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映画・演劇のレビュー

アリスインプロジェクト『アリス・イン・デッドリー・スクール 楽園 大阪』

2019-03-07 22:16:57 | 演劇

 

この作品を見るのは、今回で2度目になる。可愛い女の子たちが歌い踊るお芝居、という括りで理解しても構わないと思うが、このプロジェクトの面白さは、ある設定をとことん極めることで、そこから普遍性を見いだすことが可能なのか、というチャレンジのようにも思える。僕には難しいことやこの企画の舞台裏は一切わからないけど、何も知らないまま、見てこんな芝居があるんだ、と感心した。

 

最初見た時には、こんな陰惨なお話を、タレント志望の少女たちを集めて、どうして毎年続けるのか、という驚きだった。もっと違う作品でもいいんじゃないか、と疑問に感じた。だが今回もう一度見直して(バージョンが違うから完全に同じではないみたいだけど)このお話は決して悲惨なだけではないのだな、というあたりまえのことを再認識した。こんなとんでもない状態になったにも関わらず、少女たちが自分たちの未来を見つける姿は、それこそがこの企画の意図なのかも知れないと思わされた。

 

極限状態に置かれた少女たちが屋上という開かれた場所で監禁され、逃げ場もない中、自分たちの未来を思う。ゾンビたちが世界を覆い、夏休みの朝、屋上にたまたま集まっていたお互いにあまり知らない同士である少女たちは、ここから逃れるために団結を強いられる。

 

まず、高校の屋上にはあがれません。そんなことみんな知っているけど、学園ドラマでの定番はいつも屋上が舞台となる。そこは彼らにとっての「楽園」なのだろう。学校は楽しい場所、のはず。だけど、そこは息苦しい、と感じる生徒もまた多数いる。女子校ということや、夏休みということも、この芝居が描くものが、純粋培養された夢の場所で、現実じゃないということの記号でしかない。誰もが感じることを、ある種の夢物語{悪夢だけど}として提示して、そこからある種の元気をもらう、そんな、なんだか微妙なところにこそこの企画の意味があるのか、なんてことも思う。

 

この芝居を見る男の子たちは、そこに何を期待するのか。よくわからないけど、ただ1本の作品としてこれを見た時、この悪夢の場所は、決して悲惨なだけではなく、悲惨な状況で戦うための場所なのだということは断言できる。

 

 

 


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