいく撮るかということだ。まだまだ女性が社会進出できなかった時代の中で働く女性が生き生きするように設定し、彼女をそこに嵌め込む。さらには怪優竹中直人の演じる宮崎康平を横に配し、単純な夫婦愛にはしない。(無理は承知で)無理なく彼女が輝くように作る。自然なドラマでは違和感が生じる。この極端な設定の中、彼女は自然にそこに存在できる。
前半、彼女が彼と出会い結婚するまでがかなり長く描かれる。普通ここははしょりたいところだが、しない。若い頃の描写を堂々と見せることで、映画は生き生きする。映画自体のおもしろさもこの最初の部分にある。島原の風景が美しい。しかも30年代の田舎の風景を見事に再現した。
映画の嘘を享受することでこの映画は説得力を獲得した。だから結婚した後の部分を軽く描いても成立する。ドラマ部分は竹中直人がしっかり担う。彼の強烈なキャラクターがこの変人を見事に見せる。この男の話として映画を大きくリードする。不自然さは彼が担うから、吉永小百合はただそこにいつもどおりに存在していたならいい。
全体の軽さは堤監督の持ち味だ。これを夫婦愛の大河ドラマにはしない。ある種のほら話すれすれのお話として見せる。感動の押し売りもしない。奇人宮崎と彼を支えた普通すぎる女のドラマとして見せる。そのさりげなさがこの映画を感動的なものにした。