タイトルは『おきくのせかい』ではなく『せかいのおきく』だ。ひらがなで綴られるこの不思議なタイトルが映画を象徴する。時代は江戸末期。貧乏長屋。お菊(黒木華)はこの小さな世界で確かに生きている。けなげとかいうのではなく、すっくと立つわけでもない。長屋で父とふたり。気丈に生きていたが、父だけではなく声までも失い、たったひとりになった。それでも生きていかなければならない。この世界でひとり、生きていく。
そんなお菊とオワイ屋のふたり(寛一郎と池松亮介)が主人公だ。恋物語でもあるが、それ以上に肥溜めや長屋の共同便所の描写が凄い。圧巻である。あまりに強烈過ぎるし、それが延々と描かれる。臭うくらいにエゲツない。
短いエピソードが羅列されていく。モノクロ、スタンダードの映画は慎ましく美しい。序章から以下本編となる7つの章を経て最終章まで、短いお話が綴られていく。たった89分のこんなにも小さな映画なのに(全体は9つのエピソード、短編連作スタイル)そこにはなんだかとても大きな世界が描かれる(気がする)。
こんな映画を見たことがない。これは時代劇だけど、切り合いのシーンはない。お菊の父親が殺されるシーンも見せない。阪本順治はきれいごとは語らない。露悪的なまでもの圧倒的なリアル(うんこに象徴する)から、ラストではお菊の小さな幸せにたどり着いた。